「食べている最中に端末を覗き込むのは止せ」
「こぼさないよ」
「それは私の端末だ」
「だからこぼさないったら! ……ブライト、その杏仁豆腐美味しそうだな」
「……ほら」
「ん」
「……」
ヒューイ・ムライは非常に居心地悪く士官食堂で食事を摂っていた……夕食の時間帯だったので食堂に行こうとしたら、急に艦長から呼び出しだと伝えられた。それも士官食堂に来いという。そもそもヒューイはアナハイム社から出向している民間人である。通常の食堂ならともかく士官食堂に入る資格は無い。それが行ってみれば件の艦長と更に作戦士官と一緒に、三人で食事を摂れという。
……どうしろって言うんだ。
何故かいつもずり落ちがちの眼鏡を押し上げながら目の前の二人を観察してみたが、どうやら今は艦長が、艦長専用デザートを作戦士官に分け与えている所らしかった……それも端末を弄っているアムロ・レイにスプーンを差し出してやって! それもどうなんだろう。ヒューイはちらりと周囲を盗み見る。しかし、誰も疑問には思っていないようだった。
「……やっぱ、ちょっとおかしいな」
食事をあらかた、それも艦長のデザートまで横取りして終えたアムロがそう呟くと、待ってましたとばかりにブライトがトレーを脇に押しやる。そのトレーをコックがさっさと片付けに来て、それではもう食事は終りなのだと気づいたヒューイは慌てて食事の残り口の中に掻き込んだ。
「あ、そんなに急がなくていいぞ、ヒューイ。それでブライト。俺が気づいた違和感なんだが……」
「それがさっきテスト項目消化中に言っていた『気のせい』の元凶だな?」
「ああそうだ。気にはなったんだがモビルスーツ内の計器で細かくチェック出来るものでは無かったし、機体から降りて体感してみようとしてもやはり確認出来るようなものではなかった。ここ数時間ではなくて、このコロニーに着いてからずっとの詳細なデータが必要なものだったんだよ」
「それが気象データだと言うのか。このコロニーは廃棄コロニーだ、気象も何もないぞ?」
「別にコロニーの天気を知りたかったわけじゃない。天気はいつも砂嵐だ、そんな事は分かってる」
「……」
ヒューイ・ムライはまたしても置いてけぼりを食らっていた……というか何故自分がここに呼び出されたのだろうなあ。その気象データとやらが、νガンダムプロトと何か関係あるのだろうか。そのせいで何処か調子が悪いとか?
「ここをどう思う? ヒューイ」
そう言うと、急にアムロが端末を目の前に差し出して来た。非常に細かい数字の羅列だが、見れば画面の一部分だけにチェックが入っている。
「……」
何の数値であるかはともかく……ぱっと見て分かるのは一つだけだ。
「……ごく僅かですが下がっています。それも規則的に」
「だよな。確かに規則的に」
アムロが非常に嬉しそうな顔をした。その向かい側で、ブライト・ノア艦長が全く分からない、という顔をしている。ヒューイはそれが何に関する数値なのか確認したくて、端末を受け取ると多少弄ってみた……そして驚愕した。
「……これ」
「ヒューイに来てもらったのは観察能力と、それから数値の読解能力にひどく優れていると思ったからだ。俺は確かに右足に重心を掛ける癖がある。しかし、誰もそんな事気づかないだろうと思ってた。アストナージにだって言われたことはない。本当に無意識のレベルなんだ。でも、ヒューイはそれに気がついただろう? だからこれだけ細かい数値でも、状況が読めるんだじゃないかと思った」
「……」
「通常のセキュリティでアラート(警報)が鳴るレベルじゃないが、俺は違和感を感じた……だから確かめた」
「おい、私にもわかる様に話せ」
「このコロニーはプロトのテストには向いてない、って話だよ」
さっくりとしたアムロの返事と、それからこんなにも細かい事に気づいたその感応力にヒューイは背筋に寒いものを感じた。
凄いな、これがニュータイプってものなのか。
「ヒューイ・ムライ」
すると説明をする気のなさそうなアムロにしびれを切らしたのか、今度はブライトが聞いて来る。
「……止まりつつあるんです」
「は?」
「徐々に回転が止まろうとしているんです、このコロニー。それで、重力の数値が変化しています。アムロ・レイ大尉の言う通り……厳密な六分の一重力下テストには向いていません」
「念のために聞くが、それは、人間に分かるレベルで刻々と変化しているのか」
