「・・・貴様、『しあわせ』くらい漢字で書かないか。」
「・・・・えー。だって、カタカナで書いたって同じように『シアワセ』って読めるのだから、なんの不都合もないだろう?・・・・大体『シアワセ』ってどんな漢字だい。」
「『幸多き』のサチ。・・・分からないのか?」
「分かったら最初から書いてますー。」
 ここは、京都にある某私立総合大学。・・・六月は大学生達にとっては、不思議に安定した季節である。新学期に選択した講議の内容にもある程度慣れて来て、かつ七月の前期試験まではまだ時間のある、そんな時期。毎年梅雨入りは六月も十日過ぎだから、まだ天気に呪われていない心地よい大学の前庭で、四人の学生達はベンチに腰掛けてのんびりとした午後を過ごしていた。
「だからつまり・・・・他の言い方をすると『幸福』のコウ、だ。」
「ますます分からない・・・・・。」
 さて、この四人の学生達とは外国人留学生であるガトーとシャアと、それから日本人のコウとアムロなのだが、今は面白い事に外国人であるガトーが、同じく外国人のシャアの『日本語のレポート』を添削してやっているところだった。コウとアムロは、それぞれに雑誌を読んだり携帯をいじったり、好き勝手なことをしている。ちなみにベンチは小さくて二人座るのが精一杯だから、コウとアムロの二人はシャア達が座っているベンチの足下の芝生に座り込んでいた。
「だから、コ、ウ!・・・・ええっと・・・・この漢字には他に読み方はあったかな・・・・」
「大体ねぇ。同じ字にいくつも読み方があったりするのが間違っているんだよ!いいじゃないか、私は日本語を話すのには不都合がないんだ。」
「訓読みでシアワセ、サチ・・・音読みでコウ・・・コウ、他に読み方は・・・・」
 と、そこで携帯を手にしていたアムロがおもむろに立ち上がると、話題の的になっているシャアのレポートを覗き込む。そして叫んだ。
「・・・・・あんった、ほんと日本語『書くの』下手だな!!!うっわ、俺の字より汚ねぇ・・・・!」
「ここぞとばかりに人のレポートにそんなことを言うのはやめたまえ、アムロ!」
「コウ・・・・・・・・・うーむ。」
 すると、考え込んでしまったガトーのそのつぶやきにやっと気付いたようで雑誌を読んでいたコウも顔を上げる。
「・・・・え!ごめん、今、俺のこと呼んだか?ガトー!!」
「いや、貴様を呼んだワケではない。」
「でも、コウって言っただろう!!」
「それは漢字の話なんだよ、コウ君。」
「・・・・だから、汚い字に汚いって言って何が悪いんだよ!!」
 とたんに、四人はまったく手のつけられない大騒ぎにおちいってしまった。と、そんな四人の脇を、カメラをぶら下げた一人の人物が面白そうに通り過ぎてゆく。
「・・・・・・ったく、あいっかわらずまとまりのない集団だね、あんたら・・・・・・」




 あ、と思う間もなく、通り過ぎ様に写真を一枚撮られた。・・・・新聞部で、コウやアムロと同じ学部の先輩、甲斐 嗣典(カイ シデン)だ。もちろんカイは、すぐさま身を翻すと急ぎ足で逃げてゆく。




「・・・・あー!!!何写真撮ってるんですかカイ先輩っ、」
「貴様!プライバシーの侵害だと、何度言ったら・・・・・まったく!」
「どうせならもっとイイ顔をだな・・・」
「この間は写真ありがとうございましたー!!」
 次の瞬間、四人は更に好き勝手なことを話し始めたのだが、良く考えると今日は四人ともこれ以上大学にいる用事がない。いつもの習慣でずいぶんとだらだらしてしまったが、そろそろ家に戻るべきだろう。もちろん、途中で夕食は食べてゆくのだろうが。・・・・・まったく平和でいつも通りに見える、




