『ヒューイ!』
『サットン……なんでこんな所にいるんだよ、サットン』
「……空しいな」
呟きつつ、宇宙で起こっている事態を理解しつつ、それでもカミーユ・ビダンは最後のキーを押そうとしない。
宇宙世紀0092、十月十四日午前八時三分。
「最大のヒントは『セクエンツィア』っていう……このプログラムの名前だったんですよ。……これは彼が、ヒューイ・ムライがつけた名前ですが……秀逸です」
その現実に、冷静な言葉にカイは言いようのない苛立ちを憶える……そして思い出した。
一発ぶん殴ってやろうと思ってたんじゃねぇか。
そうだ、カミーユ・ビダンを見つけたなら、一発ぶん殴ってやろうと思ってたんじゃねぇか。
「てっめぇ……!」
遂にカイは我慢がしきれなくなって、古びた城壁を背にして座り込む彼のシャツの喉元を掴むと立ち上がらせた。
「……歯を食いしばれ! 今は、どこがどっからみてもそんな悠長なこと言ってる場合じゃねぇだろうがよ……!」
『カイ!?』
驚いたようなブライトの声が聞こえて来るが、知った事か。
『……なぁヒューイ、聞いてくれないか。俺さ……』
カイは思いきりカミーユを顔を殴りつけた……千年以上前に、大きな戦いが合ったのだと言うその場所で。「戦闘」の語源になったその場所で。
『俺さ、夢があるんだ』
殴られたカミーユは一瞬きょとんとした様な顔をしていたが……やがて下を向いたまま、通信にも乗らない様な小さな声でぼそりと呟いた。
「……すごいな、『修正』はさすがに久しぶりだ」
『夢があるんだ、聞いてくれよ』
コロニー・アドリア、コントロールルームではサットンがヒューイに向かって語りかけていた。
「……俺さ、夢があるんだ」
「……そうなんだ」
通信を繋いでいた全ての人々がその会話を聞いていた。
地球連邦宇宙軍所属の、サットン・ウェイン少尉と言う男と、アナハイム社のエンジニア、ヒューイ・ムライの会話を。
シャア・アズナブルは前部港湾部切り離しに成功し、その脇でそこに乗り込むのか、どうするのか迷いながら。
アムロ・レイは後部港湾部の破壊に成功し、全長三十キロ分の道のりを引き返しながら。
ブライト・ノアはラー・カイラムの艦橋で事態の推移を見守りながら。
ハンフリー・ボガートは北米オークリー基地の三課本部で片耳を地球連邦軍総司令官との通信に塞いだまま。
ロイ・ウィクロフトはその脇で膝に端末を抱えたまま。
ナナイ・ミゲルとギュネイ・ガスは主人の居ないネオ・ジオンの総帥執務室で、奇妙に涼やかな顔をして朝の光を浴びながら。
―――そしてカイ・シデンとカミーユ・ビダンはイングランド南東部の、古戦場である平原を見渡す崩れた修道院の建物の壁に寄りかかり。カミーユは片方の手で殴られたばかりの頬を押さえ、もう片方の手を端末のキーに掛けたまま。
「夢があるんだ、聞いてくれるか?」
「うん」
もしくはもっと沢山の人々が。
聞いているのかもしれないその会話が、流れ続けた。
―――宇宙世紀0092、十月十四日午前八時三十三分。
「コウ・ウラキ大尉っていう、軍人になったばっかの頃に世話になった人がいるんだ。北米のオークリー基地にさ」
「……へー。その話は聞いた事無かったな、今まで」
その会話はしかしどこか呑気で、とてもクライマックス・シーンで交わされるようなものには思えなかった。
「ばーか、お前も知ってる筈だぜ? ニナ・パープルトン、っていうのがウラキ大尉の嫁さんだ」
「え、パープルトン女史の旦那さん? ごめん、俺マジ知らなかったよ……」
呆れるくらい平凡な会話だった。平凡な、十九歳の男友達の会話。それは説得なのか? とブライトが問いただしたくなるくらい。
「それでさあ、ウラキ大尉ったらすげぇんだ。嫁さんが作ったモビルスーツに乗った事があるっていうの。それすごくね?」
「まあ、確かにあんまりないよなーそういうの」
この会話は重要なのだろうか。ブライトは判断をしあぐねた。シャアもアムロも、カミーユもそうだろう。
「それでさ、俺聞いてみたんだ。……『恋人の作ったガンダムに乗るって、どんな気分でしたか』って」
「……ガンダム……ああ、83年の試作機計画か」
ひどく端折った説明だったが、ヒューイ・ムライは記憶の奥からそのエピソードを引っ張り出す事に成功したらしい。
「俺、頭悪いんだわ」
「……いや、それ知ってるけど?」
サットンとヒューイの会話は続く。サットンはコロニーのコントロールパネルに向かうヒューイ・ムライに対して何故か銃を構えたままで、それが実は彼が今話している、コウ・ウラキ大尉と言う上官が、かつてコロニー落しを阻止する為に最後に取った行動に酷似していることを、もちろん自分では知らない。
