「コウとキースについて」 2002.10.28.


 星の屑月間レポート、コウをめぐる人々について考える、ですが、第二回目は「コウとキースについて」です。チャック・キース少尉(20)は、誰もが知るところの0083における主人公、コウ・ウラキの親友です。


 さて、そもそもこのサイトが0083サイトであることを考えれば、キースについてはこれまでに、もっと語られてきて良かったはずです。・・・女性向けでガトコウ、というカップリングを(いたらないながらも、)主に扱っているいることを考えたとしても、です。それにしたってもうちょっと露出が多くて本来は良かった。しかし今回テーマとして取り扱われるほど、何故これまでわたしが「コウとキース」という組み合わせで語ってきていないのかと言えば、すべては『誰が為に星は輝く〜インターミッション〜』という作品が原因です。この作品は、実に私が0083サイトを始める前から書き続けられている作品であり、扱われているテーマは「コウとキース」ではなく「コウとアムロ」だった。・・・・この流れが、何故かえんえんこのサイトでまで引き継がれてしまっていたのです。コウとアムロ、というのはつまり、0083的視点ではなくて、全ガンダム的、というと大袈裟かもしれませんが、シリーズ総ぐるみ、的視点で描かれている話ですね。だから、別シリーズの主人公同士の交流がテーマとなっている。実際、この当時私がやっていたサイトというのはそういうガンダムよろずサイトだったのでした。・・・・またしても閑話休題。


 さてしかし今回、私はもっときちんと、0083だけを考えてみたいと思った。そういうわけでチャック・キースなのです。例えばキースに関しても、前回お話した「ジオンの残光」という映画のパンフレットでは『コウの幼馴染み』などという爆弾発言がなされているらしいですが、今回語りたいのはそういう一点ではない。(幼馴染み、ってそんなに問題なの・・・?とみなさんは思われるかもしれませんが、「士官学校時代からの友人」と「幼馴染み」では全然意味合いが違ってくるかと思うのです。三歳の頃から知り合いだったかもしれないコウとキースと、十六歳で知り合ったコウとキース、の違いです。・・・・いかがでしょう、大問題ではありませんか?もちろんこのパンフ設定はまたしてもマボロシのまま終わり、その後に出たどの資料本を読んでも「士官学校時代からの友人」以上の記述はキースに関してはありません。)
 そんな愉快なパンフの記述は無視する(笑)にしても、確実なのは、キースが最初は「チャック・キース」という名前だったのではなくて、「ブライアン・キース」という名前だった、という一点ですね。これだけは確固とした事実なのです。えー、そんなの聞いたこともないよー、とまた皆様は思われるかもしれないですが、では、BOOK-KINGのサンライズ・アートワークスをお持ちの方は次のページを開いてみて下さい。・・・182ページ。一番上のヘルメットの模様の設定のところです、どうですか。・・・『ブライアン・キース』。はい、確かにそう書いてありますね(笑)。これは、ファーストのミライ・ヤシマがその昔、「ミライ・エイ(ト)ランド」という名前で当初ヒロイン(!)だったのと同じくらい確実なことなのです。←たいして確実じゃないだろう、それは・・・。しかし、キースが「ブライアン」なんてうわついたアメリカ人みたいな名前ではなくて、「チャック」っていう腰抜けっぽい名前になってくれて本当に良かったと私は思います!・・・ああ、話が寄り道からなかなか戻ってきませんね(笑)。・・・失礼。
 そういうわけでチャック・キースです。ガンダム乗りの主人公の「親友」です。・・・・・これがいかに珍しく、そして素晴らしく、また杞憂な立場であるかをこれから考えてみたいと思います。


