第二夜******************









 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・


















 公(コウ)が様変わりした町の中で『その人物』を見かけたのは、ちょうど日が暮れかかった頃だった。
「・・・・・・・・鬼?」
 ・・・・この町は変わった。大政奉還の年に開港した神戸は、今やこの国でもっとも異人が多く見られる町になっていた。五年程前までは、ここは異人と言うだけで『鬼』と呼ばれてしまうような、そんな田舎だったのに。
 公は、港近くに出来たばかりの蘭学校に通う十四才の少年だった。その日は学校帰りに友人と別れてから、海の近くをうろうろしていた。出来たばかりの、もしくは作り掛けの煉瓦の建物。その合間を慣れないながらも飛び回る、日本人棟梁達の威勢のいい掛け声。雑踏響き渡る賑やかな町並み。・・・町。そうだ、五年前にはここは町ですらなかった。・・・ただの小さな漁村だった。
「鬼・・・鬼じゃ無いのか!?」
 公が狭い袋小路からそう叫んだのは、大きな通りを連れ立って歩く数人の異人達に向かってであった。
「鬼・・・・!」
 異人達に向かってそう大声で叫びながら大通りに転がり出て来た公は、端から見ても滑稽だった。なんだ?という顔をして、言葉の通じる日本人達がまず振り返る。魚売りやら、暮れかけの町の中を、家路に急ぐ女子衆などが。
「鬼ったら・・・!!」
 が、肝心の異人達は公の言葉には振り向かなかった・・・当然だ。言葉が分からないのだ。・・・・それでも、公はその異人達の後を追い掛けて通りを走り出した。・・・着物の裾が邪魔だ。草履もなかなか走りづらい。ああ、裸足だったらな。もっと幼かった頃のように。
「ちょっと・・・!」
 そのあまりの勢いに、ようやく異人達は自分達が呼び止められていると気付いたらしい。彼等は、足をとめると公の方を振り返った。それは、宣教師の一団らしかった。中央に立つ男が、黒くてずるりと長い服を着て頭を剃っている。が、公が呼び止めたかったのはその宣教師ではなかった。その隣にいる、二十才くらいの、目立つ色の髪をした洋装の男・・・・。
「・・・・鬼だろ?俺だよ、覚えて無いか?」
 公はやっと追い付いたその男に向かってそういった。しかし、その男は分からないと言う顔をしている。それでも、公が自分に向かって話し掛けたのは分かったらしく、聞きなれない言葉で隣の宣教師に何かを話し掛けた。
「・・・・・」
 しかし、しばらく続いた会話の後で男は小さく首を振って竦める。後ろで束ねられたその髪が、ふわりと揺れたのだけが公の目に残った。
「・・・・・・・鬼じゃ無いのか・・・・・?」
 公がそう呟く前で、異人の一団は踵を返すと歩いて行ってしまう。・・・・なんだ、違うのか、そうか・・・・・・公は思った。





