・・・もう、名前も覚えていない。その顔も。背格好すらも、良くは。









 ・・・・黒っぽい髪の毛の色だったような気がする。
 ・・・背は低かったような気がする。
 ・・・少し、舌っ足らずの話し方をしたような気がする。










 ・・・・とにかく、本当に思い出せない。たった六日間の事だったのだ。・・・ただ、『テディ』と。










 『テディ』とその少年が呼ばれていた事だけは覚えている。

















クマのぬいぐるみと少年と戦争
[ 前編 ]















 ソロモンを撤退した時のジオン軍の有り様は惨惨たるものであった・・・・それはそうだ。仮にも、国家防衛戦と謳われて、死守すべき筈であった拠点の一角が崩れたのだ。・・・・負ける。
「・・・ガトー。ガトーったら、おい!」
 その日、その戦場に居た・・・・そうして、もう一つの拠点であるア・バオア・クーまで生き延びて戻って来たジオン軍の兵士の誰もがそう思った。・・・負ける。この戦争は負ける、と。
「ガトー!落ち着け、何処に行く気だ!!」
「・・・今回の配属を決めた人間の所へだ!」
「行ってどうする!」
「取り下げてもらう!・・・いや、配置替えを願い出る!」
 そう言って、まだアナベル・ガトー大尉は廊下を突き進みそうな勢いだったが、それでもどうにかその身体を、一緒に歩いていたケリィ・レズナー大尉は引き止めた。
「・・・・無理に決まっているだろう!!」
「しかし・・・・・!」
 負ける。・・・そうだ、負けるだろう、ジオンは。振り返ったガトーがあまりに鬼気迫っていたからだろうか、ケリィは思わずうっかり引き止めていた腕を離しそうになったが、それでももう一回こう言った。
「・・・・落ち着け。無理だ、配属を替えるなんて。」
「・・・・では、補充要員など要らんと言ってくる!」
「それも無理だ!・・・・分かっているだろう、お前も!今、ジオンがどんな状態かくらいは!!」
「・・・・・・っ」
 そのケリィの言葉は、決定的な一言であった。ガトーは遂に立ち止まった。そうで無ければ、自分より体格のいいケリィを引きずってもう少し歩いていたところだったろう。・・・見ると、たまたま通りすがっただけだった年若い兵士が、恐る恐る廊下の向こうから自分達を見ている。
 ・・・・年若い。
「・・・・この国には、もうマトモな人間を戦場に出す国力も無いのか・・・・!」
 口惜しげにそう呟くガトーの言葉を、ケリィはなんとも言えない顔で聞いていた。・・・それから、ゆっくりをガトーの銀色の頭を、後ろから軽く叩く。
「・・・戻るぞ、新入りの世話をしなきゃあならん。」
 ガトーの頭を叩くのは、士官学校時代からのケリィの癖だった。・・・他の人間なら、そんな事をされてガトーも黙ってはいない。しかし、ケリィのいう事ももっともだったので、元来た廊下を引き返す事にした。
「・・・・あれが新入りか・・・!?」
 まだ怒りがおさまらないといった様子でガトーは歩きながら、やはりケリィにそう呟かずにはいられなかった。
「とにかく戻る。」
 ケリィはもう、それしか言わなかった。・・・そうだな。こいつも、自分の小隊を放り出して私を引き止めに来たのだ。
 ガトーが怒り狂っているのには、それなりの理由があった。・・・ソロモン戦で撤退を余儀無くされ、稀に見る高貴な指揮官であったドズル中将を失い、自らの率いていた302哨戒中隊のメンバーも三分の二を怪我で戦線から失ったガトーに、ア・バオア・クーで与えられたのは、新たなる中隊の人員であった。
 ・・・・それが、あんなメンバーだとは!
「・・・・負ける・・・・・」
 思わずガトーは、そう小さく声にも出して呟かずにはいられなかった。・・・ケリィは、もう何も答えない。・・・とにかく二人は、ガトーが怒りのあまり飛び出したア・バオア・クー内のミーティング・ルームの一つに戻って来た。










