この一ヶ月程の間に事態は少し進んだと言えたし……少ししか進んでいないとも言えた。
 まず、カミーユ・ビダンの全地球圏に渡るハッキングという事態を受けて、さすがに連邦政府と、それから軍が重い腰を上げた。
 ……と言っても、具体的に対策を講じた訳では無い。ジオン残党兵によるコロニー落しを「輸送中の事故」と発表するような政府であり、軍である。
 元からカミーユ・ビダンの担当は諜報三課だった。ニュータイプの担当は一年前まで四課だったわけだが、それが潰れた現在三課がそれを引き継いだ形になっている。その三課に対して「早くなんとかしろ」と上層部が釘を刺した。
 ……それだけである。
 流れた映像のこれ以上の流布や、削除にはそれなりに手を貸してはくれたが、所詮それだけである。政府としてのはっきりした見解すら発表しなかった。
『……俺は今回、本当に貧乏くじだ』
 とは、トレンチコートを身に纏った三課課長の言葉である。
「……」
 後始末に奔走し、本気で疲れているらしいボギーの顔を見てブライトは慰めの言葉も出なかった。が、自分の要望だけはしっかり伝えた。
「というわけで、コロニーに仕掛けられているウィルス……『セクエンツィア』だが。『セクエンツィア』のデータは、メールと小包二通りの方法で送ったから」
『艦長まで俺の仕事を増やすのか。てめぇらみんな鬼だ。愛ってもんが無い』
 何と言われようが、こちらも仕事である。艦隊ではこれ以上プログラムを解析する事は出来ないし、そのノウハウがある諜報にプログラムを託して何が悪いのか。
「……ボギー、愛は有るが、目には見えないんだ」
『サン・テグジュペリの言葉なんか聞きたかねぇよ! 俺は薄汚れた大人だ!』
 苛立たしげに切られた通信画面を、後ろから猫のように覗き込んでいたアムロが言う。
「……荒れてるな。星の王子様はどうかと、俺も思うな」
「カイの入れ知恵だって言わなくて良かった」
 俺はカミーユ・ノートとカミーユ自身を追うから、その面倒くさそうなプログラムはボギーに回せ。
 ……というのがカイからの伝言である。
「全くだ」
 ちなみに、一人でラー・カイラムに通信を入れたトレンチコートの三課課長は後で嫌という程『新妻』に文句を言われた。
 彼曰く「またアムロ・レイ大尉にお礼を言い損ねたじゃないですか!」だそうだ。
 知るか! と思いながらボギーは頭を掻いて、あたりには埃が舞った。



 面倒くさい仕事をボギーに回す事にまんまと成功したカイ・シデンは、相変わらずイングランド南東部の港町に留まり、ネットの中で人を割り出す作業を続けていた。
 『カミーユ・ノート』は誰もが読めるが、それには『コア』があり、その『コア』に侵入し、書き換えをする権利を持っているのは僅かなテロリスト達だけ。
 理屈は簡単なのだが、一つ一つのセクトに連絡を取り、交渉し、その情報を教えてもらう作業は地道の一言だった。
「ほぼ出そろったな……」
 宇宙世紀0092、ラー・カイラムがフォン・ブラウンに入港したのと同じその日に、カイは珍しく煎れたてのコーヒーを飲んでいた。
 時間をかければそれなりに何とかなるものである。
 既にあらかたの地上派セクトには連絡を取り終わり、いつ、誰がどのIDとパスワードで『コア』に接触し、何を書き換えたのか把握出来るまでになった。
「ただし、だ」
 この作業が終わった所で、どうにもならない事実が一つある。
 最後まで終わって、それでも怪しい人物、つまり居所の特定出来ない人物が出て来なかった場合、得られる結論はたった一つ『カミーユに辿り着けない』でしか無いのだ。
 気の遠くなるような『消去法』だ。
「あー……でも、頑張るしかねぇかぁ……」
 大体、俺は武闘派なんだ。武闘派のジャーナリストなんだ。
 誰も聞いていないのを良い事に、チューダー王朝の面影深く残るゴシック様式のホテルの部屋で、独り言を呟きながらカイはデスクワークに戻る。
 夏はいつの間にか過ぎ去り、いつの間にやら秋の風情だ。
 「出来のいい弟」は元気でやってるかな、とカイはふと思った。