 ・・・・あんな髪の色で。あんな顔かたちで。あんな目の色をしていて・・・・・・・・・・・。










 そんな鬼に。・・・鬼にあった事が有る。














 −−−−−時は、明治三年。










 仕方が無いので、公は相変わらず港の付近を歩き回っていた。・・・鬼の訳は無いか、そうだよな。・・・そして思わず道の真ん中にあった石を思いきり蹴飛ばした。
 『鬼』というのは、公がもう5年も前にあった一人の異人の事である。その異人は『人斬り』をしていた。いや、正確には異人では無いのか。半分、日本人だと言っていたから。ともかくその異人は、『人斬り』なのに返り打ちにあって死にかけていた・・・それをたまたま公が見つけた。そうして何故か、公はその鬼を助けてしまったのである。
 公が鬼の看病の様な事をしていた一週間程の間に、二人は色々な話をした・・・鬼の信じる神の事。この国の未来について。信仰を持たぬこの国の人々に対する鬼の憂い。・・・その何もかもが、九才の公にとっては初めて聞く話で面白かった。そうして鬼は、『人斬り』のくせに、最後は何故か公を斬らずに消えたのである。風と一緒に。
「やっぱり、夢だったのかなあ・・・・」
 公は、とぼとぼ歩きながらぼそり、とそう呟いた。夢。そう。そんな気がしてきていた。・・・時間が経てば経つ程。しかし、鬼との出会いは公のその後の人生を変えた。三年後の大政奉還。士農工商の廃止。辛うじてと言う程度の武士だった公の父親は、あっさりと刀を捨てた。そうして、それまでと殆ど変わらないと言えば変わらないのだが、『本当の農民』になってしまった。
「俺は・・・いろいろ知りたかったから・・・」
 公はそんな世間の流れを見ながら、勉強をしたい、と父親に言った。父親は、『まあ、それもいいだろう』と公を蘭学校に入れてくれた。
「勉強してるんだ・・・・・・」
 聞いてくれる相手が居ないので、公は呟きつつ歩き続けた。・・・そうだ。この国にはあれからの五年で本当に色々な事があった。
幕府と長州の二度目の戦い。訳の分からないお札参りの騒ぎ。次から次へと色々な所で起こる一揆。・・・その様々な事に流されないよう公は足を踏ん張りながら、鬼がやっていたように自分の信じる道を見つけようと四苦八苦していた。鬼は、本当に信念が強かった・・・今の公と殆ど変わらない位の年で、自らの信じる神の為に『人斬り』になってしまうくらいには。
「−−−−−・・・・・。」
 が、今の所公にはそれ程思い入れられるものは何一つ見つかっていなかった。鬼のようには。その歯がゆさに、公は唇を噛む・・・本当は、その悔しさを独り言では無く鬼に言いたかった・・・・・・・と。
「・・・!!?」
 辺りを見ずに歩いていた公は、その時急に伸びて来た腕に脇に引っ張り込まれた。家と家の隙間の高い木塀に挟まれた細い脇道。・・・更に、その人物は公の二の腕掴み上げると、公を木塀に叩き付けた。ダンッという音と、背中が打ち付けられる衝撃。・・・次の瞬間。
「・・・・・・え?」
 公にちゃんと考える間も隙も与えず何かが・・・・公の唇に触れた。
「・・・久しぶりだな、子供。」
「・・・・・・・・・・・おに・・・・・・・・・・!!」
 そこに立って公を塀に押し付けているのは、間違い無くさっき宣教師達と一緒に居た男だった。二十歳くらいの。背の高い、洋装の。
「・・・あんた・・・あんたなんで・・・鬼なら・・・・俺、呼んだのに・・・・!!!」
「事情はいろいろ有る。・・・が、見つかって良かった・・・・」
 鬼はどうやら、あの後公を追い掛けて町の中を随分捜しまわったらしい。額に薄らと汗が浮かんでいる・・・公がそう思った時、
何故か・・・何故か鬼は、もう一回公に口を近付けて来た。・・・もう一回。更にもう一回。それで、やっと公は気付いた。・・・そうか。さっき自分の唇に触れたのは鬼の唇だったのか。
「・・・えっと・・・あの。」
 しばらく公は鬼に手を掴まれたまま塀に押し付けられていたが、ようやっとそう言った。
「何だ?」
「あの、俺・・・・・・なんだろう・・・・・・咽乾いて無いよ。というか、鬼は水を飲んで無いし。・・・何で口をくっつけるんだ?」
 すると、鬼は面白そうな顔をした。
「これは、久しぶりにあった時の挨拶なんだ。・・・そうなんだ。・・・・会いたかった。」
「俺も!」
 公は思わず嬉しくて叫んだ。
「ずっと会いたかったんだ、話したい事がいっぱい有ってさ!・・・でも、何で鬼は俺に会いたかったんだ?」
「ああ・・・」
 そこでやっと鬼は公の手を離した。
「・・・ひどい髪型だな。何だ、その中途半端なのは。」
 鬼が言った。公の問いには答えずに。
「これは・・・・。」
 公は思わず、また唇を噛んだ。確かに中途半端な髪型だった。公の髪は前に鬼に会った時には背中の中程まで有る総髪だったが、今は総髪のまま、肩の先程の長さで切って適当に後ろで縛ってあった。そう、ちょうど。ちょうど鬼と同じくらいの長さの。
「・・・そうなんだ。どうすれば良いのか分からないんだ。」
 その髪の長さこそが、公の中途半端な心境を表現して居た。鬼はといえば、髪の長さはそのままで、後ろで綺麗にひとつに束ている。
「これ・・・切った方がイイと思う?斬切りにさ。」
 鬼は少し目を見開いてから・・・・空を見上げるとこう言った。
「勿体無いな。・・・せっかく、夜の空と同じ色なのに。」
「そりゃ、鬼の頭だろ・・・何で束ねてるんだ。月と同じ綺麗な色なのに。・・・というか、鬼はずっとこの町にいたのか?・・・俺、知らなかったな・・・・」
「違う。」
 鬼はそう言うと、唐突に髪をほどいた。・・・その綺麗な月と同じ色の髪が、宙に舞った。
「・・・違う。たまたま、戻って来たんだ。・・・・・・・・・・・お前を殺し損ねたのを思い出したのでな。」
「・・・・ああ・・・・そうか・・・・・」










