「あのー、大尉」
「アストナージ。どうした」
 次の日、アムロは二日酔いだった。艦隊は現在長期に渡る訓練航海中で、大型の訓練と訓練の合間のここ一週間ほどは暇で暇で仕方が無い。
 いや、探せば仕事はあるのだ。
 モビルスーツ・パイロットと言ってもアムロは上長の方に属する為、訓練戦闘用のオペレーションを考えなければならなかったし、部下の指導に精を出しても良かったし、いざ大規模訓練が終われば提出書類を山ほど抱える立場だった。
 にも関わらずここ一週間ほどは本当に暇で……更に、個人的理由でやや機嫌も悪かった。
「昨日も、艦長と一緒に酒を飲んだんですよね」
「ああ、それがどうかしたか? ちょっと思うところがあって、ボウモアの十五年モノを殆ど一人で空けてやった」
 そのアムロの返事を聞いて、ブライト艦長、可哀想に……などとアストナージは呟いていたが、思い直した様にステップを蹴ってアムロの方向に飛んできた。
「いやその。下っ端の連中についさっき聞いたんですが」
「どうせ碌な話じゃないだろう」
 アムロは欠伸を噛み締めながらアストナージを横目で見た。
 場所はラー・カイラム左舷格納庫。二日酔いではあったが非番が明けた以上顔を出さないわけにも行かず、アムロはモビルスーツ・デッキでリ・ガズィと向き合っていた。
「確かに碌な話じゃないですね。時に大尉。大尉は……男性と女性でしたらどちらが好きです?」
「女に決まってるだろう……おい、本当に下らないな!」
 整備するフリをしてリ・ガズィのコックピットに顔を突っ込んでいたアムロの隣で、アストナージも同じ様にその狭い空間に顔を突っ込んで来た。
「はい、その『下らない話』が、しかし昨日の晩から妙に真実味を持って艦内を駆け巡ってるらしいんですよ」
「何故に今更。俺がブライトと酒を飲むのもいつものことだし、ブライトとしか酒を飲まないのもいつものことだ」
「でも昨日はその……見られたんでしょう」
「見られた?」
 アムロは心底わからない、という表情で首を傾げた。
 確かに昨日は、当直明けの直後からブライトの部屋に押し掛けた……何故なら、そこは艦内で一番豪華で、そして良い酒のある場所だからだ。
 露骨に迷惑がるブライトをものともせずに、勝手に執務室のキャビネットを開いてソファに陣取って、高価な酒に手を付けた。まあそれもいつもの事だし、昔なじみとして、地球に降りる時にはブライトの替わりにミライさんのところに顔を出したりとか、子ども達の遊び相手をしたりとか、それなりに持ちつ持たれつでやっている。艦隊勤務でしかもアムロより更に重い責任を負っているブライトは、地球に降りることもままならないからだ。言うなれば永遠の単身赴任だ。
「見られた……ってなにを」
「覚えてないんですか!」
「覚えてないが」
「艦長がその……大尉に手を出す直前でした! という場面を艦長室付きの警備兵が目撃したらしいんです」
「馬鹿な」
「こう、ソファの上で前後不覚の大尉にブライト艦長が襲いかかる寸前で。直前で警備兵が飛び込まなかったらどうなっていたか、みたいな……」
「馬鹿か」
 答えつつもアムロは思い返してみた。
 しつこい様だが昨日は当直空けにブライトの部屋に押し掛けて……嫌がる相手をものともせずに勝手に酒を空けた。後半の方は確かに記憶が曖昧だが、ブライトが本気で嫌がるようなことはやっていない自信がある……どこまでも、記憶は不明瞭だが。
「……で、それに何か問題が?」
「問題ありありでしょうが! 大尉って言ったらこの艦隊の華ですよ、皆の憧れなんです! 孤高の人で、不可侵領域なんですよ! そんな人が……艦長に安易に身を預けては駄目です!」
 いや、預けてねぇし、むしろあのブライトがそんなことするわけないし……と、毒づきたかったのだが、アストナージの本気で自分を心配する瞳を見て気が変わった。
「あー、つまり、どこかで『盛大な誤解』を俺は招いたんだな?」
「招いただけではありません。今も状況は進行中です。相場が大変なことになってます」
「相場?」
「大尉がブライト艦長に食われちゃってるのか食われてないのか、っていう相場ですよ! 賭けの!」
 賭けかよ!
 単純に戦友である自分とブライトの仲を邪推し、そこまでの賭けに持って行ける余裕がこの艦隊にあることに、ある意味安堵した。
 いや、ちょっと待てよ。
 ……安堵している場合ではないか。
 ここまで艦隊中に噂が広まっているということは、自身の不機嫌の原因……つまりその相手にもこの話は伝わっているのではないかという、それはそういう不安だ。
「あー…その、アストナージが俺の心配をしてくれていることはとてもよく解った」
「本当ですか!」
 共にリ・ガズィのコックピットに頭を突っ込み、まるで年端も行かない子どものように内緒話をする自分達にアムロは笑った。
「解った。でも自分は、全くそんなつもりは無くて……」
 アムロは居たたまれなく、頬を掻いた。
 噂が流れているのも解ったし、その原因もなんとなく理解出来る。
 理解出来る程度には自分もブライトに対して甘え、そしてゴネている自覚があった。
 でも、しょうがないんだ。今回ばっかりは。
 ……機嫌が悪かった。
 機嫌が悪かった、だって今は何時だ? ……と、聞かれたら宇宙世紀0092、三月二十二日だ。
「だって」
 アムロはボソリと、共に顔を突っ込んでいるアストナージに向かって呟いた。「だって?」
「俺はチョコをあげたんだよ! バレンタインデーに! なのに三月十四日に、ホワイト・デーのお返しが無かったんだよ……そうしたら、やさぐれもするってもんだろう?」



 所変わって、同月同日、ラー・カイラム艦橋。
「……そろそろくるな」
 ブライトは、やや諦めに似た心境で通信兵にそう伝えた。
「『いつもの』でしょうか、艦長」
「いつもの、だ。覚悟しておけ。セキュリティを引き上げろ、連邦軍本部に対するガードをS3に」
「アイサー、S3に」
 そろそろ来る、とブライトが全く予想した通りの時刻に、その通信は飛び込んで来た。
 連邦軍本部にはとても聞かせられない内容の通信だ。
 それがアムロの最大の魅力でもあり。
 最大の欠点でも有るとブライトは思っていた。
 そうして、通信回線を開いた相手に向かって苦笑いした。
「……久しぶりだな」













2010.04.27.




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