カイ・シデンは走っていた。
 旧イングランド南東部、海辺の街ヘイスティングスで「ファ・ユイリィ」と思われる女性の確認が取れたのが昨日午後。
 駆けつけてみれば、ファ・ユイリィは特に身を隠して生活しているわけでもないらしく、市場での目撃情報などから、なんとか住んでいる家を割り出したのが今朝。
 朝っぱらから貸家のドアを叩いた自分に驚きつつも、顔を出した彼女はカイに向かって隠すでもなく、あっけらかんとこう答えたのだった。
「カミーユなら……昨日からバトルに出掛けてますよ、隣町です。その前にパーツを買わないととかなんとか呟いていたから……電気街に寄ったのかな? ああ、カミーユは凄く機械関係が得意なんですよ。昨日も端末を持って出掛けました。私はちっとも駄目なんだけど。え? カミーユの端末に連絡? 無理ですよ、私はそういうのは全然。最近彼、また機械に凝り出したんですよね。ジャミング用のアンテナがどうとか……あ、そんなことお友達の方なら知ってるか……っていうか、お友達の方なんですよね?」
 カイは礼もそこそこに即座に踵を返すと、六マイルほど離れた小さな街に向かった。
 ―――宇宙世紀0092、十月十三日午前八時三分。
 最早カミーユ・ビダンを捕まえた所で、どうなるかとも思えない。
 いくらカミーユが天才であろうとも、一瞬で「セクエンツィア」に対するアンチプログラムを作り出す事など不可能に決まっている。
「くっそ、この数ヶ月間俺は何やってたんだ……!」
 六マイル程度しか離れていない町など、車で数分も有れば着いてしまう。
 移動して、しかし何処を探せば良いのか分からなくなったカイは古びた城壁の脇で一瞬足を止めた。そして空を見上げる。
 事件が始まった頃にはまだ夏の名残が感じられたのに、今目の前に広がるのは秋の空だ。秋の朝。胸一杯に空気を吸い込む。
「ちっくしょう……!」
 もう一回そう叫ぶと、カイは街の中を走り出した。小さな街だ。足で回るしかない。
 こうしている今も『カミーユ・ノート』は書き換えられ続けている。
 ―――誰とも知らない人の手で。
 ―――多くの無名の詩人達に寄って。
 そして宇宙ではコロニーが動き続けている。



「……」
 出来る限り冷静に考え、そして行動する事にした。
 宇宙世紀0092、十月十三日午前十時二十八分。
 サットン・ウェイン少尉は静かに自室を抜け出した。もともと正式に軟禁されていたわけでもなく、自分が拗ねて出撃しなかっただけだ。軍人としてあり得ない状況ではあるが、物わかりの良い艦長と作戦士官は何も言わなかった。
 ……甘やかされている気もする。
 刻一刻と動く戦況は自室にも艦内アナウンスで流れ続けており……先ほど流された最新の報告によると、サイド2方面に残る四基の該当コロニーのうち二基の破壊に成功。一度全モビルスーツ部隊が補給、休息の為に艦に戻る事になったようだ。
 チャンスは今しかない。
 人が出払い、戦闘に集中しているため閑散としている通路をサットンは進んだ。独房があるのはレベル5。機関部と同じ最下層だ。ともかく、人が戻って来て艦が賑やかになってしまう前に済ませないと。
 確かめないといけない。
 自分は確かめないといけないのだ、何かを。目を逸らすのではなく。
「ヒューイ……!」
 友達の名を呟きながら、サットンは銃を握る手に力を込める。エレベーターが止まった。通路を進んだ。独房のあるフロアには自分のIDでも入れた筈だ。
 運良く、警備に立っている海兵も一人だった。現在ラー・カイラム内で独房に拘束されている人物がヒューイ・ムライただ一人の為だろう。その一人がいる部屋の前に、海兵はサットンから見て後ろ向きに立っていた。
「……ッ」
 素早く後ろに駆け寄ったサットンは、思いきり腕を振り上げると海兵の後ろ頭を銃の台尻で殴りつける。
 彼は倒れてくれた。
「ヒューイ! ヒューイ、ヒューイ本当にいるのか! 俺だ! サットンだよ!」
 倒れた海兵を乗り越えると、サットンは独房の扉に、その小さな窓に縋り付く。
「サットン……?」
 中から声がした。
 どうしているんだよ。
 ……どうして本当にいるんだよ!
「ヒューイ……!」
 サットンは泣きそうになりながらM-71A1で独房の電子錠を撃った。



