ブライトと別れたアムロはとりあえず自室に戻った。
休息は半日も無く、四点鐘には哨戒任務に着かなければならないのだがどうも休む気にもなれない。そうして明日からの試作機テスト項目消化もこのままではどうなるか分からない。アクシデント続きだったしな……と思いつつ、落ち着く為にシャワーを浴びた。
それから、やっと例のディスクを取り出した。
「……さてと」
結局、シャアと会った事をブライトには言えずに終わった。言っても良かったのだがどうも言い出し損ねた。このディスクのこともある。シャアからのプレゼントは碌なものだった試しがないが、内容を確認してからブライトに報告しても遅くは無いだろう。アムロは自分にそう言い聞かせると、ベッドの上に座り込んだ。
悩んだ挙げ句に、艦のコントロールと繋がる端末ではなく私物の端末にそれを差し込む。万が一という事がある。これがウィルスか何かだった場合には、外部に繋がっていては取り返しのつかない事になる。そう思って駄目になっても構わないような端末をわざわざ部屋の隅から引っ張り出して来ていた。
「……」
出来る限りのウィルスチェックを済ませ、それからついに、中に入っていたたった一つのファイルをクリックする。ありふれた圧縮様式の、ありふれたファイルだった。ただ、付いている名前は変わっていた。
『Sequentia』
読み方は間違っていなければ「セクエンツィア」だろう……何語だ、これは。
そして開いたファイルの中身に……アムロは唸った。
「お早いお帰りで」
偽装した輸送艦から降り立つシャアを、宇宙港で出迎えたのはナナイのそんな軽い皮肉だった。
「お忍びにトラブルは付きのもだよ」
「あちらに車が。……ギュネイ、あなたも早く」
「イエスサー」
慌ただしく、そして人目を忍ぶ様にシャアとギュネイは車に移り、ナナイもその後に続く。目に付きはしないが幾多の護衛もナナイの手で準備されているのだろう。
「私が居なかった間に何か問題は」
「特に何も。……大佐が戻って来るのが予定より一時間三分遅れたのが問題だったくらいで」
そのナナイの返事にシャアは声を立てずに笑った。窓の外には流れて行くコロニーの景色が、スイート・ウォーターの夜景が広がっている。
「こちらは問題が大有りだったよ」
「そう思うのならこんな視察はもう止めて下さい」
「仕方がない、幹部連中がどうしても許可と人員を出さないのだから」
「出すわけないでしょう、この忙しい時に」
「怒るな、収穫はあった。……いや、むしろ無かったというべきかな」
「……」
なんとも言い難い顔をしているナナイの目の前に、シャアは一枚のディスクを差し出した。小さなディスクだ。
「……十一枚目だ。今回のコロニーにも仕掛けられていた、つまり再生には向かないという事だ」
「……それで。トラブルはそれだけ?」
「勘がいいな。今回は驚いたよ、何しろコロニーの中で連邦の艦隊が新型機のテストを行っていたんだ」
「何ですって!?」
その台詞にさすがにナナイが目を剥いた。
「どうして直ぐに引き返さなかったんです! そんな所で殆ど護衛も付けずに……」
「それは私がその新型機のテストをどうしても近くで拝みたくなってしまったからだよ。だから宇宙港付近では我慢出来ずに、コロニーの内部に入った。いや、今回ギュネイは優秀だったよ」
「そんなことは聞いていません!」
「本当に優秀だった。敵に向かって銃を構えるタイミングも完璧だった。いきなり踏み込まれたのにな」
「生身で誰かと遭遇したんですか! それも、連邦の軍人に!」
もうそろそろ屋敷に着きそうだ。続きは部屋でたっぷりと聞かせてもらう事にしよう。そう思ってナナイは前部座席に座るシートを盗み見たのだが、当然ギュネイの表情は読めない。しかし、時折フロントグラスに映るその顔は、妙に強ばって見えた。
「ギュネイはエレカの運転も上手くなったしな。まあ、銃を構えるまでは良かったんだが、その先はいただけなかったな」
「……」