 ミーティング・ルームには、幾人かの新兵が急に出ていった指揮官が戻ってくるのを待っていた。
「・・・・すまない。」
 そう言って、アナベル・ガトーは部屋に戻って来た。・・・一緒にいたケリィ・レズナーは、自分の小隊がミーティングを行っている部屋に戻った。
「・・・・自分が、この中隊の指揮を取るアナベル・ガトーである。以後よろしく。・・・では、各自自己紹介だけを。・・・時間はあまりない。」
 ガトーは、改めて部屋の中にいる三人の新兵を見渡した・・・それから、後ろの方でそれを面白そうに見ているかつてからの中隊のメンバー四人も。
「・・・自分は、ジャン・リスホフです。・・・先日・・・いや、昨日まで、コロニー・アヴェルタの兵学校でモビルスーツ操縦の研修を受けていました。」
 まず、一番年上と思われる男がそう言う。・・・・男と言っても、年は17.8に見えた。ガトーは、無言で頷いた。
「・・・自分はアレック・T・スミス・・・同じく、パイロット研修を昨日まで受けていました。」
 その隣の、同じくらいの年頃に見える男がそう言う。・・・しかし、リスホフほど落ち着いては見えなかった。が、ここは頷くしかあるまい。
「・・・・・・・・*******です。」
 ・・・最後に残った、恐ろしい事に15.6才にしか見えない男は・・・いや、きっぱり少年だろう・・・それだけ言ってガトーを見上げた。
「・・・・それは何だ。」
 この少年に、ガトーは頷かなかった。・・・名前すら覚えようとしなかった。怒っていたからだ。・・・その代わりに、そう言って少年が腕に抱えているものを指差す。
「・・・・・・・ええと。テディ・ベアです。」
「そんなことは分かっている!問題は、何故そんなものを抱えて貴様は軍に来たのかと言う事だ!!!!」
 いきなり、烈火のごとくそう叫んだガトーに、少年は心底怯えたらしかった。・・・しかし、しばらく考えてからこう言った。
「・・・・これ以外に、荷物が無いからです。」
「何・・・!?だいたい貴様、パイロット研修は受けているのか!?明日からすぐに実戦だぞ!」
「一応・・・・・・・」
 その、ガトーととんでもない新人のやり取りに、奥で事態を見守っていたもともとの中隊メンバーから小さな笑いが漏れた。・・・・笑っている場合か。思わず、ガトーはそちらに踵を向けると、その朋友達を思いきり睨んだ。・・・・一番年下のカリウスがぺこり、と、すまなそうに頭を下げた。
「・・・ともかくだ。」
 ガトーは言った。新人達は、サイド3からこのア・バオア・クーに到着したばかりで、荷物も抱えたまま配属先の部隊のミーティングに顔を出している。
「・・・お前達は、自分の部屋に荷物を置いてくるように。・・・現在、この要塞はいつ戦闘が始まってもおかしく無い状態にある。更に、この中隊は知っての通り哨戒中隊である・・・戦闘が無くとも、偵察の任務のため出ねばならん事はいくらでもあるのだ。・・・とにかく行動は、迅速に行うように!・・・散会!」
 ガトーがそう言うと、新人を含めた中隊のメンバーの内6人は、ばっと扉へと踵を返した。・・・ただ、テディ・ベアを腕に抱えた新人だけが、ちょっとおろおろして辺りを見渡す。
 ・・・・ああ。
 まさに、この少年こそが、ガトーが思わず配属替えを願い出に直談判に行こうと思った元凶であった。・・・こんな。
「・・・・あの、大尉。・・・部屋って何処ですか?」
 ・・・こんな赤ん坊を、自分にどうしろというのだ!・・・少年は、まだテディ・ベアを抱えたままおろおろしていた。・・・人が居ないのは分かる。しかし、自分の中隊は、こんな赤ん坊を配属されねばならない程、働きが少なかったか!?
「・・・・母艦はドロワになる。・・・案内する。」
 そのガトーの台詞に、心からほっとした風で少年は笑い顔を見せた。・・・戦場にはまるで似合わない。