「……サットン・ウェイン少尉がヒューイ・ムライの所に向かいました」
「黙認しろ。……電子錠は、そうと分からない程度のタイミングで開けてやれ。……音声は必ず拾え」
「構わないのですか」
「構わん。……ヒューイ・ムライが何かを話すとしたら、ウェイン少尉以外には有り得ない。アムロが戻って来るまで後どれくらいかかる?」
「三十分ほど……イチイチフタマルには帰投予定」
「分かった」
 ラー・カイラムの艦橋では地球と回線を繋ぎっぱなしにしたブライトが、ボギーのやり取りの行方に注目していた。
『あのな、だからなぁ……ああそうだ、最初の十六基はなんとか止められそうだ。でも残りはまだ五十八基も……はぁ? もう無理だろうが、全艦隊を動かせよ! 実を言うとそれでも無理じゃねぇかって規模だぞ、これ! 十月十四日まではあと十三時間しかねぇんだよ!』
 ボギーは言わずと知れた、地球連邦軍総司令官、ラサにいる提督と交渉を続けている。
 ―――間に合いそうにないな。
 誰もが皆、無駄にも思える努力を必死で続けている。
 しかし今回も、間に合いそうに無いな。
「……モビルスーツ隊全てが各艦に戻ったら、補給をしつつ全艦が移動。十月十四日のいつコロニーが動き出すかは分からないが……今日中に、サイド2の残り二基は片をつける。イチハチフタマルには再度出撃。この内容を全艦に通達」
「アイサー」
「それから……ああそうだ、砲列甲板に繋げ」
「アイサー」
『……遅ぇじゃねーの、艦長』
 すぐに砲列甲板のから返事があった。
「……待たせたな」
 目の前の画面には、まだ提督と揉め続けるボギーの姿が映っている。
「そろそろ出番だぞ……アリス」



「ヒューイ!」
「サットン……」
「お前さあ、ほんと馬鹿じゃないの! なんでこんなとこにいるんだよ、どうして月に、フォン・ブラウンに、あの汚いマンションにいないんだよ!」
 電子錠が壊れ、ドアをこじ開けたサットンは、ヒューイを通路に引っ張り出した。どちらからとも無く手を繋ぎ、お互いを確かめ合う。
「どうして……!」
「……俺にもよく分からないんだよね」
 何故か笑った様な顔になって、ヒューイ・ムライは眼鏡を押し上げた……分からないって、それは俺の台詞だよ!
「ともかく逃げろ。これからモビルスーツ隊が帰って来て左舷デッキはうるさくなるけど、その隙にきっと右舷から逃げられる。お前、ランチの運転くらい出来るだろ?」
「逃げるって……なんでだよ?」
 そう言われてはサットンも言葉に詰まった。
「だって、お前……良く分からないけど何かやったんだろ……」
「……」
「だから、このままだと……コロニーがたくさん地球に落ちて……」
 言いたくなかった。というより、認めたくなかったのだ。ヒューイ・ムライがそれをやったのだと。それが事実なのだと。なのに、ヒューイは否定も肯定もしない。ただ、笑顔でサットンを見つめるばかりだ。
「……本当に方法は無いのか」
 ついに、サットン・ウェイン少尉はそう聞いた。
 信じたくは無かった。信じたくは無かったが、本当にヒューイが犯人だとしたら、コロニーを止める方法は、本当にもう無いのかと。
 ……友人としての自分がそう聞かずにいられなかったのか、軍人としての自分がそう聞かずにいられなかったのか、分からなかった。
「サットンは本当に……俺のことを馬鹿馬鹿言うよなぁ」
 しかし、何故か笑顔のヒューイから返って来たのはそんな返事だった。
「本当に……方法は何も無いのか」
 するとヒューイは軽くトントン、と二回ほど、自分の頭を人差し指で叩いて見せる。
「……行くぞ」
 サットンがそう言って腕を引くとヒューイが頷き、二人は手を繋いだまま左舷デッキに向かって走り出した。
 ―――方法は、おそらく、あるのだ。ヒューイ・ムライの頭の中に。
 最下層の『音声だけ』を拾っていた艦橋は、だから……その事実に気づかなかった。
「サットンは本当に俺の事を馬鹿馬鹿言うよな、俺は今まで褒められた事がないってアムロ大尉には言ったんだけど……」
「はあ? 何の話してんのお前」
「……実は、馬鹿って言ってもらえたのも、サットンが初めてだったんだ」
 モビルスーツ隊の帰投で慌ただしく動き回る艦から、一隻のランチが飛び出して行く。
 それとすれ違い様に……リガズィと黄色い奇妙なテスト機がラー・カイラムに着艦した。












2008.12.24.




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