そうして、コロニーの現実と言ったら。
「……ギュネイは?」
 ふと気付いた様にシャアが顔を上げそう呟くと、会議室の奥で幹部と話をしていたナナイが振り返った。
「一週間程前から錬成訓練で外に出ています……って、これ今日三回目の台詞なんですけど大丈夫かしら?」
「そうだったか」
 他にも人が居るというのにナナイが容赦ない。これは相当怒っているなとシャアは思った。
「では、誰が月に同行するのだ?」
「私が行きます。……ちなみにこれも三回目の台詞です、何かご不満でも、大佐?」
「いや……」
 実際ナナイは怒っていた。口には出さなかったがこの色ボケ上司め、と心の中で罵るくらいには。
 二週間程前にロンドベルが月に向かうと言う情報を得たシャアは、自分も月に行くと言って聞かなくなった。まるで子供だ、と思いながらもその子供の我が儘を聞いてやる自分もどうなのだろうと思う。
「ギュネイは、おもちゃを気に入ったのか?」
「かなり気に入ったようです。筋もいいし強化も順調、立派な兵器が一人出来上がると思いますよ」
「そうか、金をかけた甲斐があったな」
「はい」
 ギュネイが気に入ったおもちゃというのは、ヤクト・ドーガという名のモビルスーツである。それはνガンダムが試作に入る直前あたりにロールアウトし、アナハイムから極秘裏にネオ・ジオンに納品された新型機だった。
「……で、いつになったら月に向かえる」
「結局聞きたいのはその一点だけなのでしょう? ……強引にスケジュールを調整しましたから行くのは行けます、確実に。でも予定より半日ほど遅れるわ……その時間も待てないっていうの?」
 ナナイは更に容赦が無くなった。総帥とその秘書がどうやらプライベートに突入してしまったらしい、と判断した幹部達は、静かに会議室を出て行った。
「……」
 天井が高く、広い本拠地の会議室の中に、シャアとナナイだけが残された。
「……ナナイ。君の怒りはもっともだが……」
「言い訳をする男は嫌いだわ」
「……」
「言い訳を持たない男はもっと嫌い。ちょっとは頑張って頂戴」
「早く……」
「アムロ・レイに会いたいのでしょう? はいはい分かってます。でもね、手土産の一つも持たずに言ったらきっと愛想を尽かされるわよ、女心の分からない人ねぇ」
「……アムロは男だ」
「はいはい分かってます。もう少しで『動きを止めた廃棄コロニー』の全体像のデータが纏まるのよ。それくらいも待てないの」
「ナナイ」
 最近、ナナイは以前程アムロの話をしても怒らなくなった。二人きりになった会議室で、片手に書類を、片手に端末を持ちスケジュールを調整するナナイを、シャアは心から美しいと思う。
 達観した女は、ここまでも美しい物なのだろうか。
 ララァもそうだった、どこか突き抜けていた。そして自分とアムロの事を、自分達にも分からないレベルで理解していた。
 午後の日差しの差し込む会議室の窓辺で、無造作に机に腰をかけ仕事をするナナイが美しい。
 シャアはただそう思った。



 今現在、既に回転を止めている廃棄コロニーは三十二基。
 ネオジオンは、宇宙が本拠地で、コロニーがその死活線で有るが故に今回の事象の把握に連邦よりも必死だ。
 回転を止めたコロニーは、まだ何処にも向かっていない。
 ただ、太陽の方向を向いたミラーで、動力を蓄えてじっとしているだけだ。
 ……それは膨大な動力を。地球の方向に向かって動き出す事が出来るだけの動力を。
 いずれそれは、ゆっくりと動き出す。
 一斉にそれらが動き出す、Xデーが必ず有る。
 しかし、起動プログラムが解読出来ない以上、その日は誰にも分からない。
 既に回転を止めている廃棄コロニーは三十二基。
 似たような条件の廃棄コロニーは四十八基。
 更に、それに準ずる状態の廃棄コロニー、すなわちいつ止まってもおかしく無い廃棄コロニーが五十四基。
 ーーー計、百二基。
 ネオジオンは、宇宙が本拠地で、コロニーがその死活線で有るが故に今回の事象の把握に連邦よりも必死だ。
 連邦でも同じ様に思って動いてくれている人々は居る。
 ロンドベル隊だ。
 しかし、彼らだけだ。
 二つの勢力がコロニーを止めたい理由は、全くの正反対だ。
 ネオジオンは、宇宙に浮かぶ大地を失わない為。
 ロンドベルは、地球をコロニー落しから守る為。
 既に回転を止めている廃棄コロニーは三十二基。
 似たような条件の廃棄コロニーは四十八基。
 更に、それに準ずる状態の廃棄コロニー、すなわちいつ止まってもおかしく無い廃棄コロニーが五十四基。
 ーーー計、百二基。
「連邦軍の全宇宙艦隊の……十倍の数の艦隻が一丸となっても、一ヶ月」
 ナナイが端末を覗き込んだままぼそりと呟いた言葉に、シャアは苦笑いをするしか無かった。
「……最悪のシミュレーション結果だな」
 ……だからこそ、この情報をアムロに手渡さないと。



