前日になって急にテストの予定を変更されたオクトバー・サランは怒るというより戸惑っていたが、それはブライトも同じことだった。元々、アムロに半日の時間を与えるため無理に調整したスケジュールなのだ。打ち合わせと称した会食でも、あまり話題は弾まなかった。
「……では、明日に」
「はい、明日に」
非常に儀礼的に会食が終り……それは港に係留されたラー・カイラムの艦長室に、新型機開発のチームリーダーであるサランを招く、という形式で行われていた……艦を降りるサランを見送る時になって、急に思いついたブライトは聞いてみた。
「そういえば。……あなたは『カミーユ・ノート』というのをご存知でしょうか」
目の前に居るアナハイム社の技術者は、地球に住む人間でも、宇宙に住む人間でも無い。そういった人物の意見を聞くのは、それなりに面白いことにブライトには思えた。もっとも、ブライト自身は『カミーユ・ノート』がどれほどのものなのか、カイやボギー程にはよく分かっていなかった。なにしろ読んだことも無いのだ。
「はぁ。カミーユ・ノート……ですか? ファイルではなくて?」
「ファイル?」
「えぇそうです。『カミーユ・ファイル』なら知っていますよ。知らないアナハイム社社員は居ないんじゃないかな」
そのサランの返事に、ブライトの方がやや驚いた。
……なんだって? まだこの上、カミーユと名の付く何かがあるのか?
「艦長も知っているような内容のものですよ」
「……と言うと」
ブライトの表情に気付いたのか、オクトバー・サランが苦笑いしながら続ける。
「Zの基本設計書です。……アナハイム社の全社員がその存在を知っているけど、金庫室保管扱いのファイルだから実際に閲覧出来るのはごく一部のプログラマーやエンジニアだけかな。……78年に書かれた、あの伝説の『可変式』の設計図を皆が面白がってそう呼びますよ。しかし『ノート』の方は私は知りませんね」
「そうですか……それはどうも」
カミーユ・ノートも凄まじく綿密な、そして天才的な設計書なのだとしたら私も見てみたいものですね。
そんな軽口を叩いてサランは艦を降りていった。
「……」
その後ろ姿をタラップで見送ったブライトは、妙な胸騒ぎを憶えた。
「……何なんだよこの部屋……」
「自分で来たいって言っといて文句言うなよ!」
「だってさあ……」
結局、夜が始まったばかりのフォン・ブラウンの街で適当に洋服を買い、尚かつその場で着替え、更に山ほどの食料と酒も買い込んだサットン・ウェインとヒューイ・ムライは、アナイハイム社の社宅でもある中々に豪奢なアパルトメンに転がり込んでいた。というか本来は豪奢な、だ。一人暮らしの社員にこれだけの部屋を提供、保証出来るアナハイム・エレクトロニクスという会社も凄いと思うが、その部屋をここまで適当に使えるヒューイ・ムライも凄い、というのがサットンの意見だ。
「この部屋……この部屋は本当はもっとこう、都会的かつ機能的じゃないのか……」
「言葉を選んでくれてありがとう、サットン……」
来てはみたものの、実際ヒューイ・ムライの部屋は足の踏み場も無いような状態だった。まず、端末が多すぎる。それも自分で改造したような、有り得ないインターフェイスと本体と、それから多々の『何に使うのサットンには変わらない機器類』が繋がれている。
……いや、実際どうなのコレ。
サットン・ウェインという名の十九歳の連邦士官は、少尉は、最初この末端プラグとタコ足配線と端末だらけのアナハイム社社員の部屋にビビり……それから笑い出さずにはいられなかった。
「つーか、俺のロンデニオンの部屋の方がまだマシだし!」
「あぁ、そう。でも来たいって言ったのサットンだから」
ヒューイは少し拗ねている。その様子に、サットンは余計嬉しくなった。
「つか、ホントもうちょっとなんとかならないのか? どうしてこんなにいろいろ端末ばっか」
「うん。……気がついたら増えてて、」
「ヒューイって頭良いけど引きこもり? なあ、ぶっちゃけお前オタク?」
「『オタク』とかって、旧世紀の言語だよなあ……」
言いながらでも、ヒューイは嬉しそうだった。
「ここに、誰か来るの初めて」
「ヒューイって、いつからここで暮らしてるんだ」
「ん? この部屋は十六の時からかなぁ……なあ、そんなに変、俺の部屋。あ、でも来たいっていったのはサットンだからな!」
サットンはますます嬉しくなった。
……本当もう、頭良いけどマジ駄目だな、こいつ。
……俺とか付いていてやんないと!
