京都は四条の、とある大きな本屋の『語学コーナー』の前を、もう半時間ほどコウはうろうろして居た。
「・・・・・うー・・・・うぅ?・・・うー・・・・」
独り言だかうめき声だか分からない声を上げながら、周りの客が迷惑がるのも全く気にしない様子でコウは書架の前をうろうろし続けている。・・・いや。自分が邪魔になっているとは本人は気付いていないのだろう。と、ふいに決心した顔になるとある本を引き抜こうとして手を伸ばす。・・・・・・・その時。
「・・・あ。すいませ・・・・」
コウは、少し体勢をくずして後ろを通り抜けようとしていた1人の客とぶつかってしまった。
「Sorry.」
ぶつかった相手は、早口にそう返して来る・・・ああ、外国人とぶつかっちゃったのか、俺?コウがそう思って振り返った瞬間。
「・・・あれ?コウ君じゃないか?」
「・・・あれ?シャアさん?・・・何ですか、『ソーリィ』なんて言っちっやって。シャアさんフランス人でしょ?」
そこに立って居たのは、コウと同じ大学にフランスからの留学生としてやって来ている友人のシャア・アズナブルであった。・・・しかも、女連れだ!
「・・・って、あー・・・デートの最中ですか!お邪魔しました・・・」
コウが良く分からない事を言いながらその場を立ち去ろうとすると、驚いた事にシャアの方がコウの腕を掴んでくる。そうして、連れの女にコウには分からない言葉で早口に何か言った・・・・女性もまた、外国人であった。
「・・・いや、ちょうど良かった。」
結局、何故か女を帰してしまってからシャアはにこやかにコウに向かってこう言った。
「あの女とは、実はあまりデートしたく無くてね。誰かに会わないかと思っていた所なんだ・・・さあ、飯でも食いに行こうか?さあさあさあ。」
そうして、自分はさっさと本屋の出口に向かおうとする。そのシャアの行動に、え?え?え????と大混乱しつつも、コウは慌ててその背中を追いかけた。
『バラ色の日々』シャアとコウの番外編(笑)。
「えっと・・・・ともかく!飯っておごって貰えるんですか!?」
本屋を出たとたんにそう言ったコウに、シャアは思わず苦笑いせずにはいられなかった。・・・なんて分かりやすい人間だろう。
「構わないとも、助けられたからな。大丸のアフタヌーンティーでいいかい?」
コウはその店が何の店だか知らなかったが、ともかく喜んでこくこく頷いた。その有り様に、シャアはまた心の中で笑った。・・・こういう時、シッポがあったらぱたぱた振り回して喜ぶ事間違い無しだな、コウ君っていうのは。
「・・・こんな所で何をしていたんだ?」
シャアが四条のアーケードを抜けながらそう聞くので、コウは本屋で『語学コーナー』に居た理由をつい話しそうになり・・・慌てて口を押さえて止めた。
「ひ・・・秘密です。シャアさんこそ、なんで英語なんか話してるんですか。」
隠し事一つするのにも苦労する性格なのか。・・・シャアはそんなコウにまた笑い出したくなったが、何とか押しとどめた。そうして、大丸百貨店の中に有るアフタヌーンティーのティールームに入ると、二人は向かい合って腰を下ろした。
「さて・・・と。英語を話していたのは、日本人てのは外国人を見たら九割方アメリカ人だと思ってるからさ。それで、コウ君はどうする?私は、お昼はいつもサラダしか食べないからそれで済ませるけどね。」
「サラダって・・・それだけでお腹いっぱいになるんですか?・・・ここ、御飯は無いの?」
コウがそう言ってあまりに悲しそうな顔をしたので、シャアは遂に吹き出した。
「・・・そうか・・・悪かった・・・ええと、ここは喫茶店の様なものだから御飯は無いよ。後で、別の店に入り直そう。いいかい?」
すると、コウは嬉しそうにひょこっと顔を上げた。
「ホントですか?でも俺、コンビニの弁当でいいです!だけど・・・二つ買ってもらえると嬉しいな!」
シャアは、もう本当に笑いが止まらなくなっていた。下を向いて肩を震わせていたのだが、それでも涙が出てくる。
「・・・分かった。分かったからあまり笑わせないでくれたまえよ・・・・・」
