カムリは北米オークリー基地、諜報三課の本部で、震える手で必死に通信を入れようとしていた。
 ……落ち着け。落ち着くんだ。
 何度見渡しても、仮眠を取るために隅で丸くなっているボギー以外部屋には誰も居ない。時差の関係で十月十四日を回ったばかりの午前一時過ぎ。
「……ラー・カイラム。こちらカムリ。ブライト艦長、取れますか」
『こちらラー・カイラム。艦長に回します』
 直ぐに画面が映った。ブライト艦長、アムロ・レイ……あと、なんだか妙な格好をしているがあれはシャア・アズナブルか? ともかく全員いるな。……落ち着け。震える手で端末を持ち、そのまま寝ているボギーの脇に移動する。そして上司を蹴った。途方も無く失礼な事この上ないが、両手が塞がっていては致し方ない。というより、疲れているにしてもこの状況で眠っていられるボギーがおかしいのだ!
『どうした』
「カムリです。起動プログラムを……セクエンツィアを止める方法が分かりました」
『何だと!? いや、ちょっと待て……カイからもか?』
 と、カムリが抱えた端末の画面にもウィンドウが開き、カイ・シデンの姿が映る。
 この数ヶ月ほどで……厳密にはこの一ヶ月ほどの間に、連絡を取るなら四方向全てに、という習慣がついた面々だった。おそらくシャアが不在のスィートウォーターの執務室でも、ナナイがこの通信を密かに受けているはずだ。
『悪い、こっちも急用だ……カミーユ・ビダンをつい先ほど、拘束した』
『待て、順番に頼む……順番にだ。よし、重要な順に。カムリ、セクエンツィアを止める方法が分かっただと?』
「はい」
 ええそうです、分かったんですよ! そう答えながらカムリはもう一回ボギーを蹴った。最初の一撃では全く目を覚まさなかったからだ……こんな時になんだ! 居てくれないと、自分が心細いじゃないか!
「……いァ……何しやがんだ、てめ……」
 のっそりとボギーが起き上がる。カムリは震える声で先を続けた。
「方法は確かに分かったんです。分かったんだけど……! ヒューイ・ムライは? そこに、プログラムを組んだ本人は居ますか」
『いや、ヒューイはここにはいない。我々の目と鼻の先にある……コロニー・アドリアに居る。廃棄コロニーだ』
 そのブライトの返事を聞いて、カムリは絶望的な気分になった。
「間に合わなかった……」
『おい、どういう意味だ! あんた!』
 すると何故か、ラー・カイラムの艦橋にいたらしい見知らぬ若い兵が画面に向かって怒鳴りつけてくる。
『間に合わなかったってどういう……!』
『落ち着けサットン!』
 アムロが後ろからその兵を、慌てて押さえつけている。
「起動プログラムは……セクエンツィアは元々ネットを経由してそれぞれの廃棄コロニーに仕掛けられました。ワンタイムパスワード制を取るほどネットに直結している訳だし、そもそも仕掛けたヒューイ・ムライ本人が全てのコロニーに出向けた訳も無い。ネットワーク上でまき散らされた物なのは確かです。止める手段も実は最初からプログラムに組み込まれていた。それが分かったんです。分かったんですが……その方法というのが……」
「……やべえ。寝てる間に大変なことになってんじゃねぇか……」
 脇では起き上がったボギーが、ぼりぼりと頭を掻いている。
『なんだよ、早く言えよ!』
 ラー・カイラムからの通信画面では、まだ若い兵が喚いていた。
「たった一言、どのコロニーでもいい、セクエンツィアの仕掛けられているコロニーの制御室で、パスワードを打ち込むだけなんです。ただし、直接。直接です。この解除プログラムだけを、ヒューイ・ムライはネットワーク経由で作動させられるものにしなかった。パスワード本体を知っているのも彼だけだ。そして、打ち込みさえすればそのパスワードは全ての同じ起動プログラムを積んだコロニーに流れ、コロニーは止まります。でも……」
『……自殺用か』
 シャアが気づくのは早かった。そして、アムロも直ぐに艦長席のブライトを見上げる。
 うわぁああああ、という、おそらく若い兵のものなのだろう叫び声が通信から聞こえて来る……指先の震えはまだ止まらなかった。
 そうだ、確かにパスワードを打ち込みさえすれば、他の全てのコロニーは止まる。
 ―――ただし、それを打ち込んだコロニーだけが、その場で自爆する。この解除プログラムだけが、遠隔操作は出来ない――……
『出来ますよ』
 ところが、軽やかな声が急に通信に割り込んで来て、場の空気は一転した。
「……え?」
『ネット経由でセクエンツィアの解除パスワードを、コロニーに送り込めばいいんでしょう? 出来ますよ。ちなみに、パスワード本体も分かってます』
 見れば、カイ・シデンと繋がる方のウィンドウに、見知らぬ男が映っている……やけに見目の良い、美しい男だ。そして不必要なほどに満面の笑顔。カムリは思わず通信画面を凝視した。
 ……カミーユ・ビダンだ。
『……ああ、悪ィな。じっと話を聞いてらんなくてよ。割り込むぞ』
『まったく、揃いも揃って何やってんですか、あなた達は。あんなに時間があったのに。やっぱり、自分の事しか考えてないんだなあ……』
『出撃!』
 ヒューイを殺さずに、コロニーを止める事が出来ると知ったブライトの判断は早かった。
『アムロ、クワトロ大尉。爆発を大きくしそうな後部宇宙港辺りからコロニーを削れ』
 言われる前に既に二人は艦橋を出ようとしていた。時間が無い。
『……いや、違う。艦全体のコントロールもアムロに託す。直径六キロ、長さ三十キロのコロニーだ。主砲が要るだろう』
『俺も……っ、俺も出る!』
 呆然と床に膝を付いていたらしい若い兵も顔を上げた。
『当たり前だ。……さっさと行け! お前が行かないでどうする!』
「……」
 大きなため息を吐き出したカムリは、次の瞬間思わず床に膝を付きそうになった。いつの間にやら、ボギーに後ろから腰を支えられていた事にも気づかなかった。……終わった。自分に出来る事は、おそらく全て終わったのだ。
「……気ィ抜けたのか。……てめぇ、ちょっと休んでろ。後は俺が話をつけとく」
 ボギーがそう言ってカムリを脇の椅子に座らせる。
『……それじゃ、そろそろこっちの話もいいか』
『あぁ、もちろんだ。それでカミーユ、時間はどれくらいかかる?』
『最低でも一時間くらいかな。……ミノフスキー粒子、濃いんですよね、そっち』
『あぁ』
 カミーユ・ビダンとブライトのやりとりが膝の上の端末から聞こえて来るのを、カムリはぼんやりと聞いていた。
 ……そう言えば、またアムロ・レイにソフトのお礼を言い損ねたな。「それどころじゃない」っていうのがつまり……こういうことか!