 ガンダム、という作品がそもそも「友情」について主に語られる作品ではなかったのだ、と私は思います。トミノさんはそんなことを語りたくは無かったのです。逆に、非常に片寄った女性観などに関しては多大に語りたかった、としてもです(笑)。ガンダム乗りの主人公に友人が現れることにまず時間がかかっています。最初から順番に言うと、「僕には帰れるところがあるんだ・・・」と言ってホワイトベース(のランチ)に帰っていったアムロ・レイには「擬似的家族」と「仲間」はいるのですが、しかし考えてみればハヤト・コバヤシはアムロに対してライバル心を燃やしていますし、カイ・シデンはアムロを「ニュータイプ!」とからかっています。親友とは少し違う彼等だったように私は思います。明らかに激戦をくぐり抜けた仲間、なのですが。そして一方シャアは、おそらく生涯唯一の友であっただろうガルマを自分で殺してしまいますし、Zのカミーユ・ビダンには大量に女はいますが友がいません。・・・・ガンダムの世界に友情が発生するのが、そもそも実に『ZZ』からなのです。・・・・しかもトミノさんという方は、喜んでZZの『子供達』を描いていたとも思えない(笑)。というわけで、ガンダムにおける友情の問題に関しては、トミノさん以外の作品で考えた方がいいかと思うのです(笑)。


 それは、逆シャア後に製作された『0080』において、ですね。アルフレッド・イズルハというただの少年と、バーナード・ワイズマンというジオン軍のザク乗りの「友情」が、初めてガンダムの中に登場しました。それは悲しい友情でした、でも確かに友情が主要テーマの一部にもってこられた初めてのガンダムは0080だったのです。・・・・愛しか考えなかったから不幸になった、愛しか求めなかったから不幸になった、そんなシャアやカミーユとはあからさまに色合いの違うキャラクターが初めてガンダムの中に現れた。ZZのジュドー・アーシタには友がいたけれども、それは「大人の不条理」を怒ることに対しての、バックグラウンド的要素の一部でしか無かった。・・・そうではない、メインに近い「友」がテーマに現れた。なにか諦めた風だったアムロともまた違う。・・・・そして、それに続く作品としての『0083』。ついに、今まで描かれたことの無かった「主人公をひたすら支える平凡な親友」が登場しました。・・・・それが、コウの親友のチャック・キースだったのです!彼が現れた時の感動は、ちょっと言葉にはしがたいです。まっとうな軍人がガンダムに乗っていて、まっとうな友人が彼にはいる。・・・そういう普通の、コウの普通さを際立たせるように彼が、キースがいる。・・・・この感動は本当に言葉にはしがたいです。そういうように、0083を一目みた瞬間から、キースにはまったく感動してしまった。
 彼は、コウより劣る機体に乗ることを別に気にもしません。いつか、コウを越えなきゃなんてミジンコも考えないのです。どちらかというと死にたく無くて逃げ腰なのです。実に平凡な人間っぽいです。さらに、自分が乗る機体の特性を熟知していて、ジムキャノンによるガンダムのバックアップ、という仕事を、彼は実に見事にやってのけます。・・・・主人公に劣等感を抱いたり、主人公に対して特別視があったり、そういうのも確かに人間感情のなかの一部かとは思います、しかしそういうのではない、ごく普通の悪友(?)というキャラクターを演じるキース。私が、キースの台詞の中で一番好きなのは「いいですか・・・・!出ますよ・・・!」というような第七話の台詞なのですが、これは、コウがヴァル・ヴァロに やられているのを見ていられないキースの台詞なのですね。・・・・心配で心配でたまらないから出撃させてくれ。かつてこんな要求を艦長に対して出したガンダム乗りの友達がいたか!?と私は言いたいのです。・・・・いや、別次元で「ヴァル・ヴァロにやられてしまうようなガンダム乗りだったコウ・ウラキ」はとりあえずおいておいてですね(笑)。


 昔たしか姉様が話してくださった面白い話で、「もしもトミノさんが0083の監督だったらモーラの名前は(本名はモーラ・バジット)きっとモラ・モーラだったろうよ」っていう笑い話(?)があるのですが、それに似た印象を受けたのですが、やはり昔男友達が話していた印象的な話がありました。「トミノが監督だったらさ、キースはきっと主人公の成長するための踏み台として死んでいたと思うよ。・・・・キースが死ななくて良かった、そういうところが0083のいいところ、だと思う。」


