ブライトがシャワールームから出てくると、まだアムロはとぐろを巻いているところだった……居間兼応接室で。更に言えばそこは執務室も兼ねており、ちょっとした応接セットの向こうには執務机も設えられている。何のことは無い、寝室とサニタリーの他にはこの部屋しか無いのだった。
戦艦の中は狭く、艦長室もそれは例外ではない。
「まだ居たのか」
「居ちゃ悪いか。酒が残っている、勿体ないだろう」
「本当に勿体ないと思うのなら、蓋をして明日以降に飲めば良いだろう」
「ブライトのケチー」
お前は幾つだ、というような表情で頬を膨らますアムロの手から、さっさと瓶を取り上げる。安い酒ではないのに。しかもこいつ、遂に水で割るのすら面倒臭くさくなったのだな。テーブルの上のグラスの中には、どう見てもストレートにしか思えない琥珀色の液体が申し訳程度に残っている。
シングルの水割りも作れないほど残り僅かになった、ボウモア十五年の瓶を片手にブライトは溜息をついた。
「ブライト、水……」
アムロは酒癖が悪い。弱くはないが、ともかくごねる。まともに会話を交わせるのは飲み始め最初の一時間だけ、と言っても過言ではないだろう。
しかもここは宇宙空間だ。
居住区にはある程度の重力が存在するが、重力のある場所で酒を飲むのと無重力の空間で酒を飲むのはあまりに勝手が違う。初めて宇宙に上がった時に思い知らされた。十九の頃だ。無重力だと、人間は様々なものがどうでも良くなるらしい。五臓六腑が浮いてしまうのだ。もっともこれは、高度一万を飛ぶ地上用長距離旅客機でも言えることだ。四時間毎に出てくるからといって、簡単に機内食に付属のワインに手をつけるべきではない。地球の重力というのは人間の理性も引き止めてくれているらしい。
なのに、地球上で言う海軍の流れを汲む宇宙軍には、歴然と航海中の飲酒の伝統があった。長期の航海に真水は向かない。娯楽も少ない。だから海兵が飲むものは必然的に酒となる。水ではなくて。
「みず……」
はいはい水ね、と呟きつつその場を離れようとしたブライトの左腕を何故かアムロが掴む。
「何だ」
大体何故、毎回毎回自分が飲んだくれたアムロの面倒を見なければならないのだろう。
シャワーを浴びたばかりなので首に掛かっていたタオルを抜き取り、ブライトは眉を顰めた。
「何だ、吐くのか。待て、ここは止せ。せめてシャワールームに」
「違う、水が。ブライトから水が落ちて来て気持ちいい……」
呆れた。
それは水滴も落ちるだろう、シャワーを浴びたばかりなのだしまだ髪もろくに拭いてはいない。
気持ち悪い、ならともかく、水滴が頬に落ちて気持ちがいいとは何事だ。
悪酔いしている。
そんなブライトの心境も無視して、アムロはブライトの左手を掴んだまま、うっとりと瞳を閉じている。
……どうしてくれよう、この酔っぱらい。
二人の名誉の為に断言しておくが、決してこの二人はやましい関係なわけではない。アムロがブライトとばかり好んで酒を飲むのも、一番の昔なじみで多少の迷惑をかけても構わないと解っているからだ。
当然ブライトも、他の人間なら十中八九勘違いしそうな場面でも動揺しない。そもそも男に興味が無い。むしろ呆れるだけだ。
「いいからさっさと自分の部屋に帰れ。今日はもう店終いだ、私は寝る」
「や……」
アムロを応接間のソファから起き上がらせようと、ブライトがタオルを放り投げ、その首の後ろに右腕を回した時だった。
「緊急! 非番時に申し訳有りません、たった今……!」
おそらく、こう言ってよければ最悪のタイミングで、艦長室担当の警備兵が自動小銃を片手に部屋に飛び込んで来た。
「たった今、未確認……の、敵機影と思われるもの、を確認し、たものですから通信を入れたので、す、が……返信が無く……」
ああそれは、シャワールームに居たからな、とブライトは部屋の隅でチカチカと光を放つ通信端末を見、それを確認より先に泥酔するアムロに目が行ってしまったことを後悔する。
「状況は」
「じょ、状況は……あのすいません、じ、自分っはマニュアル通りにひ、非常時権限としてこの扉を開き、まして……!」
間違ってはいない。
なのに、何故ここまでこの警備兵は慌てふためいているのだ?
と、そこまで考えてからブライトはようやく事態を把握した。
事態を把握したというより自分の今現在の格好、をだ。
「……ん」
アムロは半分眠ってしまったらしく、居間のソファで身体を丸めている。
自分はその首筋に手を回して、身を屈めて、引き起こそうとしている。
それもシャワーを浴びたばかりの、バスローブだけの格好で。まるで抱き上げる様に。
「おい」
「お、お邪魔しましたぁあああ!」
よくわからない叫び声を上げながら警備兵は艦長室を走り出て行った。
ブライトは今度こそ、大げさに溜息をついた。
これは後始末が大変そうだ。人の口に戸は立てられない。
そもそも非常時権限でロックを外し、艦長室に飛び込んで来るほどの事態だったというのに、その明確な状況説明もなされないというのはどういうことだ。
「……行くか」
ゆらりとアムロの首筋から掌を外すと、ブライトは諦めた様に身を起こした。
多分、誤解された。
いや、確実に誤解された、それも若い人間に。
そこから始まる悲劇がどれほどに痛いものか、この時点でまだ二人とも解っていなかった。
---宇宙世紀0092、三月。
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2010.04.26.
10年のHARUコミ新刊のつもりで書いていて、ボツになった切ない作品。なのでしっぱい。
何故ボツになったかは……読めば分かると思います……この本を『シャアム本』として
売る勇気がわたしには無かった……(笑)。全国の苦労人ブライトさんファンに捧げます。
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