「次は我々が話そう」
ブライトがそう言って、アムロに向かって首を振った。
ボギーとカムリ以外の三課員を全て追い出して通信を開いているオークリー基地と違い、ラー・カイラムの艦橋には通常の要員がひしめいている。月へ向かっている途中なのだ、航海士も通信兵も艦橋から放り出すわけにはいかない。
しかし、ある意味我が家であるこの艦は慣れていた……ブライトという艦長の意外な人脈にも、アムロというニュータイプの突飛な行動にも、だ。
だから誰もが耳を澄まし、だが静かに通常の任務をこなしている。
「カイから回された『カミーユ・ノート』コアのデータ、それからアクセス出来る人間のリスト……を見ていて俺は思った」
アムロがそう言って閉じられたイングランド南東部の地図の替わりに一つの画像を画面に広げる。
「実を言うと俺はカミーユ・ノートについて良く知らない。……何故ネットの中で、日々姿を変える生き物の様な存在にこの書物が育ってしまったのかも、それにどうしてこれほどまでに人々が惹き付けられるのかも」
『……』
全員が同じ様な顔をしていた。実際、そうなのだ。どこまでカミーユ・ビダンが書いたものなのかは知らないが、その書物の中には一言も『地球に向かって大量のコロニーを落とそう』なんて一文は無いし、むしろ内容は支離滅裂で、まともな大人が読んでもとても共感出来るものではない。
「いや、俺も幾つかは読んでみたんだ。……だけどやっぱり意味が分からなかった。意味は分からなかったが、存在していることは確かだ」
少し困った様に眉を下げるアムロの表情が、しかし回線を繋いでいる全員の共通の思いでもある。
―――その通りだ。
通常の大人は、まともな大人はこんなものに感化されない。
そしてこの場に居る全員がまともな大人だった。
『しかし、存在していることだけは確かだ。大概に於いて、流行というのは……そんなものだよ』
アムロに答えたのはシャアだった。その言葉の裏には、それが世界の流れなのだからそれに乗らなければ流行遅れになる、その事実に焦り、迎合する大衆に対する揶揄が秘められている。
「それは良く知ってる。シャア・アズナブルというカリスマを求める人々も、皆似た様な感覚なのだろうから」
苦笑いしながらアムロは画面に映った世界樹を指差した。カミーユ・ノートの構造図だ。
「だから俺は、別の視点で見ることにした」
『別の視点?』
『そりゃなんだ』
その構造図にある程度取り組んだことのあるカムリとカイがそう言葉を繋ぐ。
「出来る人間、だよ。これだけのプログラムを組み、俺達を翻弄することの出来る能力を持つ人間。……受け取った時点で、カミーユ・ノートにアクセス権限を持つIDの内、不明なのは残り二人だけ。しかも、宇宙経由で間違いない、という条件まで付け加えられていた」
『……』
アムロは、画面を別のものに切り替えた。上から順に、一面に人名の並ぶ画面だ。
「これは、地球圏に居るシステムエンジニア、プログラマーのリストだ。カムリやボギーあたりは見たことあるだろう」
『ああ』
『あるなァ、優秀な人間ってのは……それだけで諜報活動の標的だ』
その二人の言葉に頷きながら、アムロは幾つかの単語を端末に打ち込み、条件を変える。
「その、最上部三千人程のリストだ。まず、カミーユ・ノートのコアレベルのサーバにハッキングをかけられる人間」
アムロの言葉に反応したかの様に、三千人のリストが一気に十分の一程になった。
「……次に、何処に居ようとも宇宙経由でハッキングを仕掛けた様に見せかけられる人間」
リストはまた十分の一ほどに縮んだ。この時点で三十人程。……その中に自分の名前を見つけたカイ・シデンは非常に嫌そうな顔になった。
『……俺はそっち系じゃねぇ』
「分かってるけど、連邦の管理しているリストではそういうことになっている」
宥める様にアムロが言って、先を続けた。
「次に、そもそも廃棄コロニーに仕掛けられていたような複雑な暗号と、暗号鍵を伴ったプログラムを構築出来る人間」
……リストは更に減った。もう、残りはたったの四人だ。
「トップのカミーユ・ビダンは最初から想定内だ。十七歳の時点でZの基本設計が出来る人間だ。並じゃない。外してくれて良い。ポイントは、残り全員がアナハイム社のプログラマーだ、ってことだよ」
「……だから我々は今、月に向かっている」
『……』
ブライトがアムロの言葉を繋ぎ、画面には、カミーユ・ビダンを筆頭に四人の人物の名前が輝いていた。
「四番目のニナ・パープルトン……これも外してくれて良い。月生まれの月育ち、一年戦争直後の試作ガンダム計画に二十歳そこそこで関わったことのある天才だが、彼女は今産休中だ」
『は?』
多少間抜けな返事をカムリがしたが、それに面倒くさそうに返事をしたのはボギーだった。