 梅雨入り前のある日の夕暮れ時だった。













『バラ色の日々』・・・・はい、では始めますよ、これが問題の三部作ですよ、の、第一話(笑)。














「・・・・・あぁ、そう言えば、カイさんって言えばさあ・・・・」
 結局四人は、今日は大手筋のお好み焼き屋で夕食を取る事に決めて、電車に乗り込んだ。大手筋、というのはアムロのワンルーム・マンションのある竹田に程近い、桃山御陵駅の駅前に広がる京都は伏見区最大の商店街である。近鉄線沿線に住む学生は、よく『モモゴ』と略したりする。たまたま、ここは四人の通っている大学の二つに別れたの校地の、ど真ん中あたりに位置するので付近に大学の無い割には、大学生が住んでいる率が高いのだった。もちろん飲み屋や飲食店も多い。
「カイさんって言えば?」
 乗り込んだ電車で、コウがふと思い出したようにそんなことを言い出すのでアムロは気になって聞いてみた。カイ先輩と言ったら、花見の季節にコウの写真を勝手に撮って学内報に載せて、そして何故か(何故か?)ガトーの逆鱗に触れた四人にとっては馴染みのある、そして伝説の人物である。・・・・そのカイ先輩がどうしたっての。
「カイ先輩っていったら、俺この間休講の時に、やまほどガトーの写真貰っちゃった・・・・!それにさ、あの・・・・・・・っと!うぷ。それはおいておいて・・・・!!」
 何?とガトーが難しそうに眉寝を寄せる。電車は、奈良に近いような田辺から、京都市内に向けて北上を続けていた。
「・・・・私の写真とは、なんだ?」
「・・・・・ヒミツです。」
「あー、なんとなく分かったよ、コウ君、彼は学生達の写真を撮っては売り払って、小遣い稼ぎをしているからね・・・・おおかた、ガトーの写真を大量に貰った、とかまあそういう話なんだろう?」
 助け舟なんだか致命的一言なんだかワカラナイ台詞を、容赦なくシャアが言った!おかげでコウは電車の中で大声を上げる羽目に陥った。
「・・・・・ぎゃー!だって俺、一枚もガトーの写真持って無いから欲しくって・・・・!!」
「ええい、貴様!どんな写真だ、いつの間に!そして何故そんなものを欲しがる!!」
「・・・・・・ワラ人形に仕込んで刺すんじゃないのかな、クギを。・・・・『明日はガトーに勝てますように!!!』」
「もしくは逆かもな、マクラの下に入れて一緒に寝ちゃうとか・・・・・」
・・・・面白がるな!
 ・・・・おお、恐い!ガトーとコウの二人に揃って怒られて、シャアとアムロはさすがに黙る。電車は大久保を過ぎて、あともう僅かで、桃山御陵に着くところだった。




「・・・・で、マジメな話、カイ先輩がどうしたって?」
 お好み焼きをつつき、ビールを飲みながら機嫌が良くなったところで、改めてアムロは思い出したようにコウにそう聞いてみた・・・・・さっき、コウの言いかけていたことがなんだか気になったからだ。
「・・・あぁ!うん。・・・・カイ先輩?それがさ、なんか言ってたような気がするんだよね、『シャア・アズナブルとアムロなんだけど・・・・』とか、」
 コウはそう言いながら、必死にネギ焼きをパクついているのだが、さすがにそれを聞いてアムロはハシを置いた。・・・・えぇ?なんですって?
「・・・・え、何。それ、もうちょっと詳しく思い出せないのか?」
「・・・・思い出せないよ、だって俺がその先を聞かなかったんだし!・・・・だってガトーの写真くれるって言うから、嬉しくって・・・・・・うぷ、今の秘密!」
 全然ヒミツになっていないのだが、そこまで聞いてさすがにシャアもハシを降ろした。見ると、ガトーまでもが難しい顔をして手を止めている。・・・・・だって、俺とシャアが、なんていったら話題になりそうなのはアレだ。・・・・一つしかない。アムロは、そう思いながらもう一回コウに聞いた。
「・・・・・・・・コウったら。なあ、それ、どんな感じでカイ先輩言ってた?」
「・・・・・・・・・へ?」
 そうなるに至って、コウは遂に自分以外の全員がなにやら異様な空気に包まれているのにようやっと気がついたようだった。・・・・しかしなぁ。
「・・・・・え、あの?でも、俺本当に詳しく聞いて無い・・・・なんか、カイ先輩はシャアさんとアムロの事で俺に聞きたい事があるみたいだった。でも、俺質問の方を聞かなくて・・・・・ゴメン、役にたたなくて。」
 なんだかコウがそう言って謝るので、アムロの方が慌てたくらいだ。そこで言った。
「いーや!・・・そんな、別に全然いいって!俺が、聞いてみるよカイ先輩に直接。・・・・なんか話があるみたいだったんだろ?」
「うん、そう。」
「そっか。」
「うん、ところで・・・・あの、アムロがその豚玉いらないなら俺もらう。」
 机の下ではガトーの足がシャアの足を蹴り飛ばしていた。・・・・・ああもう、分かってるって!シャアはアムロを肩ひじでつつく。そこでアムロはドンっ!っとコウの前に自分の豚玉を差し出した。
「・・・・・・やる。」
「やったあああ、ありがとうアムロ!」
 コウは豚玉にさっそく飛びついた。・・・・さあて。




