「……様子はどうだ。」
『様子? そんなものは俺の方が聞きたいね!』
久しぶりに連絡をとってみるとハヤトは凄まじく機嫌が悪かった。……聞くまでもない、ということか。ブライトは艦長席に座り込んで溜め息をついた。
「こちらは……なんとかやっている。子供だらけだがな。」
『一年戦争の頃だって子供だらけだったじゃないか、俺達も含めて。……そんな近況報告をお互いしたいわけじゃないだろう。』
その通りだ。本当はアムロの事が聞きたかった。しかしこの様子だと、ハヤトも詳しくは知らないらしい。
アムロとシャアが地球のセイラの元へ降りてから、三ヶ月が経とうとしていた。日付けとしてはもう六月の頭だ。戦況はさほど変わり無く、宇宙でも地球でも小さな小競り合いが続いていたが、ネオジオンはそろそろ艦隊としての地球降下作戦を仕掛けてくるだろうというのが大方の予想だった。
「どうしたものかな。」
『俺は本当に納得いかないぞ。大して説明も受けていないんだからな。なんでもいいから早くアムロに帰って来て貰わないと困る。』
「……カイならある程度、現状が把握出来ていると思うんだが……連絡を取ってみる。」
『そうしてくれ。』
「ちょっと、ブライトさん!」
その時勢い良くジュドーがブリッジに駆け込んで来たので、ブライトはじゃあな、と簡単に言って通信を切った。
カイが久しぶりにセイラの屋敷を訪れたのは、地中海の日射しの強くなり始めた六月半ばのことだった。
「……おやまあ。」
日射しが強くなると、やはりシャアは目が痛いらしい。そこでアムロはセイラに頼んで、サングラスを用意して貰った。始めシャアはそれを酷く嫌がったが、目が痛く無くなるものだと知ると、しぶしぶながら日中は掛けるようになった。その日も、そんな格好で浜辺を散歩し、コテージの庭先に戻って来たところでベランダに立っているカイに気づいた。
「カイさん! お久しぶり。」
「そうしていると、まったく元通りに見えるな。」
「ああ……サングラスのことだろ?」
アムロも分かっていて笑いながらそう答える。しかし、続けて二人の手元を見たカイはうんざりしたような顔になった。
「……が、ちっとも直って無いんだな。」
「残念ながら。」
首を竦めてアムロはシャアと繋いだ手を軽く上げてみせる。早く正気に戻ってもらわないと気色悪くてしかたねぇな、と遠慮なくカイは言った。
「……シャア、カイさんだよ。憶えてるか? ここへ来たばかりのころ何度か会ったろ?」
当然シャアは憶えておらず、首を横に振る。
「どうせならシャアに面白い事教えこめよ、アムロ。俺が命の恩人だ、とか貸した金まだ返して貰ってない、とかさぁ。」
「あのねぇ。」
すると珍しくシャアが自分からアムロを離れ、部屋の中に入ってすぐまた出て来る。紙とペンを持っていて、何かを書くとアムロに見せた。
「アムロ」
「……あ、なるほど。確かにここに来てから使って無いものな。」
「なんだよ。」
カイがその紙を脇から覗き込む。そこには『金、ってなに?』と書いてあった。……カイはしばらく絶句していたが、やがてからかう気も失せるな、とぼそっと呟いた。
ゆらゆらゆら。その日はとても天気が良くて、とても賑やかだった。アムロと、それからいつもいる女性と、庭で夕食を食べる事になった。そんなことはしたことがない。だからとてもわくわくして、庭を裸足で歩いていたらアムロに怒られた。あとからやって来たもう一人、アムロより背の高い痩せた男性も一緒に食事を食べる。
日が長くなったからね、もう六月だし、とアムロが言う。
ここは気候が良くて最高だなあ、俺も此処に住みたいなぁ、セイラさん結婚してくれよ、と背の高い男が言う。
兄が許可したらね、と女性が笑う。
最後に三人共が自分を見たので、意味は分からなかったが私は笑った。
ゆらゆらゆら。
今日も世界は揺れている。
週に一回通っているアテネのニュータイプ研究所で、その日もいつも通り幾つかの実験やらテストやらを受け、建物を出ようとしたところで一人の男に声を掛けられた。
「……アムロ・レイ。」
「……ああ、あんたは。」
それは、サイド1で会った強化人間の男だった。
「久しぶりだな。」
「お久しぶりです。少し、時間はありますか。」
アムロは左腕の腕時計を見た。……少しくらいなら大丈夫だろう。
「ここで出来ない話か?」
「そう言う訳でも無いんですが。」
二人は連れ立って研究所を出ると、近所のカフェに適当に席を取った。
「……様子はどうですか。」
「俺の……じゃないよな。シャアなら相変わらずだ。」
「ニュータイプには?」
「戻っていない。」
「では記憶は?」
「戻る気配すら無い。……が、そうだなぁ。身体はほぼ元通りだろう。普通に歩き回っているし、身の回りのことも大体は自分で出来る。風呂に入るとか、そういうことだ。生活習慣の記憶はあるんだろうな。」
小高い丘の中程に有るカフェからも、セイラの屋敷と同じよう美しいエーゲ海が見えた。すると、しばらく黙っていた強化人間の男が面白い事を言う。
「フリ、というのは考えられませんか。……話せないフリ、記憶が無いフリ、をしている可能性は。」