シャアはことさら陽気に、話を続けた。ギュネイは何も答えない。それに、ナナイは奇妙な違和感を感じた。
……何、これ? 何があったの。
「……ナナイ、コロニーにたまたま居た艦隊というのははんとロンド・ベル隊でね……」
ついに低く笑いながら、シャアが秘密をばらした。
「……やっていたのはアムロ・レイ専用機のテストだったんだよ」
「……」
ナナイは思わずギュネイを凝視した。やはりギュネイは何も答えない。
「そうなんだ」
シャアは薄暗い車の中で、花がほころぶ様に笑っていた。
「私とギュネイは……アムロ・レイに会ったんだよ」
「……」
ナナイはもう言葉も出なかった。細かい話を聞かなければと思っていた。いや、実際に作戦士官として、それはやらなければならない仕事なのだろう。だけど、もう、一言だって。
一言だって、その場の出来事を聞きたくはないと思った……女として。
ギュネイはまだ、何も話さない。
起動プログラムだ。それだけは分かる。しかし、中身を読む事は出来なかった……平たく言えば『暗号』だ。
「なんだこりゃ……」
既存するプログラムは一定の方式に乗っ取って書かれる。辛うじてアムロに「プログラム」だと分かったのは、方式通りに書かれていたからだ。
「暗号鍵がなきゃ、無理だ……」
しかし、中身は本当に意味不明だった。ベースはF言語の、だけどアルファベットの記述部分が意味不明なプログラム。
コンピューター言語がCやC++だった旧世紀にこういう言葉があったのだろうか?
いや、恐らく無い。ありとあらゆる言語と勝手に翻訳するくらいの機能を端末に仕込む事くらいは容易いアムロだ。その自分の端末で表記出来ないとなると……。
もう一回唸った。暗号鍵が無きゃ無理だ、と呟いたのには理由がある。
人々が端末でやり取りする事の利点に気づいた時代に、暗号鍵、というものが生まれた。暗号自体は遥か昔から存在していたし、軍には欠かせないものでもあった。ナチス・ドイツのエニグマ暗号機を解読出来たことが、第二次世界大戦の終結を早めたことなんかは世界的に有名な歴史だ。
暗号鍵理論はもっと後になって生まれたもので、情報を皆が共有するのが当たり前になっていた旧世紀末期盛んに使われた手法だ。
ミノフスキー粒子に通信を阻まれる前、世界はもっと深くネットワークで繋がっていた。むしろ、そこに秘密はないくらいに、情報とは公開されて当たり前のものだった。WWW。インターネットだ。イントラが主流に戻った宇宙世紀では考えられない環境だ。
誰もが見れて当たり前だが、秘密にしたい情報もそこにはあった。そこで開発されたのが「暗号鍵」だ。
誰だって、情報は見れる。どれだけリンクを切ったって無理だ。ネットに接続しているとはそういうことだ。しかし、見せたい相手にだけ情報を見せたい時、そんな時はどうしたらいい? 結論は簡単だ。鍵を作れば良いのだ。相手にしか情報が開けないようにする鍵を。
「なんで……こんな中途半端なものを……俺に渡すかな、あの男は!」
アムロは思わず毒づいた。読めない。このプログラムの中身は『特定の暗号鍵』がない限りはおそらく読めない。なのにあの男はこれを俺に渡した。アムロは溜め息をついて端末からディスクを引き抜いた。
『プレゼントだ。君は違和感に気づいたか』
ディスクに書き付けられた手書きのメッセージを二、三度なぞる……そこで気づいた。
ちょっと待て。
……ひょっとしたらシャアもこの暗号を……まだ解けてないんじゃないのか?
「……っ」
そう思ったら寝ようと思っていた身体が勝手に飛び起きた。落ち着け。落ち着けよ、俺。
だとしたら、このディスクは、そしてプログラムは……どこから来た、何なんだ?
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2008.10.20.
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