 「出来のいい弟」は……ぶつくさと文句を捏ねる旦那の尻を引っ叩き、立派に仕事をしていた。
 得てして、浮気なんかしていても妙な協調感を感じて、嫁同士は仲が良かったりするものだ……とこの時ほどボギーが感じた事は無かった。
「構造解析をしてみたんですが……微妙に違うんですよね、メールで送られて来たプログラムと、小包で届いたディスクの中身が」
「……は?」
 本気で意味の分からなかったボギーがそう聞き直すと、カムリは大げさに溜め息をついた。
「だから。……ブライト・ノア大佐からプログラムを託されましたよね? その構造解析をしてますよね、今。三課内の自分が率いているチームで。ここまでは大丈夫ですか。もう、カイ・シデンの言った通りだな……ボガート大佐は一年の内に三日くらいしか仕事しないって」
「……」
 つーか、こいつらはいつの間にこんなに仲良くなったんだ。仲良く俺を陥れる程に!
 ボギーが苦い顔をして黙り込むと、カムリは目の前の端末で二つの画面を開いて見せる。
「確かに、このプログラムはある種の暗号……ちょっと、寝ないで下さいよ! ここは俺の家なんですからね、寝るなら帰ってから寝て下さい!」
「寝てない、続けろ」
「このプログラムは『起動プログラム』には間違いないんですが、基本言語がある種の暗号で書かれています。暗号で書かれているのはともかくとして、細かく
チェックしたら何故かメール添付だったプログラムと、小包で届いたプログラムに違いがあることが分かったんです」
「……どういうことだ」
 ここです、宇宙にも確認しました、とカムリは言って、何故か部屋のカレンダーを指差した。
「メール添付だった方が七月六日以降にコロニー・ノヴァでコピーしたもの。……小包で届いた方が、七月六日以前にコロニー・ノヴァでコピーしたものと思われる、だそうです」
 厳密に言うと、ヒューイ・ムライがコロニー・ノヴァでコピーした制御プログラムと、アムロがシャアから手渡されたディスク、の違いである。だがまあそこまではボギーとカムリの二人は知らなかった。知らなかったが、わざわざ別のサンプルを別の手段で送って来たロンドベルの周到さにはどこか感動した。
 同じ名前の二種類の物を手渡されたら、その違いをまず確認するのは基本だ。
「つまり?」
「ワンタイムパスワード的なものです……多分」
 続けてカムリは時刻同期方式とかハードウェアトークン認証とかアルゴリズム……などと呟いたのだが、もちろんボギーには意味不明だ。
「……すごく簡単に言うと」
 カムリはボギーの為に一枚の絵を描いた。……そこらへんにある紙に、適当に、である。
「この『起動プログラム』を書いている基本言語を解読するには、暗号で書かれている故に暗号鍵、が必要なんですが、なんとそれ自体が『ワンタイムパスワード制』を取っていて……」
「……」
「つまりね、最低でも一時間に一回くらい、暗号を解読するベーシックが……書き直されているんです。そのシステムまで含んで、この『起動プログラム』です」
「つまり?」
 カムリが書いた絵は適当だったが、ボギーにも辛うじて理解出来た。
 仕込まれたプログラムがあって。
 そのプログラムが暗号で書かれていて。
 それを読むには鍵が必要で。
 ……しかもその鍵が、時刻同期方式で恒常的に書き換えられている。



 カミーユ・ノート。



 ネットに接続さえすれば、誰もが読め、そして毎日更新される思想書。
「カミーユ・ノートか……」
「おそらくは」
 廃棄コロニーに『起動プログラム』が仕掛けられている。
 そのプログラムは暗号で書かれ、常に基本言語(暗号)が書き換えられている。
 一体どんな天才が。
「……は、」
「ここで寝ないで下さいね。さっさと帰って」
 ……どんな天才がこのプログラムを作ったというのだろう。












2008.11.20.




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