 この世には作家性というものがあって、トミノさんの作家性は極端に、なんだか皆殺しだったり、変質的な女性観だったり、そういうところでばかり熱く語られているところがあるように感じるのですが、それもなんだかなあ、切ないよなあ、とは思いますが(しかも私はそれに共感を覚えないので語りたいとも思わないよ/笑)、そういう次元とは別で、コウにはキースがいてくれて良かったなあ、と思います。彼は実にとるに足らない、ジムキャノンに乗っていたた一年戦争ちょっと後、くらい時期の軍人です。・・・・・が、そういう人物も確かにガンダムの歴史の中にいたことを、キースを通して私は知れて良かった、と思う。そうして、そういうトミノさん以外の平凡な才能がそういうガンダムを作って私達に見せてくれて良かったなあ、と思う(笑)。ガンダムが作りたくって大人になって、そうして思わず作っちまったさ的なガンダムが大好きだ(笑)、と思う。さて、そんな私としては、これまでもいくつか、コウとキースについては書いてきたのですが(『アルビオンの少年 2』『ドックタグ』等。)、実をいうと最近気付いたことがありまして。


 ・・・・・間違っていたかと思うのですよね。・・・・いや、年齢が。というか年度が。え、どうでもいい?


 このページの一番最初に実にさり気なく書いていますが、チャック・キースの年齢は20歳です。これは、0083の設定で、ですね。で、コウ・ウラキは19歳です。・・・いや、それ自体はいいのですがね。昔からなのですけどね。しかしやはり問題はあるのです。では、一緒に考えてみて下さい。0083.10.13〜11.13という、0083の時間軸の中でコウ・ウラキが19歳だとします。では、一年前、0082.10.13には幾つか?・・・・18歳ですね。誕生日がいつか分からなくてもこれは確実ですね。では、更に前、0081.10.13には幾つか?17歳ですね。これもまあ、当然ですね。では、0080.10.13には幾つか・・・・はい、16歳ですね!キースじゃなくて、コウが、ですよ!!ここ、注目ね。そうして、ここで、この時点で丸三年、0083からは遡ってますね。・・・・・しまった!大問題ですね(笑)!!


 実はですね、私が今までに書いてきた小説というのはですね、全て0079年9月には、すでにコウが士官学校に入学したという設定の元に書いてしまっているのですよ(笑)。(えっ、そうなの・・・・と思った方は、『誰が為に星は輝く〜繋がる〜』か、『ドッグタグ』を読みなおして見て下さい。)・・・更にはですね、実を言うと士官学校、というのは卒業するのに二年くらいしかかからないハズです。「予科」というわけのわからない一年を現代日本の高校生活になぞらえ、読者の方に分かりやすくするため付け加えたとしても丸3年。おそらくこれよりはのびようがないのです。そもそも、シャアなんかは戦時特例としてたった1年で士官学校を卒業した、などと資料本では言われているくらいなのです。そうなると、女性向けのみなさんが好んで使う「士官学校時代にガルマとながらく一緒で・・・」なんて設定が全部使えないのと同じくらい、これは重要な問題なのですよね(笑)!!0083的には(笑)。・・・・私が言いたいのはこういうことです、私はそもそも、「コウとアムロが同い年」という0083寄り、というよりは全ガンダム的視点の発想でこれまで話を書いてきてしまっていた、でもよくよく考えるとコウは「本当に戦後派」で、一年戦争が終結した0080.1月より後に士官学校に入り、そこでキースと出会い、軍人になった人間なのかもしれない。そういう学生時代だったんだ・・・・と考えた方がそもそも普通だ(笑)。というか、0083的にそのほうが真実なのでは(笑)?
 ということなので、この機会に、私はチャック・キース視点の、「戦後派な二人」っぽい話を一本書いて見ようかと思いました。


『カスタムメイド』



 次回、第三回目は「コウとシナプス艦長」がテーマになります。・・・・かなりマニアックかとは思いますが、よろしかったらどうぞ(笑)。








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