「……これで終りではないと思いますよ」
「てめ……いい加減にしろ、なんで爆発の起こる前に……ヒューイ・ムライが自爆コード付きのパスワードを打ち込む前に、先にパスを宇宙に送り込まなかった……!」
「……彼がそれを望んではいなかったから」
 カイは我慢出来ずにもう一回カミーユ・ビダンを殴った。
 だがやはり彼は笑っていた。
『どうなっている、テスト機部隊! 前部港湾部は!』
『……大丈夫だ、皆無事だ。今、状況の確認作業を行っている……爆発により破損したのはコントロールルームのみ。たった今、人員一名を確保……怪我は無い、氏名を確認する』
『私だ。……今、全地球圏の廃棄コロニーの停止を確認した。繰り返す、方向修正を始めていた全てのコロニーは停止。地球に向かう事は無い』
『ブライトか。生存者の氏名を確認した。……サットン・ウェイン少尉、十九歳。そちらのクルーだ』
『他には!』
「……同じ様な事が、これからも何度も何度も起こると思いますよ」
「……」
 カイに殴られたカミーユが口元の血を拭う。それは色の白いカミーユの頬に、酷く鮮烈な赤い筋を残した。
「止まらないと思いますよ。……ねぇ、聞こえてますか、宇宙のお二人。こちら地球。俺はやりたい事をやって、詩だなんて思わずに幾つかの何かを書いた。そうしたら勝手に増えた。勝手にそれに感化され、言いたい放題のことをいう人間が増えた」
「……」
 歌う様に言葉を紡ぐカミーユ・ビダンを、カイはもう放っておいた。
 ―――宇宙世紀0092、十月十四日午前八時三十四分。
「何故増えたんだと思います、カミーユ・ノートは。あと……何故セクエンツィアという名前がヒントだったのか」
『カミーユ、何度も言って悪いが、俺にはカミーユの言っていることの半分も理解出来ないよ』
「でしょうね」
 アムロの返事に、カミーユは笑った……千年以上前に『戦闘』の語源となる戦いがあったのだという、一面の緑の草原を見つめながら。その上を走る風を見つめながら。そして歌う様に続けた。
「セクエンツィア、っていうのはね。『幻の賛美歌』なんです。賛美歌の名前」
『賛美歌……?』
 割り込んで来たのはシャアだ。その背後で、いやだ、俺はここにいる! ここから動かない! と叫んでいるらしいサットンの叫び声が被る。
「ええ、賛美歌。……民間派生でね、人々が勝手に神を称えて歌った歌だった、心から自分の想いを胸にして作った歌だった、九世紀から十五世紀に掛けて大量に作られて、そしてトリエント公会議で廃止された賛美歌。……ちょっと待てよ? 公会議とは何なのか、ってところからあなた達に説明しないといけないのかな。そうだなあ、こういうの、シャア・アズナブルなら詳しいんじゃないかと思うんですけど」
『……』
 その言いようにシャアが黙る。……というより自分がシャアだということをこの通信に乗せるわけにはいかないのだ。
「トリエント公会議、実質上最後の公会議ですね。中世が終わった瞬間だ。1545年から1563年まで、馬鹿みたいに人々は公会議をしていた。……ほんと、馬鹿みたいだ」
『……』
 カミーユの独白は続く。
「公会議で認められた物が『聖書』で、認められなかった幻の賛美歌が『セクエンツィア』だとしたら……なんていうか、皮肉な話だと思いませんか? ……シャア・アズナブルって人はカリスマなんだけど、カリスマであるが故にいろんな名前で人々が彼を呼んで、それは確かに不幸な事なんだと思いますけど、それでも公会議で認められているだけマシですよね。まあつまり、地球連邦政府が敵と認めている点に於いて、という意味です。でも、カミーユ・ノートは違います。カミーユ・ノートはなんていうか人々が作り上げた、本物の……『人々の声』だった。今もです。だが、それを連邦政府は重要なものだとはもちろん思わない。思わないから野放しだ。野放し故にそれは増え続ける……俺を捕まえたって無駄だ……だって書いてるのは俺じゃない……俺が言いたい事分かりますか?」
『……なんとなく』
 仕方は無しに、アムロが答えた。
「シャア・アズナブルというカリスマが聖書なのだとしたら、カミーユ・ノートという歌は、幻の賛美歌なんです。連邦政府はこれを認めない。認めないけど無くなりはしないと思う。だってそれは、民衆の真の代弁者たる書物だからだ。第二、第三のヒューイ・ムライはきっとこれからも現れる。カミーユ・ノートは誰でも見れる。誰でも歌う事が出来る」
『……』
「……あなた達は、ほんと、お互いがいて戦う事さえ出来れば幸せなんでしょうね、聖書であるあなた方には。でも世の中には沢山の人がいますよ。何かを言いたくて、そして言えない人々が。そういう人々がいる限り、心の慟哭として『カミーユ・ノート』は延々と歌い続けられる」
 カイは成す術も無くカミーユの脇に突っ立っていた……何を言っている。何を言っているんだこいつは。もう殴る気力も湧かなかった。
「そういう平凡な人々が魅力を感じる物が『カミーユ・ノート』だったんなら、俺はそれでいいかな……って思った。人々は平凡です。平凡な人々がこの世の殆どなんです。でも、平凡な人生でも、平凡な日々でも、言いたいことくらいはある。そう言う人々が生み出したのがこの書物なんだとしたら……ねぇ、凄く似てませんか? 『セクエンツィア』に。……禁じられた賛美歌に」
 もう通信の向こうから、若いパイロットの叫び声は聞こえて来ない。
 ―――やべぇ。
 背筋にぞっとするような寒さを、カイは感じた。
 カミーユ・ビダンは常に正気だった。
 カミーユ・ビダンは自分の名前を冠した書物が、ネットの中で流布するのを気が違ったふりをしてずっと眺めていた。
 ……そうして、こんなことは一回では終わらないだろうと今、言っている。
「だから……これからもカミーユノートは増え続けて行くだろうし……始まりが俺であったことなんて、本当にどうでもいいことなんです。だって勝手に増えて行くんです。歌が、増え続けて行くんですよ、人々は歌い続けていくんですよ、それが本当の意味での……『人々の想い』なんです。似てますよね、『セクエンツィア』と『カミーユ・ノート』。……分かりますよね、この意味?」