 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・











 ともかく二人は連れ立って狭い脇道から出ると、更に港の方へと歩いていった。通りに出て、公は初めてもうとっぷりと日が暮れている事に気付いた。考えながらうろうろして居たので気付かなかったのだ。そうして公は、やっぱり鬼には夜にしか会えないんだな、などと少し思った。
「・・・この辺りは?」
 随分と港の突端の方まで歩いて来てから、急に鬼がそういった。
「ああ・・・ここはめりけん粉が着く波止場だ・・・米国から。だからみんなめりけん波止場って言ってるよ。」
「そうか・・・。」
 二人の足下の桟橋の下から、ちゃぷちゃぷと波が寄せては返す音が聞こえて来ている。どん詰まりまで歩いて来てしまっていたので、辺りには停泊する外国船の巨大な黒い影の他、何も無くなってしまっていた。・・・とても一人でここまでは来れまい。公はそう思った。自分一人だけだったら、きっと途中で異人に咎められる。異人そのものの格好をした鬼が一緒だから、ここまですんなり来れたのだろう。
「随分大きくなったな、子供。」
 鬼がそんな事を言ったので、公も答えた。
「うん、もう十四になった。・・・鬼も大きくなったな。」
 その公の口調が面白かったらしく、鬼は小さく笑った。
「そういえば、鬼は・・・本当はなんと言う名前なんだ?」
 公がそう言って急に立ち止まったので、鬼も足をとめると振り返った。
「うむ・・・・新しい名前を父の国から貰った。日本名も有るが・・・それは捨ててしまった。」
「この国を捨ててしまったのか!?」
 公は少し驚いて言った。
「いや・・・そういうわけではないが・・・・・名は・・・今は・・・」
 急に鬼が公の耳もとに口をあてると、まるで内緒だと言わんばかりに早口でその名前を言った。
「あな・・・べ・・・なんとか。・・・人間の名前らしく無いと思うぞ。・・・・・・・鬼のままでいい?」
 舌を噛みそうな公に、鬼はまた笑った。
「かまわん。どうせまたすぐにここから居なくなる。」
「そうか・・・・・・・。」
 居なくなる、というのは本当の事だろう。前もそうだった。だが、公は寂しさよりも、まだ何も話せていない自分に苛立ちを覚えた。
「そうなんだ・・・鬼はそうやっていつも・・・自分の自分の信じる道を進んでいるのに・・・俺は一体、何やってるのだろうって・・・。」
 公がそう小さくいうと、鬼はふいに、眉寝を寄せた。
「子供。・・・いや、公といったな。」
「なんだ?」
「酒でも飲むか。・・・それに、この町の山の方をまだ見ていない。」
「酒か?・・・うん、山の方も随分変わったよ。今度、異人の町を作るんだそうだ、坂の途中に。・・・しかし、鬼は人斬りはやめたのだろう?父上の国の人になったのだろう?・・・伴天連の神を信仰する人は、酒を飲まないと学校で教わったぞ?いいのか?」
 と、急に公は鬼に肩を掴まれた。
「・・・・いろいろと、」
「・・・?」
 鬼は少し恐ろしい顔をして公を見ている。しかし、鬼の顔をまっすぐに下から覗き上げる公に、遂に鬼の方が目を逸らした。
「いろいろと有るのだ、こっちにも事情が。」
「・・・・うん・・・。」
 そう、絞り出すように言った鬼が何やら辛そうだったので、公はそれ以上は聞かないでおいた。
 二人は町中の屋台で土瓶に入った酒を一本買うと、交代で飲みながら坂道を山の方へと登っていった。
 ・・・月が。月が、大きい・・・・。