「いいえ。この程度の変化なら最低でも一ヶ月は経たないと気づかないと思いますね。一時間あたりだったらコンマ四桁の世界ですよ。しかしこのままの数値で移行すれば……三ヶ月ってとこかな……三ヶ月後には、このコロニーは完全に止まって、重力が無くなるでしょうね。レイ大尉がコロニーの中で模擬戦闘とテスト項目消化を行ったのは合わせても四時間程度。それだけの時間で重力の変化に気づくなんて……凄いですね」
「……」
ブライトが面白く無さそうにアムロを見た。アムロはもっと面白く無さそうな顔をしてブライトを見返す。
「……だって機体を動かしていて、本当に気持ちが悪かったんだよ」
「分かった。そういうことならテスト地の再検討も考えよう。コロニーは他にも沢山ある」
「それは戦闘実験に使えそうな、廃棄コロニーが、という意味か」
「そうだ」
ブライトの結論を聞いてアムロは不服そうな顔をした。
「なんだ。そんな顔をするな、そんな顔をしたってこの宇宙から廃棄コロニーが無くなる訳じゃないぞ」
「……分かってるよ」
「ならするな」
艦長が作戦士官の頭に手を伸ばして、ふてくされた子どもをあやす様にぐしゃぐしゃにする。その有様を見ていたヒューイは、また例え様も無く居心地が悪くなって急いでその場を辞した。
差し支えなかったら先ほどのデータを自分にも転送していただけますか、とだけ付け加えて。
士官食堂を出たとたんに、通路でサットンに掴まった。サットン・ウェイン少尉。同い年で、この艦でパイロットをしている男だ。
「あっ、ヒューイ! 聞いたぞズルいぞ! 大尉とメシ食ったんだって!?」
「ああさっきまで一緒に……」
答えようとする端からいきなり羽交い締めくらいの目に遭った。
「ズルいぞふざけんな! 俺だって滅多に大尉とメシなんか食えないのにさ……しかも大尉は俺がセロリ食えないの知ってるから一緒に食事を食べられる事になってもセロリ攻撃とか食らわしてくるんだよな……それをなんでヒューイが一緒にメシ食えてんだよ!」
「俺はセロリ食えるからかな」
「有り得ない!」
この艦に来てから友達になったこの同い年の軍人は根っからの『アムロ・レイ信者』で、見ていて本当に面白い。しかし先ほど艦長までもがそうなのか? という光景を見てしまったヒューイにしてみれば、顔に浮かぶのは苦笑いばかりだった。
「なんなんだこの艦……」
「ラー・カイラムだよ!」
「いやそれはさすがに知ってるけどさ……」
思えば中学も高校も大学も飛び級で、最終的にはアナハイム社のエンジニアになった。優秀だと周囲には褒めそやされてここまで来たが、逆にこれまで身近に、同い年の友人など居なかった。だからそういう意味でサットン・ウェイン少尉は楽しい。
だが、それ以上にアムロ・レイの凄さも今日知ってしまった。ついさっきだ。
……凄いなあ。
ホンモノのニュ−タイプってああいうものなのか、データ上でしか、しかも自分のような凡人が注意深く観察しないと分からないような事実を『感』だけで看破出来るような人間なのか。勉強が人より僅か出来ただけの自分とは全く違う。
……凄いなあ。
「あーちくしょう、お前何話したか教えろよな、大尉と艦長と何話したんだよ!」
「えー別に、テスト項目消化の話だよ?」
「本当にそれだけ!? メシ時なのに? 色気無いな〜」
「色気あってどうするよ、野郎三人で」
何故かサットンがしきりに自分の眼鏡を取ろうとし、それに抵抗して揉み合っているうちにエレベーターについた。
「ちぇ、じゃあいいや! ちょっとは俺にも付き合えよなー」
「結局それかよ」
「なんだよ、文句あるのかよ」
いや、別に無い。
別に無いのだがその時ヒューイ・ムライの胸中は、ラー・カイラムに蔓延する『アムロ・レイ信者』を笑えないくらいの興奮と高揚に満ちていた。
……凄いなあ。
なんて言うか、俺は、ここに来れて本当に良かったな。ラー・カイラムに。
何故かずり落ちる眼鏡を必死に繕いつつ、自分がそれでも有り得ないほど笑顔になっているとヒューイは思った。
……興奮したなあ、凄いなあ!
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2008.10.20.
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