駆け出したのは恐かったからだった、世界の揺れは治まりそうに無かった、なのにアムロが居ない。
 それで私はこんなにも世界が苦しいのなら、
 それで私はこんなにも世界が定まらないのなら、
 もう無い方がましだと思った。
 それで荒れ狂う海へと向かった。
 それはもう寄せては返す大きな水色では無かった。
 コップをひっくり返さんとする、不安定な揺りかごに過ぎなかった。
 ……どうせ私の世界は揺れている。
 その揺れは治まりそうに無い。
 ……どうせ私の世界は揺れている。
 その世界を治めることの出来る、唯一のアムロが何処にもいない。
 もうこのまま、揺れる世界に飲まれてしまおう。
 ……そう思って私は大きな水色の中に足を進めたそのとき声がした。
「……シャア!」
 ……振り返った私はどんな顔をしていたのだろう。
 振り返ったそこにはアムロがいて、しかも私はそれ以外なにも……欲しくは無かったんだ。
 だって元からアムロ以外はきちんと見えないのだもの。



 暗い海から引き摺り上げたシャアを、とりあえずコテージまで引っ張って戻って来た。……もっとも、俺が引っ張ってきたのか、シャアが俺を引っ張って来たのかは何とも言えないところだ。俺達は混乱していた。
「っ……」
 あの時振り返ったシャアは、明らかに欲情に潤んだ瞳で俺を見た。……ふざけるなよ、と思う。コテージの外では、相変わらず嵐が吹き荒れている。なんで俺なんだ。どうして俺なんだ。その疑問は拭えない、だけど俺達はまるで時間を惜しむかのように、絡み合ったまま小さなシャワールームに転がり込んだ。……分からないな。……分からないんだよ、何故今こんなことになっているのか。
「……っ、……」
 服を着たままシャワーの下に、そのタイルの床に、俺達は重なり合って倒れた。……シャアはおそらくなにも分かっていない。セックスとは退行する行為である……昔そんな文章を何かで読んだ気がする。ともかく今のシャアが何も分かっていない子供なのは確かだ。蛇口を捻りながら、アムロは薄ぼんやりとセイラさんにシャアが見つかったって、だから安心してって伝えなきゃと思っていた。……しかしその余裕すら、目の前にいるシャアは与えてくれそうにない。塩の香りが強く残る白いシャツを着たまま、狂ったような勢いで自分をひたすらに抱き締めてくる。
「……っちょっと待てよ……待てったら……!」
 とりあえずそれだけ叫んで、シャアの身体を引き離した。しかし次の瞬間、掴んだシャアの肩の冷たさに呆然とする。……馬鹿が、嵐の中にずっといたから、海になんか入ったから、冷えきってるじゃないか!
「……アムロ……」
 シャアが何か言っている。しかし、そんな言葉は無視してアムロは無心にシャアの衣類を剥いだ。……降り注ぐお湯はシャアを濡らし、自分を濡らし、そして排水溝に吸い込まれてゆく。……こんなことをしている場合じゃない。それは分かってる、俺達の間にあるのはもっと深刻な問題だ。
「……アムロ」
「シャア……」
 こんな事をしている場合じゃない。……分かってるのに。
 止められない。
 今、目の前に居るシャアはアムロに脱がされたせいで全裸だった。アムロも急いで全てを脱ぐ。出来るだけシャアが暖まるようにと思って、その自分の身体にシャアの身体を抱き寄せる。
「……ふ……」
 どちらからともなくまるで引かれ合うように唇を寄せた。……この結論で本当にいいのかよ。アムロは薄ぼんやりとそんなことを思った。立ちのぼる蒸気が世界を誤魔化し続ける。コテージの外に吹き荒れる嵐は弱まる気配が無い。
 ひとしきりシャワーに打たれながらキスをし続けて、やがてそれにも飽きた。……それで二人は濡れた身体のまま、縺れ合うようにベッドに向かった、その時は確かに二人の結論はそれ以外無かった。



 ……助けたい、と思っていた。
 助けられないものかな、とも思っていた。
 でもこういうのはさすがに予定外だったよ。



「……んっ……」
 記憶を失っているはずのシャアはかなり積極的で、アムロは多少無からず焦っていた。
「シャ……お…い……」
 男となどかつて一度も寝た事がない。やり方はなんとなく分からないでもないが、じゃあこれからやりましょうと急に言われても無理だ。絶対無理だ。しかし身体も拭かずに、すでにベッドに倒れ込んでしまっている。
 問題は他にもある。シャアが記憶を失っている事を考えると、おそらくこの行為の意味自体良く分かっていないだろう。でも飽かなく口付けて来る。最初は軽く。……それだけでは飽き足らず、やがて角度を変えて奥まで。舌を強く吸われて、極単純な快感で頭が少ししびれて来る。
「ふ……」
 記憶は無くても、かつて経験した女の抱き方は憶えているということなのだろう……それは必然的に、アムロが女役として扱われるという事を示している。……参った。
「……ちょっ……」
 でも俺は女じゃ無い。女じゃないんだよ。……涙が出そうだ。
 助けたい、とは思っていた。……でもなんで、シャアが今抱きたいほどに俺を欲しているのか、やはり理解出来ない。
 時間的にはまだ夕暮れ時なのだろうが、嵐のせいで薄暗い空が窓の外に見える。……風は更に強くなったようだ。セイラさんに、シャアを見つけた事をまだ報告出来ていない。
 ……俺達が、これから何処へ向かおうとしているのか全く分からない。