 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・










 代わりばんこに土瓶の酒をラッパ飲みしながら、ふらふらと坂道を登ってゆく鬼と公は、端から見ると不思議な二人連れだったことだろう。
「なあ、鬼。俺はいろいろ勉強したが・・・」
「なんだ、子供。・・・・お前、酒は強いのか?」
「いやあ・・・?学校の友人達と面白がって二三度飲んだ事が有るきりだ。で、勉強したんだが・・・」
 随分足がよろけ出して自分の方に転がり込んで来た公を、鬼は苦笑いしながら受け止めた。
「十四と言ったら昔なら元服の頃だぞ。嫁だってもらえる年だぞ。何を飲まれている。」
「なら子供って呼ぶな・・・そうだ、勉強したのに・・・何も分からなかった・・・」
 しかたないので、よろつく公を抱えたまま、それでも二人は坂道を上がっていった。酒の土瓶は空になったので途中で捨てた。
 ・・・・・・・・・唐突に、風景の開けた場所に二人は出る。
 あまり数が多くは無い眼下の町並みを、そうしてその向こうの黒々とした海を、鬼は公をぶら下げたまま有る種の感動を共なって見た。
「・・・ああ・・・。」
 美しい町だ。ここは。・・・吹き上げて来る冷たい海からの風。
「・・・・鬼・・・俺、気持ち悪い・・・・右手に・・・右手の草むらに入って・・・」
「・・・あのな、子供・・・・。」
 自分の感動を打ち砕くような公の情けない声に、鬼は呆れ果てながらも言われた通り草むらをかき分けて入っていった。すると、そこには小さな沢が流れていた。公は、とりあえず吐き戻すと沢で口をすすごうと思ったのか顔を突っ込んだ。・・・・と。
「・・・子供!何やってる、死ぬ気か!!」
 いつまでたっても公が沢から顔を上げない。鬼が慌てて襟首を掴んで沢から公の顔を引っ張り上げると、公は息を取り戻して少しむせながら近くにあった木の根元に寄り掛かった。
「ああ・・・助かった。」
「・・・・・・・・・・・・・・ここは・・・。」
 その時、ようやっと鬼が気付いた。・・・・ここは。
「うん、そうだ・・・五年前、鬼がここに転がってたんだ。」
 公はそう言うと、木の下にごろんと横になった。
「ここに居て、それで、いろんな話を・・・・・・・・」
 公が続きを話そうとしたそのとき、ふいに目の前が遮られてその唇に、鬼の唇が触れた。
「・・・・何?」
 公が言う。
「あの・・・どうせなら、水が飲みたい・・・・咽乾いた・・・・。」
 そう言った公に、鬼はのしかかったまま小さく下を向いてしばらく肩を震わせて笑っていたが、きちんと自分が水を飲んで来て口移しで飲ませてくれた。冷たい水が、公の口の中に流れ込んで来る。・・・水が無くなる。だが、暖かい鬼の唇は離れ無かった。口付け。もう一回。更にもう一回。
「あの・・・・何?」
 公が暫く経ってからもう一回そう言った。
「そうか・・・あんた、俺とまぐりたいのか?」
 困った顔をしてそう言った公に、鬼は、今度は大爆笑した。
「意味が分かって言ってるのか、子供・・・!」
 鬼は公の上に乗ったまま、まだ笑っている。
「分かるさ。友達が言っていた。しかし、俺は婦女子じゃ無いぞ?それに・・・伴天連の神では・・・・この国の様に、男と交わったりする趣味の連中が居るのもいけないのだと学校で聞いたぞ・・・人殺しと同じように。」
 そう言った公の言葉に、鬼の顔から笑いが消えた。
「・・・そうだ。それは罪だ。」
「うん・・・だから、鬼はもう『人斬り』ではないのだろう?父の国の名前を貰って、自分の神の為に『別の方法』で生きられるようになったのだろう?」
「・・・そうだ。その方が正しいと思った。この国は変わるべきだと。」
「ああ・・・鬼は・・・あんたはいつも、国の事とか神の事とか考えているんだね。すごいな。・・・俺も、この国が良くなるように頑張らないと・・・」
 そう感心したように公が言うと、急に鬼のほどいたままだった髪に触れたので、今度は鬼の方が身じろいだ。
「・・・でも・・ちょっと思ったんだ、俺・・・・あんた自身が・・・やりたい事は無いのか?あんた自身がやりたいと思った事は。」
 ・・・二人が寄り添って寝転がる木々の上を、吹き抜けてゆく風。
「あんた自身が『幸せになろう』と思った事は・・・・・?」