「それは無いだろうな。」
面白い、とは思ったがアムロは即答した。
「何故。」
「アムロ、としか話さないのも、俺以外の人間が認識出来ないのもワザと……つまり全部演技なのでは……とあんたは言いたいんだろうが、」
「そうです。」
「それは無いよ。……正気のシャアがあんなにも俺の事を好きな訳がないんだ。」
「……なるほど。」
心地よい風が海の方角から吹き上げて来ていたが、しばらく二人とも何も話さなかった。
「……終生のライバルとも思っていた人間に、盲目的に慕われる気持ちはどうですか。」
「あまり気持ちの良いものじゃないな。」
「ニュータイプでも、シャア・アズナブルでも無くなった彼は、何故あなたを選んだんでしょうね。」
「あんたと同じくらい、俺もそれを疑問に思っているよ。」
……嫌な会話になってきた。そう思ったアムロは別の話題を振ってみた。
「そういえば……カミーユ・ビダンはどうなった?」
「ああ、彼も地球に降りて来ていますよ。……病状は……似たり寄ったりですね。ファ・ユイリィも一緒で、確かダブリンに居るはずです。連絡をとってみますか?」
「いや……」
ファ・ユィリィとは誰だったろう。
「幼馴染みだそうです。カミーユ・ビダンの。」
聞いてもいないのに、男がそう答えた。……便利なものだな。
「そうか。……良くなるといいな。」
その日はそれで別れた。しかし、強化人間の男はアムロ達のことが気になるようで、その後いろいろと都合してくれるようになった。
七月に入った。日射しは日々強くなっていったが、湿度が低いのでそれほど過ごし辛く無い。もともと雨の少ない地方なのである。
「……これは何。」
その日はセイラを昼食に招待したのだが、キッチンのテーブルを見て彼女は渋い顔になった。
「おむすびだよ。……セイラさんも知らないのか、シャアにも聞かれたよ。苦労して手に入れたのになあ、海苔。」
皿の上にはアムロが握った不格好なおむすびが、いっぱいに積んであった。
「食べ物なの?」
「あのねぇ、どう説明したらいいかな……サンドイッチやフォッカチオと同じだよ。俺の地元じゃね、ピクニックに行く時サンドイッチじゃなくてこういうのを食べるんだ。」
セイラはまだ訝し気に黒くて丸い物体を眺めている。……海苔はあの強化人間の男に頼んで手に入れてもらった。海産物だからかなりの高級品だ。
「目先が変わった方がシャアも食欲が出るかと思ってさ。最近どうも、あまり食欲が無いみたいなんだ。」
「……そうなの?」
するとセイラさんが少し不安そうにシャアの方を見る。シャアはリビングのソファに座って、キッチンに立つアムロの背中を眺めていた。以前はさんざんアムロにくっついて自分もキッチンに入って来ようとしたのだが、刃物を持っている時に後ろから抱き着かれたりすると本当に危ない。アムロは必死に説得して、やっとリビングで待っていてくれるようになった。ただ、顔は不満気だ。
「今年は確かに暑いわ。……長期予報だと、大きな嵐も幾つか来そうだって。」
「この辺りじゃなんて言うんだろう。タイフーン? ハリケーン? ……まあ、コロニーの天気のようには行かないよな。」
「……アムロ」
ついに我慢出来なくなったようで、シャアがキッチンに入って来た。セイラはキッチンに入れるのに、自分は入っては駄目、というのが納得出来なかった様だ。そして、皿に載ったおむすびを一つ取る。
「あ、こら! 勝手に食べるな。」
しかしシャアは恨めしそうな顔をしながらおむすびを頬張っている。まるで子供だ。
「あら、食べられるものなのね。じゃあ私も頂こうかしら。」
「あのねぇ、だから二人とも……」
アムロは溜め息をつきつつも、どこか楽しくて、まあじゃあもういいや、ピクニックはやめてここでこのまま食べちゃおう、と自分もおむすびに手を伸ばした。
このところ揺れがひどい。
世界がぼんやりとしていることが身体的に辛いわけではないのだが、アムロに側にいて欲しかった。アムロがいるから立っていられるのだ。もしアムロがいなければ、自分は起き上がりたいとも思わないだろう。
「これは、模型飛行機。……飛行機、って分かる?」
その日、アムロは不思議なものを持って来た。白くて、細長い筒の左右に平たい板が付いたようなものだ。私は分からなかったので首を振った。
「じゃあ、浜辺に行こう。本当はね、これと同じ形のもっと大きなものが、空を飛ぶんだよ。すごいだろう?」
分からなかったが頷いた。近道になっているオリーブの薮を抜けると目の前に大きな水色が広がる。
……ゆらゆらゆら。
「じゃあ、シャアはここに立っていて。……すぐ戻るから、動くなよ?」
アムロは急に走って行ってしまった。しかしすぐに振り返ると「じゃあ行くぞー!」と手を上げている。白い砂浜の上に立つアムロの右手から、ふんわりと何かが飛び立った。
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2009.01.29.
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