 ―――時はやや遡る事、十月十四日、午前六時前。旧ヨーロッパ地区イングランド南東部、バトル。
 銃を向け、標準を合わせても目の前の男は、やはり嬉しそうにどこか微笑んだままだった。
 強く風が吹いた。海から草原を駆け抜けて来た風は、目の前の男のやや長めの髪を煽り、カイの横をすり抜け、朽ち果てた修道院の向こうに消えて行く。
「一緒に来い……」
 また一陣の風。
「……カミーユ・ビダン」
 目の前の男は聖母の様に微笑んで、嬉しそうに両腕を広げた。
 カイは一瞬、全てを忘れてその両腕に縋りそうになった。
 いや違う。
 違う……大丈夫。大丈夫だ、多分俺はまだ、大丈夫だ。
「カミーユ・ビダン」
「行きますよ。……俺が行って、それでどうにかなるって言うんだったら。でも恐らく、どうにもならないでしょうけどね」
「……」
 カイはカミーユの手を取った。痛いくらいにその手首を握りしめた、グロックを握る右手ではなく、左手で。
「……海を見せてくれるんですよね。……海に連れて行ってくれるんですよね、あなたが」
 ……あぁ。
 カイは頷き、しかし同時に疑問に思った。
「……それにしたっておまえ。ファ・ユイリィと一緒に海辺の街に住んでいるんじゃねぇか。なのに何故海なんだ」
「ああ、そういう意味の海じゃないんですが。……まあいいか。忙しいんでしょう?」
 それだけ言うとカミーユはカイの手をほどき、背後の崩れかけた修道院を指差す。
「あのあたりでいいですか?」
「いいかって、お前何が」
「通信。入れなくて良いんですか、カミーユ・ビダンを拘束したって……宇宙に」
 彼は上を指差してみせる。それから呆然としているカイの目の前で、さっさと足下の荷物をまとめ始めた。
 カイはカミーユ本人に気を取られるばかりに気づかなかったのだが、彼の足下の草むらには自分のものらしい端末と、それから奇妙なまでに出力のありそうな野外戦用のパラボラがあった。
 ……何なのだろう。
 カイは呆然とするあまり、思わず構えていたグロックを下ろすと、子どものように聞いてしまった。
「お前……どこまで知ってるんだ」
「何も。何も知らないとも言えるし……何もかも知っているとも言えますね。っていうか、自分が登場しないとどうにもならなくなった時点で、既に駄目でしょう、色々。なにやってたんです、あなた達みんな。あの二人も。ここ数ヶ月」
 そう答えるカミーユはどこまでも笑顔だ。
 ……持って行かれるな。
 俺が今、心を持って行かれそうになっているのはコイツを何ヶ月間も探し続けた余韻だ。会いたくて会いたくてしかたのない人間にやっと会えたからだ。
 それだけだ……大丈夫。大丈夫だ、俺は多分まだ、大丈夫だ。
「……お前に言われなくても通信くらい入れるっての!」
 それだけ言い捨てると、カイはグロックを懐に納め、替わりに慌てて自分の端末を広げた。
 ―――それを面白そうに、カミーユ・ビダンが笑顔で見ている。
 聖母の様な笑顔で。
 彼は続けて、きっぱりとこう言った。
「助けてあげてもいいですけど、どうしようかな。……説教の一つもしてもいいですか。俺、本当に許せないんですよね、あの二人。自分達しか見えてない、って感じが本当に。世の中にはね、沢山の人がいて、その人たちが作り出してるモノこそが本当の人生なんです。……なのに、何ですか。あなたはそう思わないのかな、カイ・シデン」
 ……持って行かれるな、心を。












2008.12.27.




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