 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・










 急に、鬼が公の首につかみ掛かるとそれを絞めた。公は、酒が抜けずにぼうっとしていたので、それを逃げる事も出来無かった。
「な・・・・」
 鬼は、すごい表情で公の首を絞めたまま、その頭を地べたに叩き付ける。ひどく。二回。三回。・・・そうして、やっと手をほどいた。公ときたら、さっきその手で絞め殺されかけたばかりだと言うのに、自分の首からほどかれた鬼の大きな手を、その長い指を、なんて綺麗なんだろうと、朦朧とした目で見つめていた。
「なに、す・・・・くるし・・・」
「・・・俺には、理想があった。その為には人斬りもやった。・・・それが自分の神に対して罪になるのは知っていた。・・・しかし、この国が閉ざされていた間は他にどう仕様も無かったからだ。・・・だが、国は開かれた。同じ神を信じていた人々がやって来た。だから、俺は自分の行った罪をみんな彼等に言った。・・・それを裁けるのは彼等だけだろうと思ったからだ。」
「何の話・・・」
「良いから聞け!だが、奴らは俺を裁いてはくれなかった。別に誉めもし無かったがな。・・・それだけだ。いっそ、要らんと言ってもらった方がましだった。・・・あんな目に遭うくらいなら!ここまで飼い殺されるくらいなら!!」
「だから・・・なに・・・」
 公は思った。・・・鬼は、泣いてる?泣いてるのか?
「・・・面白がって、男とまぐわるなんて言うな、子供。・・・この国はあいかわらず最悪なままだ。」
 鬼の言いたい事の半分も、公はあいかわらず九才の頃と同じように分からなかったが、とりあえず手を差し伸べると鬼の髪を・・・撫でた。
「うん・・・わからないけど・・・わかった・・・・・・・あいかわらず綺麗な髪の毛だなあ・・・・・」
 鬼の髪を撫でた。・・・『自分をついさっき殺そうとした男』の頭を。
「−−−−−−−−−−−−っ、」
 とたんに、鬼が今までとは全く違う勢いで公に口付けて来た。公は、息が止まるのでは無いかと思った。
「・・・貴様は・・・面白いくらい・・・純粋なままだな・・・!!何をしても・・・殺そうとしてもだ・・・!」
「・・・俺とまぐわるのか?」
 悔しげに唇を離してから、自分の傍らに沈み込んだ鬼に、公はそう言った。・・・苦しそうだ、鬼は。
「貴様は、婦女子とだってまぐわったことがなかろうに!死ぬ程辛いぞ。分かっているのか。」
 その言葉に、公は空を見上げて少し考えた。
「うん・・・鬼がそうしたいならいいよ。」
 鬼の。鬼の、月と同じ色の髪の毛の向こうに−−−−−−−−





「それに、死ぬのは平気だ。辛く無い。・・・俺、あれからずっと思っていたんだ・・・・・・・・出来るなら、」





 −−−−−−−−月が。





「出来るなら鬼に殺されたいって。」





 鬼は、思わず目眩を覚えた。・・・・これ以上の。










 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・










 これ以上の殺し文句がこの世に有るか−−−−−−−−−−−−・・・・?














