それは嵐の様な侵攻だった。時間にしたら僅か三十秒程の。……だがしかし圧倒的な。
「……カミーユ・ノートって、なんだ」
 通常画面に戻った艦橋のモニターを見ながら、アムロはたった一言それだけ呟いた。そしてインカムをブライトに返す。
「思想書だそうだ」
「はぁ?」
 ……まるでジグソーパズルの様だと自分は思った。
 今回の事件が、だ。
 1000ピースもあるジグソーパズルを、四方向からじわじわと埋めているような。
 『シャア(ネオジオン)』『俺達(ロンドベル)』『カイ(ジャーナリスト)』『ボギー(諜報三課)』。
 皆が別の場所で作業を進めている。辿り着きたいのはおそらく同じ結論だ。しかし、1000ピースのジグゾーを埋めるのは簡単な作業ではない。似たようなピースは山ほどある。
「……思想書、だそうだ。実を言うと自分も良くは知らない……だが以前に会った時も、ボギーは『カミーユ・ノート』のことを口にしていた。夏前の、あの軍法会議の時に」
「……」
「読んでみるか? 少し調べて見たんだが、アングラじゃ大変な人気だそうだ。ただし、人気がありすぎるために日々誰かが書き加えたり、削ったりして……これと言った実体がない。ネットの中の生き物のような存在らしい」
「……無理だろ、冗談じゃない」
「私もそう思う。昨日と今日じゃ形が違う。そんな『本』を読んでるヒマは我々にはないな」
「……絵柄が見えないんだ。最終的な」
「は?」
 ブライトは便宜上アムロに返事を返してくれていたが、艦橋内の喧噪を見ればカミーユに奪われた『たった三十秒』のネットワークの空白を、埋める事にどれだけ連邦軍が、そして連邦政府が必死なのかは見て取れた。
 あっという間にありとあらゆる通信でモニターの画面が埋まる。
 ……ミノフスキー粒子に邪魔され、思う様に通信が出来ない現在であっても、ハッキングというのはここまでの効果を地球圏全体に及ぼすのだな、と。
「艦隊本部から……いや! ラサからの回線を最優先!」
「地球上では報道管制をコードC1で既に展開中……」
「全艦隊は駐留している宙域のイントラ掌握に協力するよう命令が出ました……先ほどの電波ジャックの正式な時間が出ました。三十二秒。レベルは深度7にまで渡っています!」
 それを見てアムロは少し笑った。
 有り得ないだろ。……いろいろと。
 なんだよ『カミーユ・ノート』って。
 こっちは謎のプログラムと格闘するのに、既に必死だっていうのに。
 そのうえ『カミーユ・ノート』って。
 ……有り得ないだろ。
 絵柄が見えない。
『あぁ良かった、通じたか! こちら軌道艦隊本部、今現在宇宙軍所属の全所属艦隊の所在を確認している最中である……こちら軌道艦隊本部……』
 何処までも鳴り止まない叫び声のような通信音声を幾つか聞きつつ、アムロは艦橋を後にした。
 絵柄が見えない。
 見えないんだ、ジグソーパズルの。
 ……つまるところ犯人の目的が。



「……」
 どうしたもんだ、コレ。
 カイ・シデンはイングランド、イーストサセックスにあるライという海辺の街で、ぼんやりと考え込んでいた。
「本当にどうしたもんだ、コレ」
 久々にブライトから連絡が来た……と思ったら、ボギーにまで回線を繋いでやがった。かと思ったらその通信をぶった切るように今度はカミーユ・ビダンに割り込まれた。
 ……俺はもう、ある日いきなりシャア・アズナブルから直接回線(ホットライン)が回って来ても驚きやしねぇぞ。
「……」
 目の前の端末ではネットワークの再構築が行われていた……もちろん地球連邦も、連邦軍も同じ様に今、いきなりかき乱された通信網の再構築に必死だろうが、だが待て。あぁ俺はブライトに邪魔をされる前は、誰とやりとりをしてたんだっけ?
 あァそうだ、確か親宙派のテロリスト幹部と『カミーユ・ノート』のコアについて話していたんだよ。
 今目の前でやりとりを再開しているのは、そんなテロリスト達が使っている通信網だ。アングラで、アクセスキーを使わないとやり取り出来ないような、違法ブイ経由の。
 そうしたら、ブライトから連絡が来て……なんだって?
 宇宙で、とんでもない事が起こっているって言って来たんだ。これ以上は無理だからお前等も手伝えって。
 ……見掛けは紳士的なのにいつも最後はゴリ押しなんだよな、ブライトって。
 コロニーがどうとか言ってたな。廃棄コロニーが幾つも、カミーユ・ビダンの失踪と同時期に止まり始めてもう宇宙ではどうしようもないからと……。
「だけどよ」
 真夏の深夜、旧イングランド、イーストサセックスの海辺の街でカイはのろのろと椅子から腰を上げた。
「……だけどよ、カミーユはハッキリ言ってたぜ……? 『コロニーを止めてるのは俺じゃない』って」
 すげえ。そこでカイは立ち止まった。熱いコーヒーでも一杯入れてやろうかとホテルの部屋に設えられたポットに向かいかけたのだがその足を止める。
 ってことは、だ。
 すげえ。
 ……何も解決して無いじゃないか、コレ!
 気付いたカイは端末に取って返すと、無理だろうなぁとは思いつつ一枚のアクセスキーを引っ張り出した。窓を開け放した部屋には相変わらず湿気が籠り、じんわりとカイの額に浮かんだ汗は、行き場も無くその場所に留まっている。
 無駄でも、とりあえずやってみるしかねぇ。
「……もしもし」
 カイは断片に過ぎないジグゾーのピースをそれでも埋めて行こうと決断すると、プライドをかなぐり捨てて一人の相手を呼び出した。
『あれ? あなたひょっとして……』
 出ないだろうなァ、それどころじゃないだろ……と思っていた通信に相手が出た。



