結局、残りのテスト項目も全て消化して数日後、ロンドベル隊はサイド2、コロニー・ノヴァを去る事になった。ブライト曰く、
「常人に感知出来ない程度の重力の変化があったところで、試作機の初回テストにさして支障はない。なら仕切り直して余計な予算を使う必要もない」
だそうだ。
それにはアムロも同感だ。念のため、ヒューイ・ムライにも意見を聞いたが、技術者的見知から太鼓判を押してくれた。そもそも、重力下テストと宇宙空間テストを両方行う予算も時間も無いので、コロニーで六分の一重力下テストを行っているのだ。
そのくらい事態は切羽詰まっているのだ。
……シャアが、そしてネオ・ジオンが、いつ本格的に動いてもおかしくは無い。そして自分達はその尻尾を捕まえられずに、刻々と迫るタイムアップに怯えながら新型機の開発を行っている。
「それじゃアムロ、調整は完璧にしますから! 楽しみに待ってて」
テストを終えたプロトの機体とチェーン・アギとヒューイ・ムライ……を、月のアナハイムに送り届ける航路に、ロンド・ベル隊はついていた。
「ああ、もちろん。楽しみにしているよ」
アムロは相変わらずどこかズレた彼女に、しかし微笑んでやるしかなかった。これは、チーム全体の問題だ。なんとしてでも新型機は完成させなければならないし、自分の好き嫌いで人間関係を荒立たせるわけにもいかない。
それにまあ、チェーンが可愛く無いわけでは決して無いし。
「……俺って外面がいいのかな」
「今頃気がついたのか」
別面にあるリバモア工場に入港し、艦を降りて行くプロトとチェーン・アギとそれからヒューイ・ムライ……モビルスーツと人間を同等に扱ってしまうのは悪い癖だ、と何度もブライトに指摘を受けた……をタラップの上から見送っていたアムロは、急に声を掛けられて正直ぎょっとした。脇を見れば、いつの間にやらブライトが近くに来ていて、同じ様に艦を降りる今回のテストスタッフを見送っている。
「グラナダの方には、第二軌道艦隊本部には寄って行くのか?」
「話をはぐらかすな。……まったく、失敗だったのか? アストナージに頼み込まれたんだがなあ……」
「何が」
話が読めなくてアムロは聞き直した。すると、何故かブライトはばつが悪そうに眉を下げる。
「チェーン・アギ准尉。……秘密にしておくようアストナージには頼まれたが、まあ私は隠し事に向く性格ではない。『黒髪で可愛い系の女性士官を、なんでもいいから整備班に入れてくれ』ってアストナージに頼まれたんだよ。今年の頭くらいだったか?」
「……」
理由は聞くまでもない。アムロは思わず盛大に溜め息をついた。
「俺がケーラに本気で手を出すわけなんかないだろう! 何を心配して余計な気を回してるんだアストナージは!」
「正反対のルックスと性格、出来るだけ条件に合う女性士官を捜したつもりだったんだが」
「ブライトもブライトだ! アストナージの戯れ言なんか本気にするな! おかげで俺は若い娘に言い寄られて……」
「まんざらでもないんだろう? 本当に外面はいいな、お前」
「……」
アムロが黙り込むと、ブライトが面白そうに紙袋を目の前に差し出した。
なんだか以前にもこんな風にブライトから紙袋を差し出されたことがあったような気がする。嫌な予感がするなあ。
「まあ、諦めろ。ハード面に関しては、アストナージに負けず劣らず優秀な女性だよ」
「さっきまで男尊女卑っぽい発言を繰り返していた男の言葉とも思えないな」
「心外だ。どのあたりが」
「『出来るだけ条件に合う女性士官を捜したつもりだったんだが』……俺はそういうのは嫌だ。彼女は彼女で十分に魅力的だ」
ついにブライトが吹き出した。
「やっぱりまんざらでもないんじゃないか」
「ああそうだな、優秀なのも確かだし。見掛けで選んだような事を言われて多少なからずムカついたよ。ただ、優秀っていうだけならヒューイの方がずば抜けて優秀だからな。彼はハードじゃなくてソフト専門だが、」
「システムエンジニアだからな。そりゃ当たり前だ。話が繋がった所でこれを受け取れ。そのヒューイからの置き土産だよ」
「ヒューイから?」
ついつい、目を輝かせて紙袋を受け取った。
「伝言もある。『気になる事があったのでファイルにしてあります。忙しそうなので艦長に託します』……見ものだったなあ、これを託されて私のところまでやってきたウェイン少尉は」
「……」
アムロは返事もせずに袋をその場で開いた。中から出て来たのは一枚のディスクだった……またディスクか!
