「ヒューイ・ムライだけがランチには乗ったようです。サットン・ウェイン少尉は自室に戻りました」
「絶対に見失うな。必要ならモビルスーツを出しても構わん」
「アイサー」
 宇宙世紀0092、十月十三日午前十一時十五分。
「今戻った」
「ああ、お帰り……そしてラー・カイラムへようこそ」
 アムロが艦橋に辿り着いた時、ブライトは『予定されたヒューイ・ムライ脱走』に関しての指示を出していた。
「ヒューイ・ムライが動いた」
「サットンは」
「残った。……あまり艦内の余計な所を見てくれるなよ、クワトロ大尉」
「そんな野暮な事はしないが。綺麗で良い艦だな、使い勝手が良さそうだ」
「そのコメントがすでに余計だ」
 アムロに続けて艦橋に入って来た見慣れない男に、艦橋要員達は興味津々だったのだが……艦長が咳払いをして、皆を仕事に戻させた。ノーマルスーツまでアナハイム社のテストパイロット用の物を着込んだその男は、しかしどう見てもテストパイロットにしては堂々とし過ぎている。本人的には変装のつもりなのか、セルフレームのわざとらしい眼鏡も、奇妙に濃い黒髪も全く肌色に合っていない。
「それで」
「ああ、ボギーの裏工作は続いているが芳しく無い。同じようにカムリは暗号鍵の解読を続けているが、そう都合良く解読は進んでいないらしい。カイは……昨日ファ・ユイリィに辿り着いたと連絡を寄越したきり、そう言えば今日は一回も連絡が無いな」
「何処だって?」
 シャアが面白そうに目を細めてそう聞いた。
「やはり、バトルだそうだ」
「……そうか。もしかしたら、なのだが。カミーユには『セクエンツィア』の暗号が、既に解けているのではないか」
「……何だと?」
 そのシャアの言葉にアムロが驚いて振り返った。
「いや、こちらの都合の良い想像に過ぎないのだが。……少なくとも、Xデーが十月十四日、だと言う事は分かっていた。だから、十月十四日に縁のある場所に……その日に戦闘の行われた歴史のあるバトルという古戦場に……向かったとは思えないか?」
「都合が良すぎる」
「ヒューイ・ムライの向かった場所が特定出来ました」
 と、そこで通信兵から報告が入る。
「どちらだ」
「いえ、それが……どちらでもありません」
「なんだと?」
 この宙域で、方向を変え始めているコロニーは残り二基。六時間ほどの補給を挟み、ロンド・ベル隊とテスト機部隊は、残り二基の殲滅に向かう事にしていた。
「それが……全く別のコロニーです……やはり廃棄コロニーで、破損度が該当する物より高い……」
「名前を教えてくれるか」
 シャアが唸るようにそう言い、通信兵が慌てて答える。
「コロニー・アドリアです」
「『準ずる』コロニーだ」
 シャアが即座に答え、勝手に通信兵の後ろに回り込むと、パネルを操作した。
「そうだ、『セクエンツィア』が仕込まれていてもおかしくは無いが……確認は取れていない廃棄コロニー。……我々にもだ」
「逃がした事が裏目に出たか……!」
「これ以上、更にコロニーが動き出すと?」
「いや待て、しかし止まっていないとなると、電力の蓄えも無い筈だし、なんとも……」
 艦橋は一瞬にして嵐のような有様に陥った。



 悩んだ結果、更に作戦実行を半日ほど遅らせる事にした。
 残り二基のコロニーも、そして新たなコロニーであるアドリアも、距離がかなり離れている。アドリアがどんな動きを見せるにしても、放っておいてはマズいことになる。だからと言ってヒューイ・ムライが何をするつもりなのか分からない以上、コロニーに上陸して拘束するわけにもいかなかった。彼は落とすだけではなく、全てのコロニーの落下を止める事の出来る可能性を持つ、唯一の存在でもあるのだ。
 ラー・チェターとキエム、ラー・ザイムとエルムが組になって最初から想定されていたコロニーへ向かう。
 そしてラー・カイラムと、黄色いテスト機の集団がコロニー・アドリアに向かう事になった。
 日付が変わる。
 ―――宇宙世紀0092、十月十四日。
 海は静かだった。
 まんじりともせず、ブライトとアムロとシャアは待っていたのだが、目視出来る宙域に浮かぶコロニー・アドリアに動きは無い。もっとも、足の遅いランチでヒューイ・ムライがあのコロニーに辿り着いたのは、日付の変わる直前の時刻だった。それが前部港湾部に接岸し、彼がコロニー内に入り込んだところまでは確認が捕れている。
 コロニー・アドリアはひどい状態で、ミラーはほぼ完全に崩れ落ち、周囲に四散していた。しかしシリンダー部分は意外に綺麗に残り、周囲に浮くミラーの破片がその胴体に反射して、奇妙に美しい。そういうコロニーだった。
 午前三時過ぎに、別れた二手から報告が入る。
 日付変更直後に、コロニーが落着コースに進み出す様な事は無かった。二基ともの起動部を、無事破壊。これからラー・カイラムに合流するため移動を開始する。
「……これで十六基。生き返る筈だった『大地』が死んだな。残りは二百八十八基」
「二百八十八……?」
 シャアの呟きに、そしてその聞き慣れない数字にアムロは顔を上げた。
「何の……」
 聞きかけて、そして急に思い至る。
「あなたひょっとして、地球圏にある『全て』の廃棄コロニーの数とか……」
「二百九十四基だ」
「……」
「もちろん知っているよ、捨てられたコロニーの数だろう。全壊のものを含めなければ全てのサイドを合わせて二百九十四基だった、一週間前までは。手直しさえすれば人は住める。しかし、連邦は何もしてくれない」
「……」
「本当に嫌いだよ、地球が」
 ブライトが、そして艦橋の要員達全てが、その二人の会話を聞いて聞かないふりをしてくれた。
「本当に嫌いだよ、地球が。今まで一度も好きになった事が無い。……前にも確か、誰かにそう言った記憶がある。……ボギーだったろうか」
「……」
 名前を呼びたい。そして抱きしめて宥めたい。しかし、呼ぶに呼べないその名を胸に、アムロは拳を握りしめた。
「本当に嫌いだ、地球が。……だが、君の事は好きだ」
「……っ」
「……だから、今、こうして一緒に戦っている」
 そのとき、何かを決意した様な表情のサットン・ウェイン少尉が艦橋に許可無く入って来た。
「ヒューイは……」
 十月十四日になっても何も起こらなかったでしょう。
 ヒューイは犯人じゃなかったでしょう?
 彼はそう言いたそうな表情をしていた。
「ヒューイは……?」
「あそこだ」
 ブライトが静かにモニターを指差して言う。
「……」
「何も言うな、見届けるといい」
 こうしている今も『カミーユ・ノート』は書き換えられ続けている。
 ―――誰とも知らない人の手で。
 ―――多くの無名の詩人達に寄って。
 そして、おそらく地上で夜が明けただろう頃。
 宇宙世紀0092、十月十四日午前六時三分。
 セクエンツィアを止める方法が分かった、というカムリからの報告と、カミーユ・ビダンを拘束した、というカイからの連絡が届いたのはほぼ同時刻だった。












2008.12.25.




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