シャアは息も絶え絶えにそう呟くと、自分の為にシーザーサラダを、それからコウの為にシフォンケ−キとアイスティーを注文した。
大丸を出た二人は、途中でコウ御希望のコンビニ弁当を2個買ってから、鴨川の河原に向かって歩いていた。その日曜は、とても天気が良くて河原でお昼御飯をがっつくには最適だったからである。
「なあ、コウ君・・・・」
シャアは、ふと思ってコウに声をかけてみた。・・・常々疑問に思って居た事が有る。
「君は、やけにガトーがお気に入りみたいだが何でなのだい?」
シャアにとっては、ガトーのように小さな事に細かい上にクソ真面目この上ない男は苦手の極地である。すると、嬉しそうに弁当を振り回して居たコウがちょっと立ち止まって考えた。
「お気に入り?・・・・違うよ、ガトーが強いから追いかけてるんです。俺、勝ちたいから。」
「−−−−−・・・・・」
ガトーに戦いを挑んだ挙げ句に『勝ちたい』という発想そのものがシャアにとっては発想外そのものである。ああいう人間は、まともに付き合わずに適当にはぐらかしておくに限る。そう考えていた。
「なんと言うか・・・君はタフだね。」
「そうっすか?」
そんな事を話しているうちに、二人は鴨川の河原に着いた。
「おいしいー!シャアさん、このシャケ、半分いりますか?あげますよ。」
「いや、いらないよ・・・。」
シャアは、またしても吹き出しそうになるのを堪えながら辛うじてそう答えた。鴨川の岸辺りに、二人は並んで腰を下ろして居た。・・・いい天気だ。冬空だが、日が照っているおかげであまり気にならない。見ると、コウは一個目の弁当を見事にたいらげ、二個目に移るところであった。
「そういや、シャアさんこそいつの間にアムロと仲良くなったんですか?」
ふいに、口の脇に米粒をくっつけたままコウが顔を上げて聞いた。・・・鴨川の河原にはカップルが等間隔で並んでいる。それを、日本人ってのは本当に面白いな・・・と眺めつつシャアは答えた。
「・・・いつの間にやら仲良くなったのさ。」
まさか、『寝てしまったからです』とも言えまい。すると、コウはしばらく箸でつまみ上げた空揚げをしみじみ見つめていたが・・・やがて言った。
「アムロって・・・やっぱり『強い』ですよね。俺、強い人って何だか好き。」
コウにとっては、言葉が見つからなかったので何となく言った台詞だったのだろう。しかし、シャアは思わず心を鷲掴み見された様な気がしてしみじみとコウの顔を見つめた。・・・米粒がまだ付いているな。・・・いや、それはともかくだ。
「・・・そうだな。なんと言うか、『強い』な。」
しみじみ見つめられている事にやっと気付いた風で、コウもシャアの顔を見る。
「でしょ?・・・あの、俺の顔、なんか付いてます?」
それは、肉体的な強さでは無い。アムロは、いつもつるんでいるシャアとコウとガトーの四人の中では一番ひよわな体格だろう。・・・それでも、何か強いのだ。何処か強いのだ。
「米粒が付いている。」
シャアは答えた。すると、コウが慌てて口元に手をやった。
「あ、ホントだ。・・・ね、俺ってこういう風に、元気はいいけどときどき混乱しちゃったりするでしょ。でも、アムロにそれを話すと・・・元に戻るの。アムロが、ちゃんと立ってそこにいるからなんだよね。」
だから寝ちゃったのかも知れない・・・アムロが許してくれたから。と、シャアは思ったが、そうはやっぱり言えなかった。それで、代わりにこう答えた。
「そうだ、ちゃんと立っている。安定している。・・・だからアムロと仲が良くなったんだよ、きっと。私はね。」
そのシャアの台詞を聞いていたのかいなかったのか、ともかくコウは二個目の弁当もたいらげると立ち上がった。
「ね、シャアさん、鴨川にカメの形をした飛び石があって、河を横切れるの知ってますか?」
シャアはそれを知らなかった。
「いや?」
「じゃ、そこまで歩いて見に行きましょうよ!出町柳に有るんです!」
「出町柳って・・・・出町柳か?」
シャアは思わず聞き直した。ここは四条だぞ!?
「そうです。・・・食後の運動!」
元気が良いのはいい事だ。・・・が、シャアは思った。コウ君と一緒に行動していたら過労でぶっ倒れる!