 アムロが現れて、私を荒れ狂う波の中から引き摺り上げた。
 酷い揺れに飲み込まれそうになっていた私は、必死に彼に縋り付いた。……ああ、アムロ!
 良かった、置いて行かないで。良かった、もう一人にしないで。……もっともっと、一つになってしまうくらい、ずっとずっとそばにいて。
 他には何もいらないから。



 抵抗する気も失せてしまって、アムロはベッドの上に仰向けに寝転がったまま、しばらくシャアの好きなように触らせておいた。……違う違う違う。キスくらいならまだいい、でもこんなの絶対違う。違うけど、説明したくても今のシャアには通じない。
「シャア……多分……必要だったのは……」
 見上げると、身動きをしなくなったアムロを不思議な表情でシャアが見下ろしている。……まだ水気を含んだままのその髪に手をやって、首筋辺りを撫でながらアムロは聞いてみた。返事の返って来ないことなど分かっていたが。
「……ララァじゃないのか。本当に求めていたのは。」
「……」
 シャアは不思議な顔をして、まだ自分を見つめている。しかし、その瞳はどこか欲で潤んだままだ。
 シャングリラでカミーユ・ビダンと会った時、不思議に思ったことがある。彼から感じたのは、一人分のプレッシャーではなかった。幾人もの今は亡き人々が、彼の中に住んでいるように思えた。
「……だから、」
 俺の中に、なにかララァが残っているのでは。……シャアに身体まで求められるに至って、アムロは唐突にその可能性に気づいた。思えば、単純な話だ……おそらくシャアが求めていたのも、愛おしかったのも、一緒に暮らしたかったのも、本当は俺じゃない。……ララァだ。そうだ、ララァだよ。
「……だから……」
「……アムロ」
「!」
 なのに、シャアは……その全ての予想を裏切るように、アムロの名を呼んだ。
 ……なんだよ。何でなんだよ!
 ついに我慢出来ずにアムロは泣き出してしまった。
「……アムロ、アムロ」
「……分かったよ! もう分かったったら!」
 ……時間もやった。身体もこれからくれてやろうとしている。……それでこれ以上、もうどうしたら良いというのだろう。
「シャア……!」
 腕に力を入れてシャアの頭を引き寄せると、シャアが心配そうにアムロの涙を拭う。その仕草はひどく優しかった。アムロはどこか恥ずかしくなって、シャアの背に手を回してその胸に顔を埋める。二人の裸の身体が密着して、嫌でも鼓動が早くなる。
「……ん……」
 ……それでこれ以上、もうどうしたら良いというのだろう。これでもシャアが直らなければ、もう俺に出来る事など何もない。何一つない。
 それが証明されてしまうじゃないか。……そう思いながら、シャアの腕の中で揺られて、何度か果てた。



 もう水は溜まっている。
 もう水は溜まっている。
 アムロが居ればきちんと出来る。
 アムロが居ればきちんと立って居られる。
 だからアムロ、お願いだから一緒にいて。
 ずっとずっと一緒にいて。
 一つになって、繋がって、そうして。
 アムロの中がこんなにも気持ちよいなんて思わなかった。
 ……アムロの中がこんなにも落ち着くなんて知らなかった。
 もう水は溜まっている。



「……セイラさん?」
 真夜中に起き出したアムロは、取りあえず連絡だけはしなければと思って、セイラに連絡を入れた。
『アムロ。』
「シャアなんだけど……夕方くらいに見つかって。海でね、かなり身体が冷えていたから取りあえずシャワー浴びさせて寝かせなきゃって思って……連絡が遅くなってごめん。」
『……いいのよ。実は使用人の一人が夕刻、兄とアムロの姿を海辺で見かけていたの。……だから見つかったんだな、って。こちらも安心していたのよ。ありがとう。』
「……あの、セイラさん。」
 出来る事なら、セイラに隠し事はしたく無かった。……しかし、電話で何があったのか伝えるのも憚られる。自分は軽蔑されるかもしれない。言いたく無い訳ではないのだが、いや、言いたくないな……。
「……あの、セイラさん。明日、ちょっと話が。」
『……分かったわ。では明日ね、今日は遅いからもう失礼するけど。』
「ああ、ごめん……」
 アムロは電話を切ると、あちこちが悲鳴を上げたままの身体を引きずって寝室に戻った。……嵐は山場を超えたらしい。少し小さくなった雨音が窓越しに聞こえている。
「……」
 戻って来た寝室の、自分のベッドの上でシャアが寝ている。……一緒のベッドで眠る事にはこの一ヶ月ほどで慣れたが、さすがに今日はブランケットから伸びた腕が裸だったので目のやり場に困った。つい、使われていないもう一つのベッドに目をやる。……しかしな。これで目が覚めて、俺がいなかったりしたら大騒ぎになるだろうしな。
「……あーあ、」
 アムロはシャアと同じベッドに戻ると、ブランケットを持ち上げてその隣に、自分の身体を滑り込ませた。……全く無意識だろうに、シャアが腕を回して抱きしめて来て焦る。……暖かい。
 ……これで明日、シャアが元に戻ってくれていたら、他に何も望むことなど無いのに。













2009.02.05.




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