「ほら。コーヒー」
「……」
アムロが差し出した、宇宙艦ではごく一般的な密閉容器入りのコーヒーをサットンは無言で受け取った。いつも騒々しい人間がこうも殊勝だと、アムロもやり辛い。
「どうした」
「……」
「凄いなあ、って言ってたな。一体何が」
「……大尉は、」
まるで押し殺すように確か十九歳の若者が言った。
「カミーユ・ビダンを知ってるんですか?」
「あぁ? 何回か会った事はあるな、グリプスの時に。まだカミーユは十七かそこらだったから……そうか、もう五年も前になるんだな。だから知っていると言えば知っている」
「……ビビらないですか」
「どうして」
「だって、地球圏全体の……それも宇宙艦隊の士官食堂のモニターにまでハッキング画像を流せるようなとんでもない人間ですよ。腰、引けませんか」
「別に。起こった事態を収拾しようと右往左往するブライトの手伝いをしなきゃな、くらいには思うが」
ああ、それじゃサットンは士官食堂でさっきの画像を見たのか。アムロが答えると、サットンが見た事も無いような表情をする。分かりやすい性格にはやや不釣り合いな、それは苦笑いというものかもしれなかった。
「……俺、今日昼間、ヒマだったじゃないですか。だって大尉が必要なのはプログラムに強い人間で、パイロットは待機だとか言うし」
「……まあな」
確かに自分はそう言った。あの時はコロニーの制御プログラムの書き換えが最優先事項で、それ以外はあまり考えていなかった。
アムロは、自分自身はごくごく平凡な人間だ、という考えを最初から貫いている。だから周りでどれだけ大騒ぎが起こっていようが、それが自分の生活に実害を及ぼすならしょうがない、そこでやっと解決しないと、と思う程度の感覚しか持っていない。一年戦争の時に、初めてガンダムに乗った時ですらその感覚だった。
人がどう思おうと、自分は他に方法が無かったからモビルスーツに乗っただけなのだ。
今回の騒動で言ったら、アムロの中での優先順位はあくまでも『コロニーが止まる』という事実の方だ。それは仕事に絡んで来るし、中途半端にシャアにも頼まれている。
カミーユの失踪だのなんだのいうのは、後から付け加えられた項目だ。……それがどれだけセンセーショナルな登場の仕方で、インパクトが有ったとしても、残念ながら自分は驚けない……その事実で自分の生活はさほど変わらないし、驚ける程若くも無いのだ。
だが、この年若い兵士はもろに当てられたらしい。
「俺、ヒマでヒマで仕方なかったんで……ヒューイとメールしてたんです」
「ヒューイ? ヒューイ・ムライ? アナハイムのシステムエンジニアの」
「そうです、そのヒューイ」
「……」
多分サットンがメールのやり取りをしていたのと同時刻に、自分はヒューイが居ればコロニーの制御プログラムの書き換えがもう少し上手く行ったんじゃないかと考えていたはずだ。
「あいつね、子どもの頃の話とか全然ノってこないんです」
「……はぁ?」
「どんな子どもだった? って俺聞いたんですけど。その後返事が全然返って来ないんです。自分が一年戦争の英雄に憧れてパイロットになった話とかもしたんです。でもぜんぜん返事来ない。それで俺、後から思ったんだけど……あいつ、頭いいじゃないですか」
「頭はいいな、確かに」
「だから、」
サットンがアムロに手渡されたコーヒーの容器の口を切った。
「あいつ天才なんじゃないかな、って。それで普通に学校とか出てないんじゃないかな、って」
「あー……」
νガンダムのプロジェクトチームに属する人間の資料はアムロの手元にも届いている。確かにヒューイ・ムライは普通に学校を出て来ない。彼は本当にプログラミングに関しては天才だった。工学系の博士号取得の時点で十二歳。エレメンタリもジュニアハイもすっ飛ばしたことだろう。
だが、それを言ったらオクトバー・サランに移る前の主任、ニナ・パープルトンも天才の部類だった。月生まれの月育ちだが月面都市、ニュー・アントワープで博士号を得たのが十九の時。アナハイムエレクトロニクスによる引き抜きは大学院在学中で、二十歳の時には既に『試作ガンダム計画』に加わっている。
