「……時間が殆どない」
「そうだな」
「八時にはリバモアでテストが始まる。その一時間前には艦に戻っていないと」
「今六時ちょうど……残り一時間も無いな」
「誰のせいか分かっているのか」
「分かっているとも。……悪かった」
 まるで魔法にでも掛ったかのように離れ難かった。何故だろう。何故なのだろう。しかし気を取り直した二人は、互いの身体に巻き付けていた腕をほどくと近くのベンチに目をやる。
「資料は纏めて来た……細かくはそれに目を通せばいいが、口頭で伝えたいこともある」
「分かった。コーヒーでも飲むか」
「ああ」
 シャアがベンチに座り端末を広げている間に、アムロが脇に有ったベンダーに向かい、コーヒーを買って来た。
「では……」
 シャアは早速端末の画面をアムロに向け、話し始める。
「……答え合わせの時間だ。そちらは今日までに何基のコロニーの停止を把握出来ている?」
「八基」
 この際出し惜しみをしても仕方ない。アムロが答えるとシャアは無表情に頷いた。
「我々が把握出来ている数は三十二基」
「……そんなにもか」
「そんなにもだ。そして、ほぼ同じ条件のコロニーが地球圏には四十八基ある……ここまで来たら、残りの十六基も確実に止まると思うべきだろうな」
「同感だ」
 シャアは差し出されたコーヒーを受け取ると、ありがとうと小さく言って封を切った。一口飲んでから顔をあげなかなか不味いな、という表情をする。贅沢を言うな、という顔をアムロが返したら今度は面白そうに肩を竦められた。
 ……会話も無しに、というのだろうな、こういうのを。
 アムロはつい周囲を見渡した。それなりに大きな公園だ……地球生まれにはとても朝とは思えないような容赦ない朝だが、それでも散歩をする付近の住人くらいは居るのではないだろうか。
 そんな人々に、一体俺達は何に見えるのだろう。
 朝っぱらから公園のベンチに座り、不味いコーヒーを飲み、端末を覗き込んでいる男が二人。
 納期が迫って徹夜をした挙げ句のサラリーマン、にでも見えるのだろうか。仲の良い、同僚の。
「……ここからが重要だ」
 ぼんやりとそんなことを考えていたアムロの思考を、シャアの言葉が遮った。
「あぁ」
「ディスクに詳細も入っているが、この絶対に止まるだろうと思われる四十八基に準ずる状態の廃棄コロニーが、宇宙にはあと五十四基ある」
「……」
「それら全てが止まった場合は総数百二基だ」
「……それがどうなると思っている、シャアは」
「……君の意見を先に聞こうか?」
「地球に向かうと思う」
 アムロが深く息を吐き出しながらそう言うと、シャアも目を細めた。
「……私もそう思う」
 遠くから、元気な犬の鳴き声が聞こえて来た。朝の散歩だろう。
「やっぱり、あなたも同じ結論に辿り着いていたわけだ……」
「ああ、そして同じ結論に辿り着いたからといって、当然のように君と一緒の行動は出来ないわけだが」
 一気に飲み干したコーヒーの容器を、アムロはくしゃりと丸めた。シャアは続ける。
「コロニーが、どのタイミングで何基動き出した場合、その阻止にどれだけの艦隻が必要になるか……可能な限りシミュレートした結果もディスクには入っている」
「そうか」
 ーーーだがきっと、宇宙艦隊も連邦軍上層部も動かない。
 シャアはとうに分かっている筈だ。とうに分かっている筈なのだ、そんなことは。それでも、これだけのデータをそろえてアムロに、ロンドベルに託して来た。
 ーーー共に止めてはくれないのか。
 喉元までその言葉がせり上がった。しかしこういう時だけシャアにに協力を仰ぐのもどうなのか。ブライトの意見を聞いた方がいいのでは。そもそもネオジオンが協力してくれたところでこれだけの数のコロニーを止められるのか。シャアは……俺の頼みなど聞いてくれるのか。
「……それで」
 さんざん悩んだ結果、アムロはシャアの差し出す二枚目のディスクを受け取って……これだけ聞いた。
「口頭で伝えたいこともある、って言っただろう。……これで全部か」
「いや、肝心なことはまだ言って無い」
「何だ」
 するとシャアが面白そうに笑って、自分もアムロと同じ様にコーヒーの容器を潰し、ベンダーの横にあるダストボックスに向かって放り投げる。それは少し外れて、公園の砂地に汚く転がったがシャアは気にした風もない。
 そしてアムロの方を見ると、とても静かに、だがハッキリとこう言った。
「……愛しているよ」
「知ってる」
 即答してやった。
 ……見つめ合う。
 周囲で人々が朝の散歩をしていようが、犬が吠えていようがもう構わない。
 二人が互いにその頬へと指先を伸ばしかけた時……アムロの胸ポケットで、端末が鳴った。