「大尉ー!」
 港に立ち、相変わらずの笑顔を投げかけて来るチェーン・アギ准将に自分も笑顔を返しながら、アムロはタラップの上のブライトを見遣った。
 ーーー宇宙世紀0092、九月十五日。フォンブラウン第五ゲート、アナハイムエレクトロニクス社所有、リバモア工場側出入り口。
 ブライトは無言で首を横に振る……ああ分かってる、最優先事項は彼女じゃないよな、確かに。時間も無い。
「やあチェーン、久しぶり。今日も可愛いね……プロトは元気か? 進み具合はどんな感じだ」
「それがねー、オクトバーさんたらひどいんです!」
 ひどいんです、って、そりゃ今の俺の立場だが。……そう思いつつも、これくらいはいいだろ、とばかりにチェーンの肩に腕を回す。
「新しいOSはどうですか?」
「送って貰った資料に関する限り何処にも問題は無い。……パーフェクトだよ、チェーンと同じくらい」
「やだ、そんなこと思って無いくせに」
 少し目線を下げれば楽し気にその黒髪を揺らす、彼女の背中が映る。
 ……可愛く無いわけでは決してないんだけどなあ。
「直ぐに試してみますか、プロト? 月面での六分の一重力下テストなら……」
「ああごめん。悪いけど軍関係の特別な仕事が一つ入ってしまっているんだよね。テストは出来たとしても明日の朝から。その前にブライトが一回……オクトバー・サランと話し合いたいと言っていた」
「え、そうでしたか」
「連絡はメールで行ってる筈だよ?」
 もう一回タラップの上のブライトを振り返ったがもう姿が見えない。
 見送ってももらえないのか。まあそうだな、俺と来たら目の前の彼女を放り出してでも、行きたい場所があるし会いたい男がいるのだから。
 無理を言って艦を降ろして貰ったのだから。
 ひどいのは俺の立場と言うより、俺のこの気持ちだな。チェーンを面倒臭いとしか思えない、この気持ち。アムロは少し苦笑いしながら彼女に伝えた。
「というわけなので……デートは明日以降でね」
「……はい」
 チェーンは少し拗ねたが、しかしティーンエイジャーの小娘というわけでもない。納得したように頷くと、じゃあ、また明日と笑って離れて行った。
「……」
 疲れた。……ような気がする、ほんの一瞬の事なのに。
 もう一回ラー・カイラムのタラップを見上げたのだが、やはりブライトは居ない。
 急に思った。
 何と言うか、長いこと「美しい女」を見てない。
 ……どこに居るんだろう、「美しい女」は。
 その存在自体が美しい、溜め息の出るような女は。
 いつの間にか消え去ったブライトの替わりに、タラップにはサットンの姿が見えた。サットン・ウェイン少尉、十九歳。
 あぁ、ヒューイ・ムライを探しているんだな、と思ってアムロはつい笑ってしまう。
 しかし、次の瞬間には自分の仕事を思い出して真顔に戻った。……そうだ行かなければ。行きたいのだ。



 ラー・カイラムに、定期輸送艦で意味深な小包が届いたのは……一昨日のことだった。












2008.11.20.




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