「……アムロ!」
そう叫んで飛び起きた瞬間、あまりの頭痛に頭を抱える。……なんだ。何が起こったんだ?
「ん……」
件のアムロは隣でちゃんと寝ていて私はほっとしたのだが、何故ほっとしたのかその理由が分からず今度は混乱する。それから自分たちの格好に気づいて呆然とした。
「……アムロ。」
おそるおそるもう一回そう呼ぶ。彼は少し寒そうに、裸の身体にシーツを巻き付けて隣で丸くなっていた。軽くその肩を揺する。
「アムロ。」
「……んだよ、いま何時だよ、まだ……」
寝ぼけたようにそこまで呟いてから、彼もまた気づいたらしい。私は一気に蘇った記憶の波に頭の中が翻弄されていた。
「……!! シャア……?」
アムロが私に負けず劣らずの勢いで飛び起きた。壁の時計を確認している。……午前四時過ぎ。
「……シャア?」
彼は私に触れようと、おそるおそる手を伸ばして来た……しかし、その手は私に触れる直前で力なくシーツに落ちた。
「……戻った………な?」
「簡単に説明を頼む。……ここはどこだ。今はいつだ。……私は、君と何をしていた。」
私は痛む頭を振りながら尋ねた。……何をしていた、と言ってもこの状況だから、直前に何をしていたかくらいはおおよそ想像出来たのだが。
「……ここは地球、旧ヨーロッパ地区のギリシアにあるセイラさんの屋敷だ。……今は0088、七月……いやもう八月だな、八月一日だ。あなたは五ヶ月間記憶喪失になっていた。正確には、記憶だけじゃなくてニュータイプ能力も失っていたんだ。……で、その間、俺と一緒にここで暮らしていた。……他に聞きたいことは。」
そうか、と呟くことしか出来なかった。沢山のことを一気に詰め込まれて、頭が悲鳴を上げている。何度か息を深く吸って、そして吐いている間に、アムロの方が先に行動に出た。
「……行くんだろ。」
「……ああ。」
周囲に散らかっていた衣類を手早く身に付けると、アムロはちょっと待っていろ、と言う。何だろうと思って見ていると、私の荷物を用意しているらしかった。慣れた手つきでクローゼットから新しい衣服を取り出して来る。
「こっちを着ていけよ。あとは……金と、端末と、偽造パスポート……くらいで大丈夫か?」
「ああ。……行かなくては。」
「分かってる。」
アムロは洋服を私に向かって放り投げると、向こうにいるからさっさと着替えろ、と言い残して部屋を出て行った。裸だったので気を使ってくれたのだろう。一瞬、シャワーを浴びたいように思ったがそんな余裕は無いような気もした。
「……着替えた。……悪かったな。」
部屋を出ると、アムロはリビングのソファに座り、庭を見つめていた。夏の地中海ともなるとかなり日の出は早い。空は既に白み始めていた。
「……セイラさんには?」
「会わずに行く。」
分かった、とアムロが答える。こちらを見ようとはしない。
「……」
何か言わなければと思ったが、何も言葉が出て来ない。……すると、アムロが妙なことを言い出した。
「……パプリカ持って行くか?」
「パプリカ?」
「赤い方。……意外に甘いから、そのままでも食べられるよ。」
そう言うとアムロは窓を開いて、裸足のまま庭に出てゆく。そして庭の隅に実っていた赤いパプリカを二つ、手に持って戻って来た。そしてそれをゆっくり、私の手に乗せた。
初めて二人の視線がきちんと合った。
「……まだやらなければならない事がある。今は何とも言えないが、多分ある。だから……」
「それは俺も同じだよ。」
礼を言った方がいいのだろうかと思う。でも、それは何か違うような気もした。
「俺も多分、まだやらなきゃいけない事がある。……俺じゃなくて、ララァだと思うんだ。シャアを救ったのは。元に戻したのは。」
急に饒舌にアムロは語り出した。
「あの時、あなたにも聞こえただろう? ララァが言ったんだよ、『ニュータイプは殺し合うための道具じゃない』って。俺もそう思ったし、俺には何が出来るんだろうって考えた時に、じゃあ、あなたが戻ったら良いなって。……あなたが元に戻れたら良いなって、」
「アムロ。……それは私も憶えているし、確かに一つの真実だと思う。だが、今のような政治状況ではララァが望むような世界は永久に来ないと思うんだよ。」
あなたは、とアムロは少し俯いた。
「……世界を変えるのか? それがあなたのやらなきゃいけない事なのか?」
「さあな。まだ私にもはっきりとは分からない。」
……そこで会話は途切れた。……気の早い昼間の鳥が鳴き出し、窓の外の空はあっという間に色を変え始めた。紺から紫へ。そして朝焼けの朱色へ。
「……なあ、最後にひとつだけ聞いていいか。」
向かい合って長い黙っていたのだが、やがてアムロが顔を上げた。視線がまた合う。
「……記憶喪失だった人間に記憶が戻ると……記憶を失っていた間のことは忘れてしまったりするらしいんだけど……憶えてないのか、あなたも。……憶えてないのか?」
甘い感情が心の奥底から一気に沸き上がって、とても話せないような状態になる。……構うものか。……もう構うものかと思って、アムロの腕を引く。そして思い切り抱きしめた。パプリカが床に落ちた。
「……それが、憶えているんだ。」
「……っ……」
「全部憶えているんだよ。………だから今、とても困っている。」
苦笑いしながらそう伝えると、アムロも答えるように、腕をシャアの背中に回す。
「……君を、」
シャアが続けた。
「……君をこんなに好きになるなんて思わなかった。」
最初は確かに、ララァと勘違いしたのかもしれない。
何も無くなった世界で、最初に出会った人間。
最初に出会ったニュータイプ。
彼はゆっくりと、自分を満たしていった。
最後まで水が満ちて、
そしてもう一回戻って来れた。
水の中ではない本当の世界に。
「こんな事を言ったら君は笑うだろうが……」
シャアは自身も笑いながらそう言った。
「……五年後の今日、この場所でまた会おう。」
「それ、あなた思いついたこと適当に言ってないか……」
そのふざけた台詞に、ついアムロも笑い出す。あまりに馬鹿げてるし、実現するかも分からない。その頃、自分達がどういう立場で何をしているのかも分からない。
「だから、それまでに何とかしよう。」
「お互いにな。……分かったよ。」
最後に、ほんの一瞬軽いキスを交わす。
……それで終りだった。
シャアはパプリカを拾うと、小さな荷物を持って、コテージを出て行った。
「……行ったのね。」
セイラがやって来たのはそれから二時間ほど経った頃だった。開け放したままだったコテージのドアから入って来て、アムロの座るソファに並ぶ。
「……行ったよ。セイラさんによろしく、愛してると伝えてくれって。」
「嘘をおっしゃい。あの兄がそんなことを言うわけがないわ。」
そのセイラの言いように、アムロはつい吹き出した。……今日は良く笑う日だな。それから横目でセイラを見た。
「ああ、確かに口じゃ言わなかった。……でも聞こえたよ。……感じる事が出来たんだ。」
そう、とセイラは呟いただけだったが、もちろん彼女もそれは感じ取っていたことだろう。だからこそ、兄が行った事に気づきここへ来たのだ。
「……俺ももう行くよ。……これ以上のんびりしていると、本当にハヤトに愛想を尽かされる。」
「もう尽かされているんじゃなくって?」
――0088、八月一日。その日、ネオジオン艦隊が地急降下作戦を開始した。
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2009.02.11.
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