「カイと艦長に同時に通信を入れろ。……あぁ? 誰だそりゃって? 馬鹿、お前何年俺の部下やってんだよ! カイっつったらカイ・シデンだろうが! 艦長つったらロンドベルのブライト・ノア大佐だろうがよ!」
 いや、それはちょっと言葉が足りなすぎるのでは……と思いつつカムリは本部に入ったとたんテキパキと仕事を始めたボギーの後ろ姿を眺めた。
 同時刻、地球北米時間で宇宙世紀0092、九月十六日……午前一時。
 昨日、と言っても数時間程前なのだが、カムリが「プログラムの暗号を解く暗号鍵はおそらくカミーユ・ノートで、それが常に書き換えられているが故に解読が非常に困難になっている」という推理結果を示してみせたところ、ボギーは一瞬で目を覚ました。
 そして、今すぐ本部に戻って通信をする、と言い出して聞かなくなったのだ。
 一緒に帰った筈なのに、あっという間にまた一緒に戻って来た課長とその『妻』に当直の三課員達は冷たい視線を向けた。
 ……いや、ここはもう開き直りだ。と、カムリは思った。
 以前の上司だったウスダも充分おかしかったが、ボガート大佐もそれとは別の意味でまたおかしい。
「繋がったか? よし、お二方……謎が解けたぞ!」
 ……半分くらいね。
 そう思っているカムリの目の前で、ボギーは意気揚々と通信を始めた。



『解けた? 謎が? 確かにこっちもあらかた出そろった……というより消去法が完成した……というか、あぁクソ、眠ィんだよ!』
 イングランド南東部のカイは、明け方ようやっと眠りについたところだった。
 三課のある北米オークリーとグリニッジに程近いカイの所在地の時差は五時間。向こうは日付が変わりました程度の夜中なのかもしれないが、明け方であるカイにこの通信は辛い。
『……それは緊急な用事なんだろうな』
 月に係留中のラー・カイラムも同じことで、宇宙時間はグリニッジ(地球標準時)と同じ時刻を指し示すので、今現在は九月十六日の午前六時である筈だった。その証拠に、艦長室らしい部屋で部屋着で通信を受けている。
「ああ、解けた。コロニーに仕掛けられているという起動プログラムだが……暗号で書かれているせいでこれまで解読出来なかった。しかし、その暗号を読む為の暗号鍵が何か分かったんだよ」
『……凄いじゃないの』
『それは凄いな』
 カイとブライトは同時に目が覚めた様だった。
「アムロ・レイは? アムロ・レイ大尉はそこにいませんか?」
 すると、ボギーの後ろから勝手に顔を出してカムリがそう言う。聞かれてブライトは、適当に話を誤摩化さざるを得なかった。
『ああ、アムロは……別件で、半日ほど艦を離れているが』
「……またお礼を言い損ねた……!」
 悔しがるカムリを押しやって、ボギーが高らかに宣言する。
「まあ聞け、二人とも。……事件が繋がったぞ。廃棄コロニーに仕掛けられた起動プログラム、プログラム自身を書いている言語。その言語が暗号であるところまでは分かっていたが、それを読む為の『暗号鍵』が無かった。『暗号鍵』を探し求めて構造解析を重ねた結果、その『暗号鍵』自体がワンタイムパスワード制……ええい、この辺の説明は後でカムリに聞け。ともかく『暗号鍵』が何だったか分かったんだよ」
『ワンタイムパスワード制……?』
『暗号鍵自体が定期的に書き換えられているから、これまで特定も解読も不可能だったということか……?』
 説明しているボギー本人よりも、通信で繋がったカイとブライトの方がよっぽど意味を理解しているらしい、と判断したカムリは、また強引に通信に割り込んだ。
「そうです。刻一刻と姿を変える『暗号鍵』……つまり『パスワード』。……どこかで聞いたことありませんか」
『……カミーユ・ノートか……!』
 カイの方が一瞬早くそう叫んだ。
 ブライトはしばし呆然としていた。……だがしかしそういうことなら。
『……ボギー。この回線はかなりクリアだが、軍のものか? セキュリティは? 深度は?』
「馬鹿言え、艦長とカイといっぺんに話するのに軍の回線使うもんかよ。もちろんアングラだ。違法ブイ経由の」
『その部屋に他に要員は。……そこの、カムリ君の他に』
「あ、カムリでいいですよ。本名はロイ・ウィクロフトです」
 てめぇ自己紹介なんか後にしろ! という叫びの後に、しかしブライトの口調に何かを感じたボギーは本部に居た他の三課員を部屋から出した。課長権限だ。
「……艦長。なんかあんのか」
『軍の上層部には絶対漏れないんだな? この通信は』
『どうした、ブライトさんよ……』
 カイも分からないらしく、首を捻っている。すると、ブライトは小型の端末をもう一つ取り出し、そして言った。
『そういうことなら。……起動プログラムの暗号が解けたり、カミーユ・ノートと繋がったりとか……そういうことなら、アムロに連絡が取れないことも無い。いや、むしろ絶対に取った方がいいだろう』
「どういう意味だ」
「連絡取れるんですか?」
『取った方がいい?』
 三者三様の返事を返して来るボギーとカムリ、それからカイを見ながらブライトは深く頷いた。……ここで連絡を取るのは、繋げようとするのは全て自分の責任だ。
 ……しかしここは、繋げておいた方が良い場面だ。絶対に。
『アムロは今……』
 ブライトはそこで台詞を切り、端末のボタンを押した。
 あの男にも、この場所に居てもらった方がいい。
 ワンコール、ツーコール。……出た。
 ブライトは小さな端末を、目の前の端末のマイク部分に殊更押し付けてハッキリと言った。
『……シャアと会っている』