 ・・・とんでもなく柔らかな笑い顔だった。・・・ガトーは、頭痛がするのを感じた。









 ・・・もう、名前も覚えていない。その顔も。背格好すらも、良くは。









 ・・・・黒っぽい髪の毛の色だったような気がする。
 ・・・背は低かったような気がする。
 ・・・少し、舌っ足らずの話し方をしたような気がする。










 ・・・・とにかく、本当に思い出せない。たった六日間の事だったのだ。・・・ただ、『テディ』と。










 『テディ』とその少年が呼ばれていた事だけは覚えている。










 ーーーーーーーー0079.12月26日。
 こうして、『テディ』はアナベル・ガトー貴下の302哨戒中隊に配属された。























 0079.12月27日。
「・・・テディ!貴様だけそんなに遅れていては、作戦全体に支障が生じる!・・・・何回言ったら分かる!!」
 その少年のあだ名は、『テディ』ということで中隊全体の承諾を得たようであった・・・ともかく、その日何度目かの偵察任務の折にも、結局ガトーはそう叫ばざるを得なかった。
『・・・すいません・・・・』
「謝って何とかなるのならば、戦死者なぞ出はせん!!」
 モニターから聞こえてくるテディの声に、ガトーは思いきりそう叫び返した。確かに、テディはモビルスーツを操縦出来た・・・辛うじて、という程度だったが。・・・と、モニターに別の機からの音声が飛び込む。
『一時方向に、高熱源体!!・・・どうしますか、テディでも偵察に行かせますか!?』
 それは、MS-06F2に乗る元からの中隊メンバーからのやじにも近い声であった。・・・ガトーは一応その方向を眺める。・・・何が高熱源体だ。あれは、ただの宇宙ゴミだ。・・・・民間船が捨てていったものだろう。
「・・・貴様らが、新人にMS-09Rが支給されて不満に思っているのは分かる!・・・が、たかが宇宙ゴミでも、ぶち当るスピードに因っては致命傷になるのだぞ!・・・・軽口を叩いている暇があったら、しゃきっと前を見ろ!」
『・・・分かりました。』
 メンバーは、そう言うと機を少し脇に流してゆく。・・・何の事は無い、拗ねているのだ。・・・が、しかし、こんな状態では、中隊全体のまとまりと志気にかかわる。
「・・・テディ!聞こえるか、もし出来るものなら・・・・一人でドロワに戻れるか?」
『はい。・・・でも、何でですか、大尉?』
 ガトーは、ノーマルスーツを着ているのでなければ、頭を掻きむしりたくなりながら答えた。
「貴様がリック・ドムに乗っているのが問題なのだ!・・・マトモな自動操縦の機能が付いているモビルスーツは、それしか無いからしょうがないがな!」
『ええっと・・・・』
「つまり、中隊全体の志気にかかわるということだ!・・・戻れ!」
『・・・・・はい。』
 モニターから、そう呟く声が聞こえ、そうして通信が切られる。・・・テディの姿の消えたモニターをしばらく睨んだ後、ガトーは思わずため息を付いてコクピットの天井を見上げた。
『・・・・ガトー!・・・ガトー、聞こえるか?』
 その時、自分の中隊からで無い音声が飛び込み、ガトーはモニターに目を戻した。・・・・ケリィの声だったな。
「・・・聞こえる。何だ。」
 ケリィの小隊も、昨日新人が入り、『いつ実戦になってもおかしく無い状態』での大慌ての新人研修を、近くの宙域で行っているはずだった。・・・というか、このア・バオア・クーにいる全ての部隊が、同じような目にあっているに違い無い。
『・・・決定的な話を小耳に挟んだ。・・・後でちょっと時間がとれるか?』
「うわさ話は好かん。」
 ガトーはそう答えたが、結局ケリィとは会う事にはなるだろうと思っていた。
『嫌いなのは知ってる。』
 それだけ言うと、ケリィからの通信は切れた。・・・まったく、どいつもこいつも訓練の最中に何をやっている?・・・見ると、ぎりぎり目視出来る所に浮かんでいたケリィのモビルアーマーが、遠くへ離れてゆく所であった。・・・・こんな場面で指揮官同士が世間話をしていては、下に示しがつかん!
「・・・・さて、続きをやるぞ!」
 ガトーは、自分に気合いを入れるようにフットペダルを踏み込むと、機体を回して中隊メンバーの方へ向き直った。