「あー。それでサットン。……お前はどうしたいんだ」
結局、そんな質問になった。休憩ブースで隣に座って、密閉容器のストローをくわえ、ズズーっ……と吸い上げるサットンの顔を見つめ込んで、アムロは苦笑いをした。
「そのあと、カミーユ・ビダンの登場じゃないですか。俺、すごいって思って。……天才ってこの世に居るんだな、と思って」
「自分は平凡だなあ、とか?」
「……まあ、簡単に言うとそうですよ。ええ、そうです。ヒューイは頭が良くて言ってる内容の半分も自分には分からない。そう思ってた直後に、畳み掛ける様に地球圏全域ににハッキングをかけるカミーユ・ビダンとか見ちゃったら……ヘコむでしょ、普通」
「俺はへこまないけどなあ」
いじけたように唇を突き出すサットンが面白いと思って、アムロはその焦げ茶の髪に手をやった。
人には得手不得手がある。……生まれつきのものだ。そう、生まれつきの。
……どうやったらこいつにそれを伝えてやれるのだろう。
「それは大尉が『すごい人』の方に入ってるからですよ……ちょっと何触ってるんですか、俺ひょっとして今、大尉にたらし込まれてる?」
「いや、全く。……ところで俺は、本当に自分が『すごい人』だとは思ってないんだ。そりゃ価値観の相違ってもんだ。だから質問はさっきのところに戻るんだが……だからお前はどうしたいんだ」
「……」
相手が天才だろうがパラノイアだろうが奇人だろうが、自分は自分のままで居ればいい。人間関係とは、人と人が付き合うとは、結局のところそういう事だ。どれだけ憧れた所で、人は自分以外にはなれない。自分以外の人間には。この年若いパイロットにはまだそれが分からないのだろう。若いというのは、思いきり他に影響を受ける発展途上、そういう事だっただろうか。それはもう立ち位置を見失うような影響を。
「……お前は、どうしたいんだ」
「……ヒューイと友達でいたい」
ついにアムロは吹き出した。サットンの髪を撫でたまま。サットンは不満そうにストローをくわえてアムロを睨んでいる。
「ちょっと! いい加減止めて下さいね! 止めないと押し倒しますからね!」
「ばか、そんな軽口はな……もっといい男になってから言んだよ。なら、それでいいじゃないか」
「なにが」
「それでいいんだよ。……ヒューイと友達でいたいんだろ? それが全部じゃないか」
アムロはそう言ってサットン・ウェイン少尉の髪から手を放す。
すると、離せば離したでサットンは不満そうな顔をするのだった。コーヒーを飲んだまま。それが面白くてアムロはもう一回笑った。
ーーー宇宙世紀0092、九月十五日。
ロンドベル隊は、幾度目かのνガンダム試作機テストとそれから打ち合わせの為に月に入港していた。今回は、ブライトとアムロというプロジェクトに直接関わる人間だけではなく、艦隊全てを引き連れて、である。
月、フォンブラウン第五ゲート、アナハイムエレクトロニクス社所有、リバモア工場直上。
艦隊の全ての艦が、列を成して入港する様はそれなりに勇壮だった。通常このような光景は観艦式か、もしくは母港への帰還時にしか見られない。
『……オールグリーン! 全艦の投錨を確認しました……』
『オールグリーン!』
『アイサー! 信号弾、上げ!』
時代が変わっても「海の」男達は猛者ばかりでどこか陽気だ。
「今回、出番ねぇなあ……」
と呟きながら、アリスタイド・ヒューズという名のロンドベル隊旗艦ラー・カイラムの老練な砲術士官は、慣習となっている『艦隊入港時の信号弾』を月のそらに打ち上げた。
明るい光を伴うそれは、緩く弧を描いて月面に反射し、オレンジに爆ぜた。
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2008.11.20.
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