全てが終りに向かって動き出したと、全員が感じた。
ジグソーパズルの四隅に位置して。そのピースを埋めながら。
諜報三課と武闘派ジャーナリストとロンド・ベルと……ネオ・ジオンの立場で。
「ブライト?」
シャアの暖かな指先を押しのけ、ブライトからの通信を優先した自分に随分大人になったものだなと感じる。
『アムロ。……今いいか』
隣に座るシャアに目をやると、剣呑とした光を瞳に宿してはいたが……それでも軽く頷いて見せたので、アムロは先を促した。
「何があった」
『コロニーに仕掛けられている「セクエンツィア」だが。……それを書いている暗号の暗号鍵が……何か分かった』
「……なんだって?」
言いながら、とっさに端末をシャアの耳にも押し当てる。
ひどく小さな端末を挟んで、寄り添う様に聞くその姿にアムロは自分で笑った。笑わずにはいられなかった。
『もう一回聞く。……今いいか』
「大丈夫だ」
『そこに……シャアがいるだろう』
「……」
シャア本人はブライトの言葉に何も答えなかった。ただ、先ほどよりは真剣味を帯びた瞳でアムロを見遣る。
『……いる。そしていた方がいい話題なんだな?』
『そうだ』
「……」
そう言って言葉を選ぶブライトの通信の更に向こうに、ボギーやカイがいることも何となく分かった。何事だと思っていることだろうな、今、地上は。
「続けてくれ」
『暗号で書かれている例のセクエンツィアの、暗号鍵が何なのか分かった。それはワンタイムパスワード制をとっていて「常に書き換えられている」暗号鍵だ』
「……」
アムロも思わず返事をし損ねて、会話は沈黙が続いた。
「……つまり……」
『そうだ』
ブライトがひどく淡々と先を続ける。
『「カミーユ・ノート」だよ。……「カミーユ・ノート」が、宇宙で廃棄コロニーを止める起動プログラムの暗号鍵になっているらしい。……この説明で伝わるか』
「……あぁ」
そこで、遂にシャアが言葉を発した。
「ブライト。……ブライト・ノア」
『……』
今度はブライトが黙り込む。
「それで、私は……ネオ・ジオンはどうしたらいい。君たちは私にどうして欲しい?」
その小さなシャアの声は、確実に地上にも届いた筈だった。
『……「クワトロ大尉」』
随分懐かしい名前でブライトが彼を呼ぶ。……そう呼ぶ理由も何となくは分かる。ブライトからしてみれば、その偽名を名乗っていた彼こそが……一番心砕ける相手だったからだ。
『無理な頼みとは分かっている。だが、ここは一つ頼みたい。……もしもその時が来たのなら、あなたは敵でないと。……そう思っても構わないのかと、』
「シャア」
その瞬間、アムロは激情を止められなくなって全く無造作にシャアの頭を掴むと口付けた。
間に端末を……ブライトからの通信の入る端末を挿み込んだまま。
返事が聞きたいような、聞きたくないような、泣きたいような、泣きたくないような。
「……」
「……アムロ、心配しなくても私は君を泣かせるようなことはしない」
「それは嘘だ」
「嘘ではないよ。落ち着きたまえ。……ほらブライトが困っている」
困っているのかどうかはともかくとして、端末は確かに返事を待って沈黙していた。
『嘘ではないよ。落ち着きたまえ。……ほらブライトが困っている』
「……こりゃたまげたね、オイ」
ボギーは軽く口笛を吹きながら予想外の展開に釘付けになっていたが、カムリはそれどころではなかった。慌てて三課のセキュリティをチェックし直す。
シャア・アズナブルとアムロ・レイの密会(かもしれない)の音声なんて……諜報のプライドにかけて世界に流してなるものか!