 ドロワに何とか一人で戻って来たテディは、やっとの思いでコクピットから飛び出した。
「・・・お疲れ様です・・・・・・・・・・・え?」
 そのテディを出迎えた若い整備兵が、驚いたような顔をして少し戸惑う。
「あー・・・・おつかれさまですー・・・・・」
 そう言いながら、テディはふらふら宙を泳いでなんとかキャットウォークに辿り着いた。・・・・そりゃ驚くだろう、かなり若い自分より、更に若いようなパイロットが、モビルスーツから飛び出して来たら。
「・・・・大尉が戻ってろって、だから、戻ろうか。」
 テディは抱えていたテディ・ベアにそう言うと、ジオン一の大きさの空母ドロスの中を、とぼとぼと歩き始めた。
 ・・・・そう、テディは、自分のテディ・ベアも一緒にモビルスーツに乗せて訓練に参加していた。・・・それは、おそらく愛する人の写真や、お守りをそのコクピットに乗せて出撃する兵とレベルは変わらないのだが。
 が、モノがモノだけに、異様な光景なのは確かだった。・・・・ええっと、午後は休み、午後は休み。・・・テディは、慣れないベットが眠りづらくて昨日ほとんど眠れなかったから、もう少し寝ようと思いつつ廊下を急いだ。・・・・迷子にならなきゃいいんだけど。























 0079.12月28日。
 結局、ガトーとケリィがゆっくり顔を会わせる事が出来たのは、一日程経ってからであった・・・それぞれ、隊を預かる身分ともなるとそう簡単に友情を優先してもいられない。
「・・・・で、『決定的な話』とはなんだ。」
 ケリィに会って開口一番、ガトーはそう言った。ケリィは、ドロワの巨大な食堂の片隅で水みたいに薄いビールを飲んでいる所だった。・・・もっとも、この状況下で辛うじて酒があるだけでも、凄い事だったのだが。
「うむ、よし、面白い話の方からしてやろう。・・・・何処かの小隊の連中がひっ捕まえた連邦軍の捕虜の話によると、『アナベル・ガトー大尉』はいまや連邦の連中に、『ソロモンの悪夢』という立派なあだ名を頂戴する程有名人になったらしいぞ?」
「・・・・『ソロモンの悪夢』?・・・何だそれは。」
 ガトーは思いきり眉寝を寄せてそう言った。・・・いや、確かにソロモン戦は悪夢そのものだった。・・・まだ2日しか経って居ないのに、ザラザラと苦い思い出ばかりが沸き上がる。・・・次々に怪我を負ってゆく部下達。・・・守りきれなかったドズル中将。・・・高潔なる上司。
「だから・・・ほら、つまり『白狼』とか、『赤い彗星』みたいなもんだろう。」
「要らん、そんな名前は。」
 即座に、きっぱりとガトーはそう言い切った。・・・そんな名前を貰うのが戦争が始まったばかりの頃でなくて本当に良かったと思ったくらいだ。それは、スタンド・プレーの代名詞の様なあだ名ではないか。・・・・モビルスーツ戦は、一人でやるものでは無い。一人だけ目立ってどうする。
「ふむ・・・そう言うだろうと思ったよ、『ソロモンの悪夢』さん。・・・・でだ、その、国威高揚の為に国がわざわざ宣伝したのでは無く、敵さんが恐れをなして付けてくれた素敵なあだ名も、おそらくは世間に浸透する前に悲しい事に終局が来るらしいな・・・・これが、『決定的な話』の方だ。」
 ケリィは、ふざけているのだかからかっているのだか分からないくらいの口調で、実はなかなかに深刻な事を話した。
「・・・・決まったのか。」
「・・・・決まったな。・・・・連邦軍は、『回り道』をせずにこのア・バオア・クーを抜いてジオン本国に攻め込む事に決めたらしい。・・・明日か明後日には、ここも地獄になる。これも、同じ捕まえた捕虜の話した事だ。・・・諜報部のヤツに聞いた。」
 ・・・・それは、分かっていながらも出来るだけ先に延ばしたいと、ジオン軍の誰もが考えていた事であった。・・・負ける。その、負ける瞬間が、刻一刻と近付いて来たと言う事なのだ。
「実際・・・どう思う、奇跡が起こって・・・・ジオンが勝つなどと言う事が、万が一にも有ると思うか?」
 急に、声を落として顔を寄せながらケリィがガトーにそう言った。
「・・・まだ分からん。・・・と言う事にしておけ。・・・・私はいつも、勝利を信じて戦っている。」
 ガトーはそう答えた・・・・それは負け惜しみで言っている言葉では無かった。・・・負けるだろう、ジオンは。きっと負けるのだろう。・・・あのソロモンの戦場で、そう感じなかった兵士はよっぽどのバカか気狂いだ。・・・しかし、それでも自分は最後まで力を振り絞って戦うだろう。
「例えば、あのテディだって・・・・・」
 そこで、急にガトーがテディの事を話し出したので、ケリィは驚いたらしかった。
「・・・・テディ?ああ、あの頭の足りなそうな、クマを抱えたガキのことか?・・・テディだって?・・・・そりゃ、お似合いのあだ名だな。」
 思わず耐えきれなくなったようで、ビールのジョッキを置いて下を向いて笑い出す。そんなケリィを横目で見ながら、ガトーはまったく勝手に話を続けた。
「テディは、きっぱりモビルスーツのパイロットになぞ向いていない。・・・・こんな最前線の、これから確実に戦場になる現場なんぞより、向いている場所が何処かに有るはずなんだ。」
「おいおいおい。」
 ケリィはガトーの台詞にそう突っ込むと顔を上げた。
「そりゃまた、愛に満ちあふれた台詞だな。・・・お前の仕事は、テディを『軍人として』まともに指揮する事であって、親のように将来の心配をする事では無いだろう?」
「・・・・それはまあ、そうだ。」
 ケリィにそう言われると、ガトーも先の台詞を言うのに少し戸惑ったが、しかし思い付いた事であったので最後まで話す事にした。
「・・・ああいう・・・・若い人間が、どこか戻れる場所を、残しておいてやるような戦争を本当はしなければならなかったような気がする。」
 ・・・・ガトーの呟きは、負けるであろうという確信と同じくらいにジオン軍の兵士の誰もが思っている事であった。・・・何故。何故、ここまで総力戦になってしまったのだ、この戦いは?・・・勝ったところで、国はもはやぼろぼろなのでは?
「・・・・・・・・・」
 無言で、しかし友情を込めてケリィがガトーの頭をまた後ろから叩いた。・・・ポンポンっ、と、軽く二回。
「・・・理想というのは・・・・・」
 ガトーは、更に何かを言いかけたがそこで首をふると、それ以上の事を話すのをやめた。・・・・理想はある。これは、連邦の連中になどたとえ何があろうとも汚しようのないほど崇高なものだ。それは胸の内に燃え続け、消して消える事は無い永遠の光だ。
 気のきいた事に、ドロワの食堂には小さいながらも窓が付いていた。・・・ガトーとケリィは、黙ってその窓から見える宇宙を見つめた。・・・海はまだ静かだ。・・・・まだ。