「本部はかなり怒ってます」
「だろーなァ」
「諜報は何をやってたのかと。……カミーユ・ビダンはいつから失踪していたのかと……そればっかりです」
「一ヶ月前からだぜ? しかも俺ァずいぶん前にそういう内容の報告書上げたぜ。そう言い返してやれ」
「ラサにですか!? 出来ません、冗談じゃないですよ……!」
「骨のねぇ奴だな、てめぇそれでも諜報三課か!」
 カミーユのハッキング後の混乱は、地球、北米オークリー基地に居を構える地球連邦地上軍第三特務部隊所属諜報部第三課では特にひどかった。
 昨年の九月に、シャア・アズナブルの声明が宇宙ネットのチャンネル32で流された時どころの話では無い。
 全地球圏だ。
 全地球圏に、広く、そして浅く、だがカミーユ・ビダンは現れやがった。
 だからよぅ……。
「今現在のイントラの把握状態を上げろ」
「イエスサー」
「本部からの回線は出来る限り俺に回せ。俺はやべぇってちゃんと言ってたんだ。ずっと前にな。なのに聞かなかったのァ本部の方だ。お前等が怒られて気に病むことはねぇ」
「……イエスサー」
「落ち着け! てめぇ等! 慌てたって回線の混乱は元に戻らねぇし、カミーユ・ビダンが無かった事にはならネェんだよ!」
「分かってます!」
 そう叫び返す諜報三課の連中が楽しそうだ。
 ……そう思いながら、この課では新入りに属するカムリ……コードネームがカムリ、本名ロイ・ウィクロフトは思っていた。ボギーの、分厚い背中を眺めながら。
 ピピピピピと……身近にある端末から「とある」現象を示す音がする。
 うん、これは『アクセスキー』の着信音だ。……通常回線とは異なる、非常着信の。
『……もしもし』
 目の前に居るボギーは、当然回線の着信には気付いていない。今彼は自分の場所を、立て直す事に必死だ。
「どのくらいの人間がさっきの画像を目にした……あー? ネットワークに繋いでいた人間はほぼ全て? 馬鹿、だから地球圏の全人口のどのくらいかって聞いてんだよ! 何万人なんだよ。何億人なんだよ! さっさと調べろ、報告出来ねぇだろうが!」
「イエスサー」
「画像解析? そーいうのは専門のチームが二課にも一課にもあるだろう、諜報だけじゃない警察にだって公安にだってそんな仕事出来んだろうが! 何でもかんでもこっちに回すなって言ってやれ!」
「イエスサー!」
 珍しく上司らしく仕事をさばいているボギーの背中を見ながら、カムリは着信音を響かせる端末に手を伸ばした……これは、ボギーの個人的な端末だ。しかも、天地をひっくり返したような大騒ぎになっているオークリーに今『アクセスキー』で割り込んで来れる人間というのはそうざらには居まい。
 どうするかな。少し考えたがカムリはその端末に勝手に手を伸ばすと、部屋の喧噪から逃れる様にデスクの下に座り込んだ。
 そして、勝手に回線を受信する。
『……もしもし』
「あれ? あなたひょっとして……」
 カムリは通信の向こうの声に心当たりがあったので、意外に呑気な声でそう答えた。












2008.11.15.




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