『……分かりますよね、この意味?』
 カミーユ・ビダンとやらが延々と、長台詞を吐いていた様な気がするが、そんなことはサットン・ウェイン少尉にとって、非常にどうでも良い事だった。
 目の前の壁に、いやドアに、何度も手を触れてみるのだが、それはノーマルスーツ越しにでもわかるくらい熱い感覚しか返して来ない。
 この向こうで吹き飛んだのだ。
 ……何が。
 いや、本当は分かってる。分かっているが考えたくないのだ。『親友』が吹き飛んだとは。その爆発の熱を、掌に感じて、でも身動き出来ずに、サットン・ウェイン少尉は座り込んでいた。
「……おい! 所属と氏名を……!」
 先ほどから何度も肩を揺すられている。あぁウザってぇな、と思いつつ視線を上げた。黄色が目映いばかりの『テスト機小隊』という名のそのうちの誰かだ。
「……サットン・ウェイン。地球連邦宇宙軍、外殻新興部隊……ロンド・ベル隊所属、少尉……十九歳……」
「扉は開けるか? この先の光景は確認出来るか」
 いつの間にやら別の人間が自分の肩を支えていた。それが誰かなんて、自分には興味もない。
「イエスサー。確認します」
 黄色いテスト機のテストパイロット部隊が扉をこじ開け、サットンは嫌でもその空間と顔を合わせる事になった。
「……」
 誰もいない。
 ……正確に言うと、誰も生き残っていない。
 サットンが数分前、ぶち破った向かい側のドアが黒く穴を空けているだけで、コントロールルームは見事にぶっ飛んでいた。
「立て」
 誰かがそう言った。しかし、サットンは拒んだ。
「……いやだ」
「立たないか! 現実を見ろ、ここにはなにも残ってないだろう!」
「俺はここにいる! ここから動かない、絶対にだ!」
 ……あの馬鹿。
 ……俺の心を見事にかっ攫って行きやがって。
 綺麗に死ぬとか、そんな手段で。
 ふざけんじゃねぇよ。
「いいかげんにしないか! お前はどれだけ目と頭が悪い!」
 そう、自分に向かって叫んでいる男がシャア・アズナブルではないかと、サットン・ウェイン少尉は急に思い当たった。なんていうか、子供だった頃に見たシャア・アズナブルの映像に、顔が似てるんだ。
 ……だけど、だから、何だって言うんだろう。
 ……なんだっていうんだろう……!
 ヒューイ・ムライが吹き飛んでしまった、俺の為のモビルスーツを作る筈だったのに。あいつ。すげぇ馬鹿な、モビルスーツのソフトを作る以外はてんで駄目なあいつ。
「つらい……っ!」
「では泣け。……ツケはアムロに回す」
 そう言って自分を抱き寄せてくれたシャア・アズナブルは確かに良い男だった。
 多分、シャア・アズナブル、なのだが。
 サットン・ウェイン少尉はその胸に縋って。
 ……本気で号泣した……煤けたコロニーのコントロールルームを背景に。












2009.01.01.




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