 久しぶりの上陸で浮かれたサットン・ウェイン少尉と、サットンに部屋に転がり込まれたヒューイ・ムライは、実に若者らしくだらだらとその夜を過ごしていた。
「……起きろよ、もう六時だって……」
「……あぁー。不味いな、そうだ今日はテスト……テストがあるんだプロトの……」
「って寝るな!」
 ヒューイの部屋は散らかってはいたが、それはサットンにとって物珍しい宝の山で、見たことの無いゲームが面白く、構築しかけのモビルスーツの基本動作プログラムすらも面白く、サットンが遊んでいる間にヒューイがうたた寝し、ゲームに行き詰まるとそれを起こし、ヒューイが難所をクリアしている間にサットンがうたた寝し、その合間に酒とつまみで大爆笑し……などと繰り返している間に気付けば朝になっていた。
「まぶし! 朝も唐突に来るんだな、月面都市って……」
「あー……あーもう俺本当に起きる。サットンはここで寝ていく?」
「そうさせて。んで、昼過ぎくらいに顔出すわ。艦の方に行けばいいのか? テストって何処でやんの……」
「基本的にはリバモア周辺……月面でも動かすだろうな、アムロ・レイ大尉は……のはすだけど、あぁ眠い! ……中途半端に寝なきゃ良かった……」
「起きろ! 軍人は体力が資本だ!」
「俺……軍人じゃない……」
 ヒューイはそこいら辺に転がしておいた眼鏡をかけて、まだぐずぐずと丸くなっていたが、サットンに何度も身体を揺すぶられ、やがてようやく覚醒したらしい。
「……顔洗ってメールチェックしよ。サットン、ベッドは向こうの部屋の奥だから」
「寝る場所あるんだろうなぁ」
「あそこは散らかってないから大丈夫。ひどい。むしろ俺、そんなに散らかしてない……」
「……」
 ヒューイのその台詞にサットンは絶句し、それからこの上なく散らかった部屋を見渡したのだが……素直に寝室に退散することにした。
 いってらっしゃい、と一言付け加えて。
 ーーーだからサットン・ウェイン少尉は気付かなかったのだ。
 うん、行ってきます、と呟いてメールチェックの為に画面に向かう、そのヒューイ・ムライの端末に世界樹が……世界樹のようなネット構造図が浮かび上がっていたことに。



 ……それは間違いなく、一部の地上派テロリストしか知らないはずの『カミーユ・ノート』の……構造図だった。












2008.11.24.




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