「……それで、サットンがなんだって?」
それから思い出した様にアムロが顔を上げると、ブライトは何故かげんなりした顔をしていた。
「サットン・ウェイン少尉は、このディスクを私に持って来た時、『大尉はいつの間にそんなにヒューイと仲良くなったんですか……俺、立ち直れないかもしれない。もう一生セロリ食えないかも……』と呟いていた」
「……」
「ここで問題は、お前が『外面が良すぎる』という点に戻る」
「いや、戻らないだろうそれは。……俺そんな気無いし」
「知ってる。だからこそ問題だ」
アムロはアナハイム・エレクトロニクス社フォン・ブラウン支社、リバモア工場の私設宇宙港に視線を戻した。ブライトもつられる様に同じ方向を見る。出口に視線を回した。やや離れた箇所に設置されている巨大なマスドライバーがよく見える。数々のコロニーを作る為の資材、それを打ち出したマスドライバーだ。
「……俺って、そんなに外面だけいい?」
「ああ、かなりな。ひどく可愛い」
「気持ちの悪い事言うなよ……」
言葉とは裏腹に、アムロはヒューイに託されたディスクを、見たくて見たくてしかたないという顔をしてブライトを上目がちに見つめている。
ブライトは心から深く、溜め息をついた。
「……行け」
「恩に着る、ブライト!」
アムロはそれだけ言うと、タラップからさっさと身を翻し自分の部屋に向かった……のだろう、多分。
ーーー宇宙世紀0092、七月十日。
ーーー時は遡る事0092、七月六日。
全ての出来事が起こった日だ。この日、この日、アムロは自分の機体の開発主任がニナ・パープルトンからヒューイ・ムライに移ったことを実感し、この日、アムロはチェーンの甘ったるさに辟易し、この日、アムロは廃棄コロニーの異常を体で感じた。
そして出会った。
砂煙の中で、シャアに。
そして一枚のディスクを手渡された。
暗号で書かれ、読めもし無い「起動プログラム」を。
ーーーそれと同じ七月六日。
絶壁の縁で微動だにしない男がいた。
カイは海を見つめていた。
最終的に何かに、そして全てに迷うといつも自分はここに来てしまう。
岬の先に立つ屋敷が、この場所からはよく見える……しかしそこまで行こうとは思えなかった。
自分勝手だ。
人間は所詮、皆勝手だ。
それでも自分はここに来てしまった……だから、会えない。あの岬の先の屋敷に住む人には到底会えないのだ。それでも、自分はここに来てしまっていた。
……今日、病院に行ったらカミーユ・ビダンが消えていた。
ファ・ユイリィもちろん一緒にだ。遠からずボギーも気づく事だろう。それも、俺の仕業くらいに思うかもしれない。
……でも、違うんだボギー。俺が行った時、カミーユ・ビダンは既に消えていた。となったらそれは、カミーユが、自分の意志で行動したってことだ。
それでも絶対ボギーは、俺がやらかしたと思うんだろうな。
そんなことを思っている端から、胸ポケットの端末が震え出した。
……違うぜボギー。今回は俺じゃないんだ。
聳え立つ岬の屋敷を神々しく眺めていたカイには、その電話に出る気力も無かった。あの屋敷には、決して手を触れる事の許されない、周りの男達にとっては不可侵条約のような状態になった女性が住んでいる。
セイラ・マス。
シャア・アズナブルの妹。カイは、どこか愉快になって、居なくなったカミーユ・ビダンの詩集を……俗に『カミーユ・ノート』と呼ばれるそれを、目の前の海に向かって広げる。
ページをめくる。
風が吹く。
……ああ、何故俺は今こんなにまでも満足なんだろうなカミーユが消えたと知って。
カイがつい手を放した詩集は、風に飛ばされて消えて行った……ドーバー海峡、カミーユ・ビダンの髪と同じ色をした海に。
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2008.10.20.
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