 ケリィと別れて、残りの休息時間を過ごすために自室に戻る途中で、ガトーはテディとばったり会ってしまった。
「・・・・あ、大尉。」
 ・・・・テディはやっぱり、腕にテディ・ベアを抱えていた。・・・・何故こいつに、『軍艦の中でそんなものを持ち歩くな!』と、誰も言わないのだろう。
「・・・何をしている。」
 そんな事を考えつつ、ガトーは呼び掛けられた以上しかた無しにそう答えた。
「散歩です。・・・迷子にならないように。道を覚えなきゃって。」
 恐ろしい事に、テディはにっこり笑ってそんな事を答えた。
「・・・・その行動に、クマは必要か?」
 ガトーは怒りを堪えつつそう言った。・・・ああ。何故、この少年を見ていると自分はこんなにも腹立たしくなるのだろう、いつも。
「はい!・・・僕の宝物だから、ジュディは。」
「・・・・今、なんと言った?」
 信じられない台詞を聞いたのでガトーは思わずそう聞き直した。
「ジュディ。・・・・このクマの名前です。」
 テディは何の悪気も無さそうに、そう笑いながらガトーにテディ・ベアをかかげて見せた。・・・・そんな事は分かっている。
「・・・ぬいぐるみに名前なぞ付けるな!・・・貴様は、仮にも栄光あるジオンの軍人なのだぞ!!??」
 遂に、そう叫んだガトーの声があまりに大きかったからだろう・・・・びっくりした顔でガトーを見上げたテディだけでなく、ドロワの居住区全てに居た兵達が、ドアを開けてまでガトーとテディのいる廊下に顔を出した。・・・なんだと言うんだ、と言わんばかりに。
「・・・・・ええっと・・・・でも・・・・・・これは、お母さんがくれたテディ・ベアで、ジュディって言うのは、僕のお母さんの名前で・・・・」
 テディが、それでもおっかなびっくりガトーにそう説明しようとするのを、ガトーはもう振払うように止めた。
「・・・分かった!・・・もういい、明日も早朝から訓練だ・・・・寝ておけ!散歩なぞせず!!」
 これが、今は精一杯だ・・・・ガトーは何故かそんな風に思った。・・・母親の名前のついたテディ・ベアだと!!??・・・そんな、泣きの入る話を。










 新兵の全てが一瞬でホームシックにかかりそうな事を、平気で言うな!










