「……ギュネイを呼べ」
「はあ?」
「借りたい」
「何を」
極秘の通信を、画面に映らない場所で見守っていた女の返事はどこまでも冷静だった。
「ヤクト・ドーガを」
「……ご自身が出るつもりですか」
「君も聞いていたことだろう、ナナイ? ……このままでは明らかに兵隊が足りない。しかし、私のサザビーは今の時点で彼らに見せてやる様なものなのだろうか?」
「……」
ナナイは無言だった。
しかし、長い沈黙の果てに心の奥底にその心情を押し込めた女は、ひどく冷静にこう答えた。
「……回収に二日はかかります。強化人間のギュネイ・ガスは今、サイド5方面で所属する小隊の演習に参加中」
「レズンの隊か」
「そうです」
彼自身がそれを望んだ。そしてそれを、自分もシャアも止めなかった……ニュータイプとは程遠いであろう、レズン・シュナイダーの、叩き上げの部隊で学ぶ事を。きっと勉強になる。あれは、生まれたてなのだ。いろんな経験を積めば積むほど成長出来る。
「回収後の偽装にどれくらいかかる」
「そこから更に二日。……ギュネイが素直に言う事を聞くと思っていらっしゃるのですか?」
「どうだろう……しかし、その跳ねっ返りっぷりが面白いんじゃないか、ギュネイは」
「……」
ヤクト・ドーガを偽装し、そして自身も出撃する。
シャア自身は、先日ロールアウトしたばかりの『サザビー』という専用機を持っているのだが、それを今連邦側に見せるのは惜しい気がした。
しかし、出撃はしたい。
今回のコロニー騒動に対して、最終的に自分がやりたい事はそれであった。
それ以外には、何も無い。
「……分かりました」
やや諦めた様に、ナナイがそう呟く。
なあ、アムロ。
最後、君は泣きそうだったね。
会いたい、って。
……会いたい。
宇宙世紀0092、十月七日、午前十一時。
先月と同じ様にラー・カイラムはフォン・ブラウンに着岸したのだが、今回は風情がやや異なっていた。
「いらっしゃい大尉! ……って、アレ?」
「……やあチェーン。今日も綺麗だね。ところで、急で悪いんだけど」
「……はい?」
アナハイム側チーフであるオクトバー・サランと共に、宇宙港でラー・カイラムを出迎えたチェーンはそのあまりにピリピリとした空気に戸惑った。ラー・カイラムのタラップからは、ブライト・ノア艦長、アムロ・レイ大尉だけではなく、五、六人ほどの海兵までもが銃を下げて降りて来る。
すると、アムロの言葉を継いでブライトがこう言った。
「急で悪いのだが。会議室を一つ用意出来るか? そして、このプロジェクトの主要メンバーを今すぐ全て集めてくれ。……全てだ」
「それはミーティングということですか? ……あの、νに何か問題でも……」
「そういうわけではない。ともかく頼む」
呆気にとられるチェーンとオクトバーを置いて、ブライトとアムロは先にアナハイム社の建物に入って行こうとする。
「あのっ……アムロ?」
「なに、チェーン。ごめんね、俺、今ちょっと疲れていて……」
ちょっと、なのだろうか。
そのアムロの顔色を見てチェーンは思った。
「……だから、あまりチェーンに優しく出来そうにないんだけど」
「……」
あまり、どころではない。チェーンの知る限り、アムロ・レイはいつも穏やかで、大人で、そして落ち着いた人物だった。その彼が全く笑わない。
「済まないが、あまり時間が無い。早くそちらのスタッフを集めてくれると嬉しいのだが」
ブライトがそんな二人のやり取りを断ち切るようにそう言う。
「わ……分かりました」
オクトバーが慌てて社内に内線を入れる。
―――あんな顔するんだ。あんな恐い顔。
宇宙港から、建物の中に消えて行くアムロとブライト、それから海兵の姿を、チェーン・アギは呆然と見送った。
「……えー、予定変更ー! んだよソレ!」
ラー・カイラム居住区の、小さな部屋の中に叫び声が響き渡る。
『だからさあ、俺もなんだか分からないけど、νガンダムのプロジェクトスタッフは全員ミーティングに参加しろってついさっき……』
「それ、サボれないの?」
『あのさあ! サットンがどう思ってるか知らないけど、俺チーフ・エンジニアだからね! メインプログラマーだから!』
「あー……はいはい分かった、分かりましたよヒューイは頭がいいんですよね〜。良い子でちゅね〜」
『……あとで憶えてろよ』
「あぁ、あとでな。……絶対今回も、嫌だって言ってもお前の家襲撃してやる」
『こわ!』
サットンはゲラゲラ笑いながらヒューイ・ムライとの通信を切った。
あの大きな眼鏡の向こうの瞳が、恨めしそうに自分を見上げている様が想像出来る。
なんだって、急に予定変更になんかなったんだ? ……本当じゃνガンダムプロトのテストは明日からで、長距離移動した全艦が半日ほどの休暇に入る予定だったのに。だから自分も、上陸、休暇申請をしてヒューイの家に転がり込む気満々で居たのに。
「……ま、いいか。明日になりゃ会えるし」
―――しかし。
しかしこれが、地球連邦宇宙軍所属外殻新興部隊、ロンド・ベル隊所属ラー・カイラム勤務サットン・ウェイン少尉と、アナハイム社第一企画開発部所属ヒューイ・ムライの交わす、
最後の「日常会話」となったのだった。
宇宙世紀0092、十月七日午後一時三分、ロンド・ベル隊はアナハイム社エンジニア、ヒューイ・ムライを拘束。その身柄をラー・カイラム内に移す。
同、午後三時二十分、ロンド・ベル隊司令ブライト・ノア大佐の名で、本拠地に残るクラップ級四艦を含む、ロンド・ベル隊全艦隊のサイド2方面への出撃命令。