これを黙認したとラサにバレたら、間違いなくボギーの、そして自分の首が飛ぶ。
『……分かった。協力はしよう、しかし連絡はこちらからだ』
『了解した。細かい話はつけておく。アムロ、お前はもう戻れ』
『いやだ』
『いやだ、じゃない。試作機のテストがあるだろうが』
『……』
あの二人がただならぬ思い入れを互いに対して抱いているのは、去年の九月にチベットで目の当たりにした。
それにしたって。
「……ボガート大佐。はしゃぎ過ぎです」
「だってカムリ、お前興奮しねぇのかよ……!」
あのね。
カムリはボギーに何か言ってやろうと思ったが、深いため息でそれを誤摩化した。
「しません。興奮しないかわりに……」
何でこんなに切ない、のだろうな、この二人は。
去年の九月にも思ったことをまた思った。
……本当になんて切ないのだろう。
「は、」
すっかり目の覚めてしまったカイは、ホテルの窓を開け放つと海からの風を部屋の中に入れる。早朝だろうが秋口だろうが湿気っていようが関係なかった。
「何やってんだよ、宇宙は宇宙で……!」
『嘘ではないよ。落ち着きたまえ。……ほらブライトが困っている』
耳に差し込んだままのインカムからは、途切れ途切れに音が入って来る。
それを聞きたいのか、聞きたくないのかすらもう自分で分からなかった。
『……分かった。協力はしよう、しかし連絡はこちらからだ』
『了解した。細かい話はつけておく。アムロ、お前はもう戻れ』
『いやだ』
『いやだ、じゃない。試作機のテストがあるだろうが』
『……』
それを聞いていて思い出すのは、何故か一年戦争の頃の、滅多に見れなかったアムロの笑顔だ。
はにかむようなその笑顔。様々なことを我慢する少年だったが、本当は笑いたかったのかもしれない。彼は彼で、やりたいことがあったのかもしれない。今、年齢を経て素直にブライトに向かって我が儘を言うことの出来るアムロを目の当たりにすると、殊更その思いが募るのだった。
……何やってんだ。
何やってんだよ、本当に、宇宙も、俺も……!
「オイ、そんじゃ『細かい話』とやらに移ろうじゃねぇか」
カイは軽く首を振ると、気を取り直して端末の前に戻った。
『ああ』
ブライトは冷静だ。三課の方は立場上やや慌てふためいている様に思う。
『暗号鍵についての細かい説明は自分がします』
そう言って来たのは、案の定ボギーではなく『出来の良い弟』の方だった。もちろん彼が『新妻』などと呼ばれていることをカイは知らない。
「カムリ。それじゃカミーユ・ノートのサーバを洗った話からするぜ……ブライトも、まだしばらくは通信出来るな?」
『あぁ』
『ボガート大佐はしばらく放っておいて下さい。一人で勝手に、かなり盛り上がってます』
「あ、そ……やっぱり」
ただ、むやみに仕事がしたかった。
仕事をして、アムロとシャアが今二人きりで会っている、なんて切ない事実は、忘れてしまいたいようなそんな気が。
「んー……」
アナハイム社のシステムエンジニア、ヒューイ・ムライが慌ただしく飛び出して行った彼のマンションで、サットン・ウェイン少尉は惰眠を貪っていた。
……楽しかったなあ!
楽しい夜更かしだった、サットン自身は友人も多いし社交的な性格だと自負しているが、それにしたってヒューイみたいな人間は今まで自分の周りにはいなかった。モビルスーツのソフト系の天才、同い年なのにガンダムの基本設計を受け持つようなエンジニア。
非番の軍人ほど呑気な商売はない。
「やべえ、すげえ楽しいな……!」
数時間横になったら、リバモア工場のテストの様子を見に行こう。
そして、またヒューイとこの部屋に戻って、二人で思いきり遊ぶのだ。
「楽しい……!」
思い出したのは、地上でテストパイロットをしていた頃に世話になったコウ・ウラキ大尉のことだった。ウラキ大尉の奥さんは、確かかなり優秀なアナハイム社のエンジニアで、だからウラキ大尉は『恋人の作ったガンダムに乗ったことのある人』なのだ。
どういう気分です? と聞いてみたことがある。
するとウラキ大尉は盛大に照れて、会話も出来ないような有様に陥ったが、しかし最後には真面目な顔をして、こう答えてくれたのだ。
男の夢だよな、と。
俺はアムロ・レイやカミーユ・ビダンのように優れていたわけじゃないから自分自身でモビルスーツの設計なんか出来なかった、幾らメカ好きって言ったってその程度が凡人の限界だよ、でもな。
恋人の作ったガンダムに乗って、戦うことは出来たんだ。
役割分担なんだ、そうやって繋がっていられたんだ……それって、男の夢だよな、幸せだよな、とウラキ大尉は確かにそう言ったのだ。
「……」
自分とヒューイ・ムライは男女ではないので恋に落ちることは無いが、それでも『親友の作った』モビルスーツにいつか乗れたら楽しいだろうと思った。
ガンダムがいい、なんて贅沢は言わない。
ただ、ヒューイ・ムライが設計したモビルスーツにいつか乗れたら……それは最高に気分の良いことなんじゃないかと。
その時のサットン・ウェインにはそう思えた。
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2008.12.10.
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