「はい・・・・」
 テディは、少し悲しそうな顔をしたまま、それでもテディ・ベアはしっかり腕に抱えて、ガトーにおじぎをするととぼとぼ廊下を引き返して行った。
 ・・・・・・テディの姿が廊下の角を曲がり、見えなくなった瞬間に、凄まじい笑い声が覗き見ていた連中から上がった。・・・ああ。










 ガトーは思わず、あんな人間を配属されてしまった自分の不幸を感じずにはいられなかった。























 0079.12月29日。
 結局その日も、ガトーはあまりの惨状に耐えきれずにテディだけを訓練を兼ねた哨戒任務から追い返してしまった。・・・私らしく無い。私らしく無い、全く!・・・・もちろん、自分でそう思うまでも無く、中隊の他のメンバーもそう感じているらしかった。血気盛んなカリウスには、『大尉はテディにだけ甘過ぎます!』とハッキリ言われたほどだ・・・ともかくだ。ともかく、ガトーはテディが自分の隊にいると言う、その事実が耐え切れなかった。
「ええっと・・・・」
 そう言う訳で、テディはその日もやっとの思いでキャット・ウォークに取り付くと、腕に抱えたテディ・ベアと一緒に自分の部屋に戻ろうかと思って・・・やはり思い直した。自分だけが、本来は任務の時間にのうのうと部屋にいるのも悪すぎる。
「・・・・・あのう・・・・ここに居ても、邪魔じゃ無いですか?」
 テディはそう言って、忙しそうに立ち歩く整備兵に声を掛けた。・・・・ここはモビルスーツ・ドッグだ。関係の無い人間がうろうろしていて、じゃまで無いはずが無い。
「・・・・動くなよ。」
 だが、一人の整備兵がそう言ってくれて、辛うじてテディはキャット・ウォークのすみっこに居させてもらえる事になった。・・・・本人が思っているよりはるかに、この3日でテディは有名人になっていたからである。










 アナベル・ガトーの率いる302哨戒中隊に、とんでもない新人が配属されたらしい。・・・誰もが、彼の下で働きたがるようなそんな栄光ある無敵の中隊なのに。
 その男は、いつもテディ・ベアを抱えているらしい。・・・・ちょっと頭が足りないらしい。
 ガトー大尉はその男のせいで随分苦労しているらしい。










 もっとも、そんな噂などつゆとも知らないテディは、のんびり膝を抱えて、その上にテディを乗せて、中隊の仲間が戻ってくるのを待っていた。・・・こういう、活気の溢れる場所は好きだな。・・・そんな事を考えながら、油と汗にまみれて機械をいじり続ける整備兵達を眺め続ける。
 ・・・・そんなテディの脇を、時々くすくす笑いながら兵達が通りすぎていった。
「・・・・あ。」
 ついに、ガトー達が戻って来た。・・・緑と青の、ガトーのパーソナルカラーで塗られたMS-14S 。それから、後に続く他のメンバーのモビルスーツも。
「・・・大尉、みんな、お帰りなさい!」
 そう言って、勢い良くテディはキャット・ウォークを飛び出したまでは良かった・・・が、案の定半無重力状態にバランスを崩し、テディ・ベアを抱えたままよりによってコクピットから出て来たばかりのガトーの背中に突っ込んだ。
「・・・・・・テディ。」
 心から苦々し気に、そう言ってガトーが振り替える。・・・・他の中隊メンバー達は、もう不満を申し立てるのにも疲れたらしく、次の哨戒任務に出て行く別のパイロット達と手のひらを会わせて挨拶すると、次々にキャット・ウォークに飛び移りその奥の廊下にグリップを握って消えて行った。
「・・・・テディ、何故ここに居る?」
「ええっと・・・・大尉達を待ってました。・・・自分だけ戻っちゃ悪いかと思って。」
 ここに居た方がまずい。・・・ガトーは心底そう思ったが、これ以上このドックの整備兵達に自分の中隊の赤恥を曝すわけにもいくまいという気持ちの方が上回った。
「・・・・ちょっと来い。話がある。」
 ガトーはそれだけ言うと、テディをもビルスーツデッキ脇の休憩室に引っ張て行った。










