パチン、と目の前で何かが弾けたように思った。
 水はもう溜まっている。だからこれは周囲が揺れているのではない。
 もっと違う揺れだ。昔のようにゆらゆらとしたものではなく、大きな水色が寄せては返すようなものでもなく、もっと細かく、振動のように、
 自分の内側で。
 何かが揺れている。急にアムロの顔が目の前に広がった。
 揺れ続けている、いや、震えかこれは。
 自分の内側で、多分自分自身が揺れている。
 なんで?
 目の前のアムロの瞳を覗き込んだ。彼は目を逸らすこと無く自分を見つめている。
 そしてはっきりと言った。
「シャア……愛してるよ。」



「……あいしてる……」
 間違いなくそう呟く声が聞こえて、アムロは我に返った。
「……シャア!? 今なんて……」
 確かに別の言葉を話した。アムロ、以外の言葉を。シャアが手に持っていた模型飛行機がさくっ、と白い砂の上に落ちる。
「アムロ、あいしてる……」
「……他の言葉は?」
 しかしシャアは首を傾げる。……駄目か。直って無いのか。っていうか「アムロ」の次に話せるようになった言葉が「愛してる」かよ。アムロは思わず大きな溜め息が出た。
「アムロ?」
「……分かった、もう帰ろう。」
「あいしてる」
 シャアはその言葉が気に入ってしまったらしく、何度も何度も繰り返している。
「あのね、シャア、」
「あいしてる」
「その言葉はそんなに簡単に言うべき言葉じゃ……」
「あいしてる」
「だから!」
「あいしてる……アムロ」
「……」
 コテージまでの坂道を一緒に登りながら、恥ずかしさに下を向いていたのだが、ついに居たたまれなくなってアムロはシャアの顔を仰ぎ見た。……しかしシャアはひどく不思議そうに、それでもこう繰り返す。
「アムロ……あいしてる」
 こんな簡単なこと他にどう表現したらいいんだ、というように。
 それでアムロも思った。……そうだよな、簡単だよな。
 分かってしまえばこれ以上無く、簡単じゃないか。



「……じゃ、ちょっとしたゲームをしてみようか。」
 コテージに戻り、浜辺を歩いた足だけを簡単に洗い、潮くさいままだったが二人でベッドの上、壁にもたれて座った。
「……アムロ」
「ルールは簡単。順番にキスするだけなんだ、でもどちらかが、一度した場所にしちゃ駄目だからな。キスする場所を思いつかなくなった方が負け。……どう? シャア、勝負事好きだろ。」
「……」
 シャアはよく分かっていないようだったが、アムロは勝手にゲームを始めることにした。
「じゃあ、俺が先攻な。」
 そう言って、シャアのおでこに軽くキスをする。
「……アムロ」
 するとシャアがアムロの髪に唇を寄せた。……お、意外に考えてるじゃないか。
「じゃあここ。」
 アムロが耳たぶをかじると、すぐに反対側に返された。
「……くすぐったい、」
 頬、瞼、首筋、肩の付け根。
「……アムロ」
「んー……」
 指先、胸元、背筋の中程辺り。……シャツを脱いだ辺りで、徐々に二人ともゲームなどどうでもよくなってきた。
「……あいしてる」
「うん、俺も……」
 脇腹、恥骨、太ももの内側。……身体中が熱に浮かされて蕩けそうだ。……たった一日の間に、たった一人の相手と、こんなにも何度もキスを交わした記憶が無い。
「……あいしてる、アムロ……」
「愛してるよ、シャア。」
 服を全部脱ぎ終わる頃には、もう熱くて熱くて仕方がなくて、それで互いの唇にむさぼるように食いついた。
 ……たった一日の間に、たった一人の相手と、こんなにも何度もキスを交わした記憶が無いし、こんなにも愛してると言ったこともない。



 それは不思議な言葉だった。
 あいしてる。
 アムロ、という名前と同じように、その言葉も自然に喉をついて出た。
 あいしてる。
 あいしてる。
 愛してる。
 ……言えば言うほど、言われれば言われるほど、振動が大きくなる。心の奥が震える。
 きっともうすぐだ。
 そう思った。



 セックスを憶えたての子供が、欲しくて欲しくてたまらないような有様だった昨晩とは違って、今回は随分とゆっくり求め合う余裕があった。……耳を澄ませば、窓の向こうからエーゲ海のさざ波の音すら聞こえるような気がする。
「ん…」
 長いキスを交わしながら、やんわりと互いに触れ合ってその熱を高めてゆく。
「ぁ……あ……っ」
「……アムロ」
 その声で俺の名前を呼ぶのは反則だ。そう思ったけど言い返す余裕も無くて、アムロはシャアの背にしがみつく。
「……シャア」
「ん……」
 仰け反った首筋に口付けられてもう我慢出来そうに無かった。互いの掌に精をぶちまける。
「ああ……っ!」
 愛してる。……心の中でそう叫んでいた、まずい、昨日の比じゃない。
「……あいしてる」
 するとシャアも同じことを思ったのか、うなされるように何度もそう言いながら、強い力でアムロを抱きしめて来る。そうだ、愛してる。……そうして、愛しているから抱き合うことに、こんなにも意味があるとは知らなかった。
「愛してる……」
 気がついたら下肢をシャアに巻き付けてしまっていた。……ああ、俺はどん欲だったんだな。アムロは思わず笑いそうになった。
「……アムロ?」
 シャアが不思議そうな顔をして口付けてくる。……そうだもう一回、最初からやって。



 もうすぐだ。もうすぐだ。もうすぐだ。
 頭の中にはそんな言葉が渦巻いている。
 もう少しで何もかもが溢れ出そうだ。
 だからアムロ。愛してるって言って。
 もうすぐだもうすぐだもうすぐだ。



 一生分の「愛してる」を今言っているのかもしれないと思いつつ、それでもそう言い続けた。
「……ふ……っ」
 互いが吐き出したぬめりを掬いとって、シャアの指が後孔に侵入して来る。
「ん……ぁ……」
「……アムロ……」
 昨日とは比べ物にならない中からの刺激に、どうすれば良いか分からなくてやはり昨晩と同じように泣きたくなる。
「……シャア、シャア……」
 泣きたく無くて、でも泣きたくて、何度もなんどもシャアの名を呼ぶ。記憶も、ニュータイプ能力も無くしたはずの男が、でもあやすようにキスをしたり頭を撫でたりしながら内部を弄って、そのうちずるり、と名残惜しそうに指が抜かれる。
「……ひゃ……っ」
 俺から離れるなよ! いやだ、戻って来いよ! 必死でアムロは足を開いた。
「……愛してる、」
「あいしてる」
 深い溜め息のようなものと一緒に、熱い塊が自分の奥深くに押し込まれてゆく。……もう何も考えられない、ただただ欲しい。
「……愛してる……」
 何度か突き上げられるうちに、意識が混濁していった。
「……っ、あっ……」
「あいしてる」
「……おれ、も、愛しているよ……シャア。」
 愛している愛している愛している。……もう離れたく無い。何処へも行かない。愛しているって、たぶんそんなことだ。
 そう思いながら頂へと昇りつめる。想いを吐き出したら急に倦怠感が襲って来た。
 ……こんな簡単なこと、もっと早くに気づいて、そうして伝えていれば良かった。



 愛している。
 不思議に、そして奥底にしみ込んで来るその言葉。
 愛している。
 今日だけで何回そう言ったのだろう、互いに。
 愛している。
 ああ、よく分かった。……本当にすごく。よく分かった。
 ……世界が満ちた。
 欲しかったものは全て手に入った――。













2009.02.09.




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