「俺、頭悪いから自分でガンダムとか作れないんだ。……アムロ・レイ大尉や、カミーユ・ビダンみたいには」
「……」
ヒューイが黙った。黙った、というより考え込んでいるようだ。
「……だから、俺の夢は『凡人の夢』だ。ウラキ大尉と同じのが俺の夢なんだ。男の夢だ、って大尉は言ってた。『恋人の作ったガンダムに乗って、戦うことが自分は出来た。役割分担なんだ、そうやって繋がっていられたんだ……それって、男の夢だよな、幸せだよな』って」
「……」
「それ、すごくね?」
「……」
「……俺さ、夢があるんだ」
ヒューイ・ムライは……眼鏡の向こうの瞳を涙で曇らせながら、それでも何も答えなかった。
「……俺達、男女ではないから恋には落ちないだろ。……でも『親友の作った』モビルスーツにいつか乗れたら楽しいだろうと思ったんだよ」
「……」
「俺には夢があるんだよ。俺は自分じゃモビルスーツが作れないんだ……聞けよ、この馬鹿!」
「……聞こえてるよ。でも、信じられないんだ。俺と友達になろうと思ってくれる人なんて、今まで誰もいなかった。……俺はいつも『普通の人間』のつもりだったのに……俺が何をやっても褒めてくれない。頭が良いんだから出来て当たり前だって。……そして失敗しても、馬鹿とは言ってくれなかった。頭の良い人間にそんなことを言うのは気が引けるって。……聞こえはいいけど、それって誰もが俺に無関心だったって事だと思わない? だから俺……昨日アムロ・レイ大尉にも言ったけど、褒めてもらいたかっただけなんだ。前にサットン、どんな子供だった? って俺に聞いただろ。俺は……褒めてもらいたい子供だったんだと思う」
「ヒューイ……」
「でも、サットンは本当に俺のこと馬鹿馬鹿言うよな。それ、嬉しかった。本当に嬉しかった」
「過去形にしてどうすんだよ! お前、だからほんと馬鹿だって言うんだよ! お前も馬鹿だし、俺も頭が悪い。頭が悪いから、だからモビルスーツはヒューイに作って貰うしかないって話をしてるんだろ? わかれよ!」
「……」
ガンダムがいい、なんて贅沢は言わない。
ただ、ヒューイが設計したモビルスーツにいつか乗れたら……最高なんじゃないかと。
『……突入する。前部港湾部にこれから取り付く。A小隊は自分に付いてくるように』
『やめろ! あなた死ぬ気か、こんなところで……!』
『君、私が死ぬ時は君の手にかかって、と決めている。安心しろ、爆発の規模は分からないから賭けのようなものだ。私が死なないと決めている以上、この場所で死ぬわけが無い』
『あなたね……!』
何やら外が騒がしかった。
しかし、知ったことかと思いつつ、サットン・ウェイン少尉はヒューイ・ムライに近寄っていった。コントロールパネルに置かれたままのその手を掬い上げる。
「……俺よりサットンの方が絶対馬鹿だ」
「……」
「俺こんな事やっちゃって……多分生きてたってモビルスーツ作るどころじゃないのに……なのに、こんな所まで追いかけて来て……」
「ヒューイ。……俺の夢を叶えてはくれないのかよ」
「……っ」
握り合う手にサットンが力を込める。少し躊躇してからヒューイもその手を強く握り返す。
「……作りたいよ」
限界だった。
タイムリミットだった。
説得って、それで結局成功したのか?
「……作りたいよ、俺もサットンの為に、モビルスーツを作りたい……っ」
『……今だ』
会話を聞いたままだったカミーユ・ビダンが、地上で最後のキーを押した。凄まじい勢いでその手元の端末の画面が流れ、プログラムが宇宙に向けて送られ始める。
「でも……」
と、急にヒューイが握り合ったその手を引き、尊いものであるかのように口付ける。そして、眼鏡の奥の瞳を歪ませながらはっきりと……こう言った。
「……さよならだ」
「ヒューイ!?」
一瞬、サットンは何が起こったのか理解出来なかった。
ほぼ無重力に近い、コロニー・アドリアのコントロールルームで話をしていたはずの自分の身体が、勝手に部屋の外にはじき出される。
蹴られたのだ。
ヒューイのくせに、眼鏡のくせに凄まじい力で、それもひどく正確にドアに向かって。
入る時に壊したドアとは反対方向のドアだ。
そして、ドアの向こうに身体がはじき出された瞬間に、これまた手際良く、そのドアが閉まる。こちら側はシステムが生きていたのだ。
「ヒューイっ……!」
叫ぶサットンが縋り付いたドアの向こうに……爆発音が響いた。
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2008.12.28.
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