「やあ、アムロ」
「やあ、ブライト」
 艦橋に顔を出したアムロは、悪戯が見つかってしまった子どものような顔だった。
「言い訳はいい。無事戻って来たからな。……それよりお前が気になった事というのはなんだ」
「……へ」
 思ったより優しいブライトの言葉に驚く。
「気になった事って……」
 するとはぁ……と大げさにブライトが溜め息をついた。
 ーーー宇宙世紀0092、七月六日。もう夕刻だ。
「一緒に食べるか」
「え、何を?」
「夕食だ。士官食堂に行くか、それとも私の部屋に行くか」
「……食堂でいい」
「お前、まさか忘れてるんじゃあるまいな。さっきテスト項目消化中にいった言葉。『気のせいかもしれないが』。……お前の『好き勝手』が自分の是だった記憶がかつて無いし……お前の『気のせい』が気のせいで済んだ記憶もかつて無い」
「……」
「聞かせてもらおうか。何か気になる事の確認の為にプロトから離れてコロニーに降りたんだろう? 収穫はあったのか」
「……」
 笑顔で、それも満面の笑顔で優しく自分に語りかけるブライトはやはり手強い。
「……分かったよ」
 そうだった。確かに気になる事があって自分はコロニーに降りたのだ。しかし、実を言うと自分でも忘れていた、その後に起こった出来事の方が不条理過ぎて。
 だって、シャアに会って来たんだぞ。ついさっき。それもこのコロニーで。
 正直に言った所でむしろブライトは信じないような気がする。俺も自分で信じられない。しかし確かに相手はここに居た。
「分かった、全部話す。ただしこのコロニーに着けてからの気象データを全部と……」
「気象データ?」
「それから、出来たらヒューイを呼んでくれ」
「ヒューイ? ヒューイとはヒューイ・ムライか」
「そうだ。その、アナハイムから出向して来てるヒューイだ。メガネのエンジニアだ。彼の意見が聞きたい」
「……分かった」
 見れば、ブリッジに居るオペレーター達が一様にくすくすと笑いながら自分達のやり取りに聞き耳を立てている。とは言っても廃棄コロニーの辛うじて無事な後部ドッグに接岸中の艦だ、オペレータ達にさして仕事も無い。おまけにこの艦の通信兵達は艦長と作戦士官のこんなやり取りに慣れてしまっている。
「なんだ」
 さすがにその忍び笑いに気づいたらしく、ブライトがオペレータ達に目を向ける。ああもう、聞くなよ……とアムロは頭を抱えた。
「何でもありません。あの……亭主関白のフリして本当にカカア天下だな、って思って」
「は?」
 ブライトは素で分からなかったらしく、そう聞き直している。ああ、もう、だから聞き直すなよ!
「行くぞ、ブライト!」
「おいちょっと待て……!」
 アムロは耐えられずにブライトの手を引くと艦橋から出た。このコロニーに着いてからの気象データを自分の端末に回せよ……などとブライトが最後まで艦橋要員に指示を飛ばしている。
「はい……艦長も良い休息を!」
 笑いをこらえながらそう返事をしている通信兵達の姿を、アムロは見て見ないフリをした。
 あぁごめんミライさん。
 俺、ちっともあなたの替わりが勤まりそうに無いです、あなたは偉大な母だった!



「何か感じたか?」
「はぁ……」
 シャアにそう問われ、ギュネイは返事のしようがなかった。
 感じた? それは、先ほどまで居た廃棄コロニーの、朽ちかけた農家での出来事を言っているのだろうか。
「感じたか……何か……って言われれば」
「言われれば?」
 二人はなにやら混乱している連邦側(ギュネイはそう認識していた)の隙をついて、崩壊し果てた前部ドッグに戻って来ていた。
「埃っぽいな、とか」
「……」
 シャアが何とも言えない顔で自分を見つめている。しかし埃っぽいな、というのは本当に実感だった。自分が育った貧民街も、かなり埃っぽかった。だからギュネイはそれと比較してしまっていたのだ。
 それよりも埃っぽく、それよりも不毛。
 ……そんな大地があることすらもギュネイは知らなかったのだ、知らない事だらけだこの世には。
「あんたゲイなのか」
「……あのだな」
「アイツのこと好きなのか」
「だからな」
 立て続けに自分の質問をぶつけてみたら、シャアは本当に面白そうに破顔した。
「お前、強くなりたいのだろう」
「そうだ」
「また敬語を忘れているぞ」
「……そうかも」
 しかしまあ人生で初めてスイートウォーター以外に出たのだ、そうして「調査作業の護衛」と言われたはずの任務で、出会った相手に上司が暴言を吐いたのだ、そのくらいの動揺は許して欲しい。
「……更なる強化が必要だな」
「何……俺の?」
「強くなりたいんだろう」
 もう一回シャアがそう繰り返した。エレカで港まで戻って来たが、もともとこのコロニーには偽装した貨物船で入港している。長距離移動をしていた民間の貨物船が、ああちょうど良い所にちょっと休めそうな打ち捨てられたコロニーがありましたよ、だからそこに足を止めています、程度の加減で。
「私は聞いている、お前は強くなりたいのかと。だから、強化を希望したのだろう?」
「……イエス・サー」
 先ほど敬語の事を指摘された手前もあり、ギュネイは反射的にそう返した。すると、何故か目の前のシャアが顔を歪ませる。
「教えてやろう。……先ほど、君が会った男は……私が愛していると言った男は『アムロ・レイ』だよ」
「……」
 そういうシャアの言葉は囁きに近かった。耳元に触れる程の距離で囁かれたその名前を、自分は一生忘れないだろうと思った。
「『アムロ・レイ』だ。……ニュータイプだ。お前が彼に会って何も感じなかったと言うなら……お前はそこまでの人間だ、ということだ」
「……」
 言われる意味はよく分かる。そして実際、自分は何も感じなかった。
「ナナイがあれほど手を掛けているというのに……私達は二人して、お前を育て損ねたと言うのかな」
 アムロ・レイ。
 ホンモノのニュータイプ。
 ……ナナイが泣く理由。
「……うるせぇ!」
「敬語をまた忘れたな」
 あれがニュータイプ。
 凄く平凡な男だったじゃないか。容姿もぱっとしなくて、ちょっと童顔だ位に思った。その上大佐にアホみたいな質問ばかりした。でも、あの男がナナイが泣く理由。
 そう思った瞬間、ギュネイの中で何かが切れた。
「うるせぇ! 誰よりも強くなる、強化してもらう! それでいいんだろ!」
「本当にそれでいいのかな」
 目の前のシャアは泣きそうな顔をしている。それにまたムカついた……なんなんだ、これは!
 ただ、敵の名前は二度と忘れないと思った……アムロ・レイ。アムロ・レイだ! 赤毛で童顔で、上司にホモみたいな台詞を吐かせ、卓越したような顔で見下す人間だ。
 ……忘れない。
 ……忘れられるもんか、アムロ・レイ!












2008.10.16.




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