「はやくーーー!」
そんなシャアの気持ちを知ってかしらずか、コウはさっさと歩き出していた。10メートルほど先からぶんぶんと手を振ってそう叫んでいるのが聞こえる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・ガトー、長生きしろよ・・・・」
シャアは、思わずそうつぶやきながら自分も立ち上がった。
四条から出町柳までは確かに河原を歩き続けていれば一直線に辿り着くがそれなりに距離があった。それを、シャアはマイペースに歩いてゆくのだが、コウはそのペースが自分にあわないらしく、たたたたーっと駆けていってはシャアが居ないのに気付いてまたたたたたーっと走っては戻ってくる。まるで、犬を連れて散歩をしているみたいだ。シャアは思った。子犬が、放してもらって喜んで飼い主の周りをくっついたり離れたりしている状態。
「シャアさん、あの人何か釣れたみたい!」
おまけに、コウときたら駆け戻ってくる度に、シャアに辺りの風景の説明をするのだった。・・・確かに、今鴨川で釣りをしているおっさんの竿に何かかかったみたいだったな。しかし、それは自分にとっては目の端に映る程度の事でコウのように大騒ぎするほどの事では無いのだった。
「・・・コウ君。」
遂に、耐え切れなくなってシャアはコウにそう呼びかけた。
「・・・・なんですか?」
50メートルほど先まで走って行っていたコウが、とたんに急いで戻ってくる。思わず、シャアは手を出して言ってみずにはいられなかった。
「お手。」
・・・すると、コウはしばらくそのシャアの手を見つめていたが、首をかしげた挙げ句にそれに自分の手を重ねた。そしてもう一回言う。
「・・・なんですか?」
シャアは、もう目眩がするほど愉快になっていた。いや、用は無い。どうしよう・・・と思っていた時に、さっきコウが本屋でうろうろしていたのを思い出した。
「いや・・・だから・・・・コウ君は本屋で何をしていたんだい。気になってしょうがない。」
すると、コウは驚いた事に赤くなった。
「うー・・・シャアさんになら言ってもいいか。笑わない?」
「笑わないよ。」
自信は無かったがシャアはそう答えた。
「・・・フランス語の教本を探してたんです。・・・ねえ、どうしたらあっという間にフランス語が上手くなれますか?」
「−−−−−−−−−−−−−−−−−−・・・・・」
シャアは、ちょっと呆れた。・・・なぜコウがそんなものを探しているのかすぐに見当が付いたからだ。
「そりゃ・・・・コウ君・・・・フランス語が上手くなりたければ、フランス人と恋をするのが一番だ。」
「うえっ!?」
コウが慌てた顔をした。
「でも・・・俺と付き合ってくれそうなフランス人なんて知らないし・・・シャアさん、紹介してくれますか?」
コウの目はかなり本気だ。・・・笑わないと約束していたにも関わらず、シャアはやっぱり吹き出した。
「紹介してやろうか?そいつは、剣道をやってるとびきりの美形だぞ・・・・・・・ただし身長が190センチ以上あるが。」
そのシャアの返事に、コウはしばらく考え込んだ。・・・そして言った。
「・・・・その人だけは勘弁して。」
「ふーむ・・・じゃあしょうがない。ガトーに、こう言ってみたまえ。『Je te veux.』・・・きっと喜んで君にフランス語を教えてくれるだろうさ。」
しばらくコウは考え込んだ・・・鴨川で釣りをしていたおっさんは、また何か釣り上げたようだ。
「・・・うん、言ってみます!」
結局コウはそう答えると、シャアに向かって太陽のような顔で笑った。・・・シャアは、思わずもう一回言わずには居られなかった。
「・・・お手。」
コウは、首をかしげてから、もう一回シャアの手のひらに自分の手をぽんっと乗せた。
それから二人は出町柳まで歩いて行って、コウ念願のカメの形の飛び石を飛び越え、反対側の岸に立った。・・・帰りはシャアの希望で京阪電車に乗って帰って来た。
数日後の大学で、シャアとアムロも交えて四人でしばらくだべった後別れたコウとガトーは、剣道の練習場の有るデイヴィス記念館に向かって坂道を歩いていた。
「・・・フランス語を習うとは・・・・」
と、ガトーにしては遠慮がちに、そう切り出されたのでコウはガトーの方を向いた。
「また、とんでもない事を思い付いたものだな。」
冬の空に、今日もまた暖かい太陽が出ている。
「そう?そうか???うーん・・・ああ、ガトー。そう言えば、『Je te veux .』って何の意味?」
コウがそう言った瞬間、ガトーは本気で立ち止まった。・・・っていうか、固まってる?
「・・・・・・・シャアだな?」
よほど立ってから、ガトーが辛うじてそう言った。・・・・何だか、赤くなってる?
「うん、そうだけどさ・・・・だから、どんな意味なんだ?『Je te veux .』って。」
「何度も言うな!・・・それに、それは女性名詞だ!」
ガトーが急に怒鳴ったので、コウは驚いた。しかし、しつこく言ってみた。
「・・・言っちゃダメなのか?」
「お前には、私がフランス語を教える!だから、二度とシャアには教わるな!」
コウは慌ててこくこく頷いた。・・・ちょっと落ち込んだ。でも、シャアさんの言った通りだったな。
こうしてコウは、またと無いフランス語の個人教師を得た。・・・え?フランス語の意味はなんだって?
「・・・シャア!よくもコウに『あなたが欲しい』なんて言葉を教えたな!」
「『Je ne veux pas travailler.Je veux fumer. 』(働きたく無い、煙草が欲しい)の方が良かったか?」
「・・・・・・・貴様っ・・・・・・そこへ直れ!」
次にシャアとガトーが会った時、血を見る様な惨劇になったのは、言うまでも無い。
終り!だけど、この話は『ばらいろのパ・デュ・トゥ』の続き・・・(笑)。
2000/07/13
HOME