 鬼が、公の着物の前をはだけさせるとありとあらゆる所に口付け始めたので思わず公は笑い出した。
「くすぐったいぞ・・・」
「黙ってろ。」
 そう言うと、鬼はまた息の止まるような口付けを公にした。・・・ああ。やっぱり何か違うな、この口付けは。公は思った。
「なあ・・・鬼、一体なにをやるんだ・・・・?まぐわるって。」
「・・・お前本当に何も知らないんだな・・・」
 鬼は呆れたようにそう言つつ、自分も上着を脱いだ。
「・・・頭が足りないんじゃ無いか。」
 そう言われて、公もむっとした。
「そんな事は無いよ!友達は面白いって言ってた。面白くて気持ちが良いと。」
「面白くは無いだろう。」
 そう言いつつ、鬼は唇と手とで公の体中に触れてゆく。公はやはりくすぐったくて笑い続けた。
「鬼・・・なに?」
 と、鬼が殆ど公の着物を脱がせてしまうと、自分も洋装の釦をはだけて上にのしかかりながらとんでもない所にまで触って来たので公は驚いた。
「ちょっと・・・そんな所まで触るのか?・・・ちょっと・・・!」
「そうだ。全部だ。」
「ちょっと・・・やめなよ、汚いよ!?」
 自分の足の間に顔を埋めそうな鬼を、公は慌てて引き止めた。
「何故止める。」
「だから、汚いって・・・!」
「そうだ、これは汚い行動だ。」
「分かってるなら何でするんだ!」
「それでもそうしたいという事が、まぐわるという事だからだ。」
「ちょ・・・!」
 鬼はもう、公の子供地味た言葉を聞いていなかった。公の後ろに、手を回し、その穴の縁をなぞる。それから、思いきったように指が公の中に入って来た。
「・・・・・・・っ、やめなよ、鬼・・・!!よごれるよ!よごれるったら、鬼の指が!」
 その公の言葉に、鬼は少し行動を止めた。公はと言えば、それでも鬼が指を抜いてくれないので泣きそうな顔で鬼を見上げていた。さっき、自分の首を閉めようとした鬼の指の事を思い出した。・・・あんな綺麗なものを汚したく無い。
「・・・なんと言った。」
「だから・・・鬼の指がよごれるって・・・っ」
 鬼はそれ以上聞いていられるかといった風で公の口を塞いだ。
「・・・う・・・・」
 口を塞がれていては、これ以上文句も言えない。鬼は勝手に公の中を探り続けた。公は、そのなんとも言えない奇妙な感覚に困っていた。楽しくも、気持ちが良いとも思えない。初めての事なので、何にも例えようが無い。
「ん・・・・・・・・・・っ」
 やっと鬼が口を離してくれた。と、その時鬼が公の内部で有る部分にふれて、公は思わず仰け反った。
「ひ・・・!」
 とんでもない声が出そうになったので、思わず自分で口を押さえる。
「・・・ここか・・・」
 鬼は心持ち安心したように、その場所を丹念に触りつづけた。公はといえば、それまでと全く違う感覚が背筋の辺りを襲うので困りはじめた。・・・鬼に触れられてももうくすぐったいとは思えない。・・・その代わりにとても困る。
「あ、の・・・鬼・・・ちょっ・・・」
 しらないうちに鬼の指が増えていた。
「ど・・・どうす・・・」
「ここに入れる。」
 鬼がとんでもない事を割と冷静に言ったが、公はまともな返事も出来なくなっていた。
「や・・・やめなって・・・・・・・鬼ってば・・・!!!ちょっと!!」
 が、鬼は軽く公の腰を持ち上げると指の代わりに何かをそこに当てた。公がそれが何かを理解する前に、足を開かせた公の間に、鬼の身体が沈みこんだ。
「・・・・っやめ・・・・・・・・・っ、やめろぉ!痛い!!痛いったら!!やめ・・・!!」
「・・・・だから言っただろう、死ぬ程辛いって。」
 さすがに、あまりの痛さに本気で鬼を押し返そうとする公の耳もとで、鬼がそう言った。
「何で・・・・・・!!何でみんなこんな事、やりたがるんだ・・・!!ただ、痛くて辛くて・・・っ!」
 遂に本当に泣きながら公がそう言った。が、遂に鬼は最後まで入れてしまった。
「恐くは無いのか・・・・?」
「恐くは無いよ・・・・・・鬼だって分かってるからさ・・・でも・・・・・・っ」
 自分の中に有る物のあまりの異物感に、公は考える事もままなら無いままそう答えた。ただただ首を横にふる。
「・・・そうだ。汚くて、痛くて、切なくて、・・・そして愛おしい・・・」
「・・・っっっ!」
 公が驚いた事に、鬼は少しづつ身体を動かしはじめた。公の中に入っている鬼が、さっき指で触れられたあの箇所を、今度は別の感触で押して来る。
「・・・・っわああああああああああ!」
 公は、遂に鬼の髪を掴んだ。・・・・・・鬼の肩ごしに、鬼の頭と同じ色の月。
「な・・・・んで・・・・・・・っ!」