「ヒューイ、今日はパーティにしよう! 俺非番だし」
「いや、俺は明日プロトのテストあるんだけどさー」
強制的に日暮れたフォン・ブラウンの街並が、窓の外に見える。
それなりに豪奢な、いや本来は豪奢な筈のアパルトメンで十代の二人ははしゃいでいる。
ーーー一瞬で日暮れて、それから四時間ほど。
宇宙世紀0092、九月十五日も、あと数時間。
「……大丈夫だ、きっと会える」
アムロは確認するようにそう声に出して言ってみた。
ーーー9/15、フォン・ブラウン、第三層、E21ブロック、公園ーーー
小包で届けられた走り書きのメモを信じる限り、地図で確認する限り、フォン・ブラウン第三層、E21ブロックに公園は三つあった。
……どれだけ中途半端な手がかりだと言うのだろう。
しかし今は、それを信じるしか無い。
だからこそ、アムロの言葉を信じたからこそブライトも「半日」を作ってくれたのだ。
なのに。
大雑把に歩き回ってみたのだが、どの『公園』にもシャアが居ないのだ。……どの公園にも!
「くそ、いい加減にしろ……!」
こんな紙切れ一枚に、あの男に振り回されて動き続ける自分は馬鹿じゃないのか。
そう思いながらも、成す術も無く該当する三つの公園を回り続ける足は止められない。少し泣きたくなって来た。
約束の九月十五日から、日付はとうに変わった。
「……」
もう数十分もすれば充分に夜明けと呼ばれる時刻だろう。一瞬で昼夜の切り替わるフォン・ブラウンの街に、徐々に明るくなる空、というものは見当たらなかったが。街を見渡せる、第四層に近い高台の公園で、ついにアムロは足を止める。
帰るか?
帰ってブライトに馬鹿にされるか。そう思った瞬間に、足音が聞こえて来た。いや、呼吸が聞こえたのだ。
「……」
公園の端の柵に凭れて、ゆっくりと振り返る。
「……悪かった」
居た。……来た、というべきか。珍しく息を切らせている。こんなシャア、初めて見たな。ア・バオア・クーで生身で戦った時ですら殆ど息を上げて無かったような記憶があるのに。
「……それで済むか」
一体自分は今どんな表情をしているのだろう。そう思いながらアムロが答えると、シャアは大きく息を吸い込んだ。そして真っ直ぐにアムロの前に立った。
「済むわけがないな、あぁ、だから悪かった。……私もそれなりに急いだ」
もう日付もとうに替わり、九月十六日の夜明けを迎えようかという時間だ。
……馬鹿だな。この世は馬鹿ばっかりだ、馬鹿みたいにシャアを待った自分にも腹が立つし、本当に息を切らして走って来たこの男にも腹が立つ。
「本当は、半日は遅れるって言われたのだよ……君、半日って何時間か知ってるかい」
「十二時間だ」
「そこを六時間に縮めてやって来たのだから……そのあたりはなんとか許してもらえないだろうか」
「いやだ」
「あのね……」
「いやだ、シャア!」
「アムロ」
シャアが地味な色のコートの中にアムロの身体を抱き込んだ瞬間に、空の色が変わった。
一瞬で昼夜を変えるフォン・ブラウンの空が、夜景から白昼光に変わったのだ。
ーーー圧倒的な夜明け。強制的な朝。
あまりに眩しくて、とても瞳を開いていられない、と暖かい腕の中でアムロは思った。
>
2008.11.21.
HOME