同、午後八時四十二分、地球連邦軍総司令官の名でロンド・ベル隊に『廃棄コロニー』撃墜命令。
翌、十月八日午前八時四分、地球連邦総司令官の名で『コロニー制御プログラム連続ウィルス汚染事故』に関するマスコミへの発表。
同、午後一時零分、ラー・カイラム補給を済ませ、サイド2宙域へ出立。
翌、十月九日午後一時零分、最初のコロニーが地球に向けて方向修正を開始。(サイド2、廃棄コロニー『ピウスセコンド』)
同、午後二十二時四十五分、ロンド・ベル隊旗艦ラー・カイラム該当宙域到着。
翌、十月十日午後三時四十五分、廃棄コロニー『アグリッパ』起動。落着コースに向けて方向修正を開始。
同、十月十日午後三時四十七分、廃棄コロニー『デ・フェルモント』起動。落着コースに向けて方向修正を開始。
同、十月十日午後三時五十二分、本拠地より移動したロンド・ベル隊所属艦隻四艦が旗艦ラー・カイラムと合流。
同、十月十日午後四時一分、廃棄コロニー『プリンセスミキモト』起動。落着コースに向けて方向修正を開始。
同、十月十日午後四時三十一分、廃棄コロニー『ガーヴェナー』起動。落着コースに向けて方向修正を開始。
翌、十月十一日午前零時三十二分から午後五時四分にかけて、ロンド・ベル隊がこれらコロニーのコントロール・ルームを物理的に殲滅。コロニーの移動は止まる。
翌、十月十二日午前八時三分、廃棄コロニー『モンフレール』起動。落着コースに向けて……
「……キリがない」
「はい、そういう様にプログラミングしたので……」
ラー・カイラムの独房に放り込まれたヒューイ・ムライを、出撃の合間を縫って日に三度は拝みに来ていたが、しかし彼は決定的な台詞を決して吐かないのだった。
「お前の事が好きだったよ。……優秀で、面白いプログラムを組む若者だと思ってた」
「……ありがとうございます」
「……なのに、なんでこんなプログラムを仕掛けた。……こんな事をして何が面白い!」
ノーマルスーツのまま独房に足を運んでいたアムロは、手に持っていたヘルメットで思いきり壁を殴りつけた。
しかし、独房の扉の小さな窓の向こうに見える十九歳の男の顔は、きょとんとしたような表情を浮かべている。
その眼鏡の向こうの瞳には、どこも狂気は見えない。どちらかというととても困った顔に見えた。
「面白いかって聞かれたら……別に何処も面白くはないです」
「……」
「俺、あの……すいません、なんでアムロ大尉は怒ってるんですか?」
「……」
「俺、どっちかっていうと褒めてもらえる、みんなに喜んでもらえるかもって思って、作ったんですよねセクエンツィア。ほら、俺って平凡じゃないですか。プログラム以外何も特技ないっていうか。それでね、今までのでも人生で、特に子供の頃とか……本当に褒めてもらえなかったんですよ。俺は子供だったから褒めて欲しかったんだけど。出来て当たり前だみたいな目で見られて。褒めてほしかったな」
平凡じゃない。その唯一の特技が尋常じゃないんじゃないかとアムロは言いたかったが、おそらく彼は聞かないだろう。
「それでネットでカミーユ・ノートに出会って。凄いなあ、やっぱ全然違うんだなぁ本当のニュータイプとかって、って思って。アムロ大尉に会った時もそう思いましたよ。ほんと凄いなあって。で、俺は平凡でプログラミングくらいしか出来ないんだけど、なんかカミーユ・ノートを使ったら自分も凄いことが出来そうに思ったんですよね。それでセクエンツィアを作ってみたんです。廃棄コロニーとか誰も使ってないし。カミーユ・ノートの中で皆は地球連邦政府に対して愚痴ばかり言っていて、じゃあ地球もそんなに必要無いのかな、くらいに思ったんで」
「……」
「だから俺、褒めてもらえるんじゃないかと思ってたんです。………なのに、なんで、大尉は怒ってるんですか?」
……どうしたらいいのだろう。
「俺ごく普通に、自分が出来る事を精一杯やっただけです。自分が出来る事を自分がやりたいようにするのって……そんなにマズかったですか」
「……」
「みんなやってるのに」
……落ち着け。アムロは思った。
落ち着け、ヒューイは理解出来ないのだ。『自分は平凡な人間である』という彼の思い込みこそが『妄想』であることを。そして悪意も全くないのだ。それどころか褒めてもらいたがっているてんで子供だ。
だから、ここでコイツを殴りつけた所で事態は全く好転しない!
「……止める方法は本当に無いのか」
「無いですよ。……だってそういうようにプログラミングしましたから」
「……」
困ったような顔をした彼が、この質問の時だけいつも瞳に違う色を浮かべる。
だからアムロは思っていた……止める方法は本当はあるのだ。
あるのだが、彼は言わないのだ。そう思うからこそ何度も何度もここに足を運んでしまう。
「ところで、端末とかって借りられませんか……この部屋、何も無くて本当に暇なんですけど……」
「……」
全く無邪気にそう聞いて来るヒューイに踵を返し、アムロは次の出撃の為に独房を後にした。
「くそったれが……!」
もし、彼が憎める『犯人』で有ったならばどんなにか物語が楽だったろうとアムロは思った……そう思ってもう一回壁にヘルメットを打ち付けた。
耳に痛いほどのアラートが、艦内中に響き渡っている。
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2008.12.21.
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