 コウだけが、何も知らない。・・・・・カイ先輩がシャアとアムロ、って名指しで来たなら、それは多分二人の微妙な関係に関する事なんだ。・・・・・人にバレるようなドジをした記憶はない。・・・・・でも、多分間違い無い。・・・・・ただ、問題なのは、コウだけが何も知らない、ってことなんだ。だから、なんとかこの話題からコウを遠ざけないと。なんだ。あの人は、カイ先輩はいつもカメラを持ち歩いてる。・・・・つまりは、写真に関する何かなんだ。・・・・なんだ。




「ごちそうさまー!」
 ともかく四人は、その日は腹一杯にお好み焼きを食べて(コウなんか二人前食べた!)、そうしてそれぞれの家へと帰路についたのだった。・・・・コウに気付かれるよりもなりよりも、こういう事態に陥った時のガトーの視線が、既にめちゃくちゃ痛い!・・・・と感じたアムロだった。・・・・ああ、だから、コウにはワカラナイようにするから、気付かれないようにするから、ちょっと待っててよ!




「・・・・・・・・・・・・・・あんた、意外に危機感無いね・・・・・」
 その晩、いつも通り怠惰な関係の上に自分を抱いた男にアムロは思わずそう言った。
「危機感ね!」
 シャアは面白気に煙草をくわえた。
「いや、あると思うよ。・・・・・考えても見なかったんだ、今まで。・・・・誰かに、自分が男も抱いてるなんてバレるなんてさ。」
「まだバレたと決まったわけじゃないんですが・・・・ほんで、それもまた、エラく自分本位な考え方だねぇ・・・・」
 アムロはため息をつきながら、自分も煙草をくわえた。『誰かに自分が男も抱いてるなんてバレる。』・・・・・俺の場合は『男に抱かれてるなんてバレる』、だな。ああ、でも俺も人のこと言えないよなあ。・・・一体カイ先輩は、自分達に関する何を、コウに聞いてみたかったというのだろう。・・・・気になる。
「あんた、カイ先輩が自分のこと写真に撮って、それで売ってるとか気付いてたのか?」
「んー・・・・自分で気付いた、というより女が何人か、そんな私の写真を持っていてね。・・・・それで初めて知った。」
 ・・・・・そう言う意味では、カイ先輩の腕はすごい、ってことになるわけだ。八分目までも吸う前にアムロは煙草を灰皿に擦り付けて消した。・・・・吸い殻でいっぱいの灰皿に押し付けられた煙草は、もちろん上手く消えなくて嫌な感じの煙を後に残した。・・・・自分の吸いさしにむせるより馬鹿なことなんてこの世にはありゃしねぇ。
「・・・・・あんた、陽気だね。」
「君は心配性だね。」
 アムロとシャアの二人は、そう言ったまま固まった・・・・・・不安はそれぞれにあった。あったのだが、この際、こんな真夜中になっては、他にどうという手段も思い付かない。
「・・・・・・・・・俺、さ。」
 アムロが自分の身体に触れて来たシャアの手を振払いながら一応、言った。
「何だ。」
 シャアは頭をかきながら枕につっぷしている。・・・・回って来た手を今度は受け止めて、アムロは言った。
「・・・・・・俺、コウとかに『このこと』バレて、そんで嫌われたら・・・・」
「もっと分かりやすい日本語を話したまえ。・・・・・コウ君にだけは嫌われたくない、とか。」
「・・・・・・・・・死んじゃう。」
 ああもう、他にどうしようもない真夜中だった!・・・・シャアが脇腹に伸ばす手が、これほどまでに暖かいと、思った事はアムロには無かった。その腕を掴んだ。指先にキスをした。
「・・・・・死んじゃう・・・・っ!」
「・・・・分かった、なんとかするから。」
 シャアはそう答えたものの、いまいち自信は無かった。・・・・大体、あのカメラマン野郎が何処まで真実を知っているかがそもそもワカラナイ、のである。
「・・・・・あぁ!」
 シャアが実に分かった風なため息をつくので、さすがにアムロは目を開いた。シャアの顔は、男同士成らざる近距離に今日もあった・・・正確にはベットの中に、自分の顔の真横に、だ。
「なあ、アムロ、私は知らないんだが、」
 シャアは極めて明るく言った・・・・そうしているようにアムロには思えた。
「・・・・・・・『シアワセ』ってどんな漢字だい。」