 汚くて。痛くて。とても切なくて。・・・・・・・だけど愛おしい。





 それは、まるで。それはまるで、渾沌とした、この世界そのもの−−−−−−−−−−−−−−−−。















 殺されたい。
 殺されたい、出来るなら、鬼に−−−−・・・・















 情交、と呼べる程上等な物でも無かったが、最終的に公は明け方の光を空に見ながら鬼に頼み込んでいた。
「あのさあ・・・ひとつ、頼みが・・・・・」
「・・・何だ。」
「目が覚めたら居なくなっていないでくれないか?この前、そうだったから・・・」
 よほど疲れたのだろう、公の着物と、鬼の服と、ごちゃ混ぜになった物に包まり、更に鬼に抱き締められたまま公はそう言うと目を閉じて、あっという間に寝息を立てはじめた。
「・・・それは、聞けないな・・・もう朝が来る。」
 鬼は小さくため息をつくとそう言って空を見上げた。
「それから、父上殿に悪い。母上殿も嘆かれるだろう・・・・・」
 そこまで言って、鬼は首を振った。
「・・・何を考えているんだ。・・・公を連れて何処かに逃げる気か、俺は・・・・・・・・」
 相変わらず世間は渾沌とし。何が正義やら真実やらかは分からず。人々はその日を生きるのに必死で。
「・・・・じゃあな、公。」
 鬼は起き上がった。もう『子供』とではなく、名前を呼んでくれている事に、公は気付かなかった。公には言えない。鬼は思った。自分はあいかわらず『人斬り』だ。それも、しかたなくでは無い。自分の信じていた神の家にそれをやれと言われている。それ意外にも。それ意外にも、沢山の事を、自分は信じていた自分の神の代理人に要求されたのだ。・・・言えない。だがそれからも逃れられない。混乱は続く。この国も、自身も、神ですらも。










 汚くて、痛くてとても切なくて。・・・・・・そして愛おしい。 
 それは、この世界そのもの。それこそが、この世界そのもの。
 この世界を生きてゆくと言う事そのもの。










 ・・・・・殺して。















 明治六年。政府は、基督教禁止の高札を廃した−−−−。



















   第三夜へ






















明治元年>1868年。戌辰戦争ぼっ発。上州、信州、野州などで『世直し』運動。
明治二年>1869年。高崎、美濃、摂津などで騒動。
明治三年>1870年。新政府、農民弾圧に軍隊を派遣。









  00/05/05 初出 以後、随時加筆修正。