『うちの基地のテストパイロットにコウ・ウラキ大尉ってのがいるだろうが。あれの嫁さんだよ。……所在は確かだ。この場に居る、殆どの人間とも既知だ』
『去年の十二月のアレを、見事に止めてくれた人物だな?』
シャア・アズナブルまでもが面白そうにそう言う。アムロはため息をつきながら頷くと、先を続けた。
「そうだ。……で、残りの二人。……三番目のヴィルヘルム・カラヤってのはもともとジオニクス社の幹部だった老人で……」
『御年、八十は超える筈だな。……今はアナハイムに居たのか。いや、彼は微妙だろう。そもそもカミーユ・ノートに感化を受ける年齢でもないし、ジオニクスに居た頃から温和な老人だったよ』
シャアがそういうと、アムロも頷いた。
「俺も、このご老体はどうかと思う。……そうなると、問題は最後の一人だ。リストの二番目に、カミーユの次に浮かび上がって来るこの人物」
アムロが指差す先に、その名前が輝いていた。
『……ヒューイ』
『ヒューイ・ムライ』
『0073、月、フォン・ブラウン生まれ。……十三歳でアナハイム社入社……?』
カイが呆れたような声を上げた。
ヒューイ・ムライ、十九歳。
画面には間違いなくそう書いてある。
『問題は。……この人物が実在し、我々の周囲にいるのかと言うその一点だよ』
シャアの冷静な問い掛けに、ブライトが答えた。
「周囲に居る、どころではないな。……彼は……今回のアムロ・レイ専用機の主任エンジニアである上に……」
「……俺に、廃棄コロニーの異常を気づかせた人物でもある。彼は、セクエンツィアの仕込まれたコロニーの基本制御プログラムをラー・カイラムに残していったんだ。これ、ちょっとおかしいんじゃないかと思います、くらいのノリで」
『……つまり』
カムリが非常に苦い顔で、ゆっくりと言葉を継いだ。
『最初から最後までそこにいた……?』
「ああ」
「いたな。……間違いなく我々の、それも一番近くに」
『ビンゴじゃねぇのか』
『……』
カイが吐き出した台詞に全員が沈黙する。
「……問題は」
天を仰ぐ様にアムロが言った。
『問題は?』
シャアが聞く。
「悪意が無かったんだ。……ああもう、本当に悪意が無かった。だから気づくのも遅れた。今でも確信など持てない。彼は、もう、本当に……純粋に、なんでしょうねこれ、くらいの感じであのプログラムを我々に寄越した。バレない自信があって愉快犯的に、というのでもない。そういうものとは次元違いに……」
『……パラノイアか』
「恐らくは」
ブライトが答えて、また通信に沈黙が満ちた。
―――偏執病(へんしゅうびょう、パラノイア:paranoia)は、精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。自らを特殊な人間であると信じるとか、隣人に攻撃を受けている、などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、という点以外では人格的に常人と大して変わらない点が特徴―――
『妄想過多』
「多分」
『悪意が無い』
「……全く」
『だが彼には運悪く、これだけの「現実」を生み出すプログラミング能力があった……?』
「このまま行くとそうなるな」
十三歳でアナハイム社入社。その経歴がどれだけ異様な経歴なのか、それくらいはこの場にいる「まともな大人」達にも理解することが出来る。というよりこれほど『カミーユ・ノート』に似合う人物も他にはいるまい。
稀代の天才。
そして、そう呼ばれるカミーユ・ビダンと比べても遜色劣らないプログラムを組めてしまう人間。
そんな人物のパラノイア的自己発露がどの方向に芽生えたのかは知らないが、今現在非常に厄介な事になっているのは確かだ。
カミーユ・ファイル、っていうのがあるんですよ。
そう言ったオクトバー・サランの言葉をブライトは思い出していた。おそらく、それはアナハイム社の優秀なエンジニアであるヒューイ・ムライも目にした事があったであろう。極秘ファイルだ。Zの基本設計書。
……それを目にした時、彼は何を思ったのだろう。
そうして、どんなボタンの掛け違いが起こったというのか。
『……分かった。そのヒューイ某はロンド・ベルに託す』
複雑な心境に陥る皆を纏めたのはシャアだった。
『長々会議に付き合ったが、実を言うと時間が無い。……幾つかのコロニーが動きを見せた』
まともな大人、を正気に戻すには……それは充分な言葉だった。
宇宙世紀0092、十月七日。
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2008.12.16.
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