「・・・さて。この際だからきっぱりと聞いておきたい事がある、貴様は何故ここへ来た?・・・たとえ、どれだけ人が足りなくなろうとも、志願しない限りいきなり最前線になぞ配属されんはずだ。」
 休憩室の自販機で、コーヒーを買ってやってテディに渡しながらガトーが言った台詞は単純で分かりやすかった。・・・・全く。本当に、なんでこの少年はア・バオア・クーへ来たのだ?
「ああ・・・えっと・・・・」
 テディは少し考えてから貰ったコーヒーを有り難く頂き・・・そうして、これだけ言った。
「・・・・ええっと。すいません、僕は志願してません。・・・・そう言う学校だから、ここへ来たんです。」
「どういう意味だ?」
 テディの言っている意味が分からなかったので、ガトーは聞き直した。すると、テディが膝に乗せたテディ・ベアの頭を軽く叩いてこう言った。
「ええっと。・・・学校をタダで出られる代わりに、兵隊を何年かやる学校だったんです。で、兵隊が足りなくなったので、16才だけど、お前も行けって。・・・先生が。」
「何?」
 ガトーは、まだ訳が分からずこう聞いた。
「何だ?・・・お前の親は、お前を普通に学校に通わせる金も無かったのか?・・・確かに兵学校はタダだが。」
「あああ。違います。」
 普段、ケリィなどとの会話ですばやいやり取りに馴れているガトーには、テディとの会話は凄まじくテンポが遅く感じられた。・・・しかし、テディはやっとかろうじてガトーにも分かる内容を話し出した。
「ええっと・・・・僕のお父さんは軍関係の技士で、ええっと・・・・1週間戦争・・・ルウム戦役の時に死んでしまいました。それで、僕は一人っ子で、お母さんは、お父さんが死んでしまったので、やっぱり軍関係の仕事に就いて・・・それで、地球降下作戦の時に、その降下する船に乗っていて・・・・ええっと、どうなったか僕も知りません。・・・連絡が取れなくなっちゃって。」
「・・・・・・・・・・・・」
 やめてくれ。・・・・そこまで聞いただけで、ガトーはそう思った。・・・地球降下作戦だって?・・・・もう、ダメだ、それは。
「それで、ほら、僕は戦災孤児みたいになってしまったので、中学を卒業したら、普通の高校に入るんじゃなくて、兵学校に行くしか無かったんです。」
 地球に降りた連中と、もう数カ月前からまったく連絡が取れなくなったのを、そうして大本営が『地球は無きものとして考える』という発表を出したのを、いくら何でも尉官のガトーが知らないはずは無かった。・・・ああ。戦災孤児みたいな、ではない。・・・・こいつは孤児だ。
「でも、大尉の部下になれて僕、幸せみたいです。・・・だって、みんなが僕の事をうらやましそうに見るもの。」
 最後に、そう言ってテディはにっこり笑った。・・・戦場にはまるで似合わない。










 とんでもなく柔らかな笑い顔だった。・・・・ガトーは涙が出るかと思った。










「・・・・別に、貴様は『うらやましがられて』見られているのでは無い。」
 ガトーはかろうじて、絞り出すようにそれだけを言った。
「え?・・・そうなんですか?・・・・でも僕、やっぱり幸せだなあ・・・・ええっと、戦争が終って、僕が大きくなって、で、子供とか出来たら、絶対自慢して大尉の部下だった事とか言います。・・・子供に。うん。」
 ・・・・なんとかして、この少年の話す事を止められないだろうか。・・・・ガトーはそう思っていた。・・・・だって、負ける。










 ジオンは、きっと負けるのに。・・・このままモビルスーツに乗せていては、絶対にこいつは死ぬのに。










「・・・・分かった、もう部屋に戻れ。」
 それだけ言うと、ガトーはテディを休憩室から追い出した。・・・ああ、この国には。










 あんな少年に与えられる未来も本当に無いのか?・・・・それからガトーは、どうしたらテディを戦場に出さずに済むか、そればかりを考えはじめた。













『テディ』後編に続く。















2000.09.06.










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