「なー、シャアさんとアムロの二人ったら小食で困るよなあ!」
 コウとガトーの二人は、恐ろしいことに『二回目の夕飯』を食べ終わったところだった・・・・春期大会と、夏の本格的部活動の合間の六月。・・・・スポーツ推薦で入学した訳でも無く、にもかかわらずきちんと部活動をこなしているコウには、留学生で特例的に部活動に参加させて貰っているガトーの比ではなく、大学の授業と部活動の遠征の両方がその肩にのしかかっているはずだった。・・・・ガトーは小さく頭を抱えた。
「・・・そうでもないだろう、ちゃんと食べていたぞ。」
「全然だって、あんなの!・・・・・どーなの、明日休みだよ、もうちょっと飲むかぁあああ!?」
 ガトーは一瞬先斗(ぽんと)町を、もう一軒ハシゴする為にコウと一緒に歩いてゆきそうになった・・・・が、そこで理性が蘇って来てコウの腕を掴むと、その足を止めた。
「・・・って、なに!」
 足下もおぼつかないくらい飲んだコウが、腕の中に転がり込んでくる。
「・・・・・・もう止せ、今日は家に戻れ。」
「・・・・・・・・・だってなんか、」
 コウは馬鹿ではない。・・・・・・・・・ああ、コウは馬鹿ではないのだ、それは、それだけは確かだった。騒々しい先斗町のネオンの洪水の真ん中で、コウは確かに言った。
「・・・・・・・・・みんなが俺に何か隠してる気がする・・・・・・・・・・!」









「・・・・・・・よ、見つけた・・・・・・・・・・カイ シデン君!」
「・・・・・・フルネームで呼び止めるとは、ガイジンさんはやっぱ違うね!」
 次の日、工学部の建物まで出向いて来たシャアは、カイの姿を認めてそう声をかけた。・・・・階段の、上と下から二人は妙に睨み合った・・・・それから、そんなことをしていてもまったく意味のないことに気付いてやめた。
「・・・・コウ君から聞いたんだ。・・・・・なんだか、私とアムロに関して聞きたいことがあるようだって、そんな話を聞いたって。」
 できる限り朗らかに、シャアはそう聞いたつもりであった。すると、カイもカメラを首にぶら下げたまま笑いつつこう言う。
「ああ、確かに言ったけどねー・・・・覚えてるとは思わなかったな、コウが。」
 階段の下で、カイはシャアが降りてくるのを待っているような風情である。・・・・しょうがないな。シャアは内心舌打ちしながらも、アムロに約束した手前上、カイと話を交わすべく階段を下っていった。
「・・・・・それで。」
「・・・・いや、なんてことはない、俺は写真を一枚撮った、ってワケだ。で、この写真の意味をちょっとばかし聞いてみたかった。」
 そう言いながら、曖昧な笑顔のままカイは真ん前にやってきたシャアに、一枚の写真を差し出してみせた・・・・アルバムでもなく、それは全く別個に持ち歩かれていた写真らしい。ズボンのポケットからずいぶんとヨレヨレになったそのプリントを差し出すのに、シャアは少し無からず驚いていた・・・・それから、それを見た。
「・・・・・・・なるほど。」
 写真を見た、そのあと、シャアはそれだけを言った。
「・・・・・・・それで、何を聞きたいって?」
「なんで、あんたとアムロはキスしてるんだ?」
 どこだろうな・・・・・シャアはすこしばかり考えた。知真館だ、ただ何号館だろう。・・・・その、何処かの教室で、キスをしている自分達が、確かにその写真には写っていた。
「・・・・・変な答えで恐縮なんだけどもね。」
 シャアはそう言うと、その手渡された写真を自分の胸ポケットに仕舞いこんだ・・・・それをカイは止めなかった。まあな、ネガがあるだろうから。別に、必要になったらいくらでも焼き増し出来るだろうから。写真好き、ってのはつまりそんなものだ。
「・・・・つまりね。今、君にキスをしろ、って言われても私は平気でできるんだよ、つまり、『挨拶』とはそういうものだ。・・・・私のような、外国人にとってのね。」
「そんな風には見えなかった!」
 カイがすかさずそう言った・・・・が、シャアも一歩も引こうとは思わなかった。
「いいや!君にどう見えようが、私には友がいるし、友達にはやはりそれなりの親愛感情を示した挨拶をする・・・それだけのことじゃ無いか、君、どうしてそんな私を疑ってかかる!友情に亀裂が入るような事をするんだ!!」
「・・・・全然負い目はないんだな、本当だな、本当にアムロを傷付けたりとか、あんたしてないって言うんだな!!・・・・・本当だな!!」
 やれ、そこにはそれなりの、つまりカイなりの疑問と、それから精一杯の愛があった・・・・自分の知り、そして愛する後輩への。
「・・・・・・負い目などないとも!」
「本当だな!」
「・・・・・・本当だ、何を君はこれ以上・・・・!!」









 『シアワセ』ってどんな漢字だい。









 ・・・・・・・・・さあ、









 嵐がはじまるよ。・・・・雨が来る。














 次の日、近畿地方は梅雨入りをした。














『ばらいろのあらし。』 (2) に続く。



2002/09/17










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