基本に戻れ。
カイは端末に向き合い続けていた顔を上げ、ほう、と長い溜め息をついた。
宇宙世紀0092、八月二日。
あれから病院への挨拶もそこそこに、宿泊しているホテルに飛んで帰って早速ネットの海に乗り出した。こういった方法の専門家ではないが、カミーユの片鱗を見つけられる場所は、もうネットの中しか残っていないような気がしたからだ。
しかし逆に、気づいた。
ーーー何故、そこまでして、俺はカミーユを探したい?
夏なのでじんわりと暑く、そして海辺なので湿気を含んだ空気が開け放した窓から入り込んで来るホテルの部屋で、カイはしばらくぼうっとしていた……そうだ、何故俺はカミーユ・ビダンを探さなきゃならないんだ、そもそも?
部屋には空調など無かった。環境を破壊するエアーコンダクターは過ぎた設備だという事もあるし、その建物のせいでもある。
カイが泊まっているホテルこそが『マーメイド・イン』という名のエリザベス一世が滞在した事があるという曰く付きの場所なのだった。低い天井、ハーフ・チェンバーの歪んだ柱、十六世紀、中世ゴシック形式。……世界遺産にほぼ近い。
ネオ・ゴシックと呼ばれたビクトリアン様式ですらない、本物のゴシック様式の建物。千年近く前の。
「……」
漆喰の天井と見事なコントラストを描くその煤けた黒い柱をしばらく見つめていたカイは、もう一回溜め息をついて背筋を伸ばした。目に、剣呑とした光が宿る。
ーーーなぜ、カミーユを探したい?
最初の理由は、それを連邦が隠したからだ。
ーーーでは、何故隠した?
彼が地球上の、政府転覆を目論む物騒なヤツらに妙に支持されていたからだ。
ーーーどうして、カミーユはテロリストに圧倒的な人気を誇った?
それは、カミーユが書いたと言われる『カミーユ・ノート』という詩集が、マルクスの『共産党宣言』と同じくらいに、今を生きる革命家連中の心を掴んでしまったからだ!
「……は、」
そこまで考えて、じゃあもうやりたい様にやらせりゃいいんじゃねェのという結論に達してしまいそうになり、やや焦った。
ーーー一体、自分は、どうしたかった?
自分は、連邦が隠そうとするならカミーユ・ビダンの存在を表に出して、テロリストの味方をしたかった。理由は簡単だ。善悪の判断は人により千差万別だが、カイは地球連邦政府に好感を抱いては居なかった。ただし、それはジオニストに対しても同じである。現状に不満がある、このままではどうしようもないと思っている。そういう人間は多い筈だ。だったら地球と宇宙は、もっと歩み寄るべきなのだ。戦うより先に話し合うべき機会は、話し合うべき事柄は、無数にあるはずなのだ。
しかし現実にはどうだ? 地球に居残った連中は自分の利権しか考えず、全ての民は常に飢え、宇宙は不満を漏らし! 歩み寄るなんて夢また夢だ。
……誰も幸せになんかなって無いじゃないか。
誰も幸せになんかなっていないじゃないか、誰も不幸になんてなりたくもないのに!
そこでもう一回カミーユの問題に立ち返ってみた。
彼は何だ? と言われたら……別に政治家でも学識者でも軍人ですらなくやはりただの『元義勇兵』だ。グリプスの一瞬だけに現れ、同じくらい一瞬にして消えたマボロシの英雄だ。
それは十六歳から十九歳の三年の間しか詩を書かなかったアルチュール・ランボーが如く。活躍が短く、そして鮮烈であったが故に伝説の人物。
……あぁ、それで詩か。詩人なのか。
「ったく、今目の前にカミーユ・ビダンが居たら……」
なんてご大層な余生だ!
「『人生はそんなもんじゃねぇこのクソガキが』って、きっと横っ面をひっぱたくな……!」
心に決めた。そうだ、目標が出来たのだ。
カミーユ・ビダンという、人々の心を煽りに煽って見事逃げ仰せた人物の、その横っ面を思いきり引っ叩いてやりたいという目標が。
「大人を舐めんなよ、この野郎……!」
幾分不穏な台詞を吐きながら、カイは心当たりのある地上派のテロリスト全てに、連絡を取る事にした。
『カミーユ・ノートの真実を知っているか?』という一文と共に。
軍に属していない自分には、ネットを組織力で洗い出す力は無い。そのくらいはカイにも分かっている。だとしたら、かわりに直接テロリストの親玉の方に、何が起こっているのか聞いてしまえば早いじゃねぇか。そう思ったのだった。そして、組織力の替わりにその『コネ』を……確かにカイは持っていた。
「やりたいのは、目の前にあるコロニーの基本制御プログラムの書き換え。……問題点は幾つかあって、その中の最大のものが『コロニーが今も回ってる』ってところだ」
「……」
ロンド・ベル艦隊の全ての艦から選び出されたソフトに強い軍人……まあ主に整備兵が多かったが……達は、神妙な顔をしてアムロの話を聞いていた。
場所はラー・カイラム左舷格納庫脇のブリーフィングルーム。
「どう言ったら良いんだ……起動したままでモビルスーツのOSの書き換えって普通出来ないだろ。いや、書き換え自体は出来るけど、必ず書き換えた後に再起動をかけるだろ? コロニーの場合はその再起動をかけられないってことだ。一瞬でも制御プログラムの機能を止めるとガクン、と。まあ……中で、中央港辺りの無重力地帯で作業をしている俺達はともかくだ、コロニー周辺に待機している艦隊の連中が大変な事態に巻き込まれるだろうな。急に回転を止めたコロニーは、外に向かって大量に物をまき散らす筈だ。重力が失われ、その場に留まれなくなったありとあらゆる物を」
「……何故コロニーの制御プログラムの書き直しが必要なんですか?」
ひどく最もな質問を、ラー・エルムの整備兵がして来た。アムロは苦い顔をしてこう答えた。
「ああ。……一言でいうと、ウィルス、かな。ウィルスが仕掛けられているから」
「ちょっと納得出来ません。ウィルスが制御プログラムに仕掛けられているにしても、対象は廃棄コロニーでしょう? 誰も困らないのでは」
「……」
ますますもって最もな意見だ。アムロはついに溜め息をついた。確かに、困るのは……シャアくらいかな。直接的には。しかし起こりうるかもしれない危機を、彼らに何処まで説明したら良いんだろう。
「そのウィルス的なものが……仕掛けられているのは……このコロニー、ブライトンだけではないんだ」
「……」
「だから、解除出来るのかどうか、ともかく一回試してみたい。何とか協力してもらえないだろうか」
我ながら説得力の無い、曖昧な表現になった。鏡を見ずとも、今自分は凄く困った顔をしているんだろうなあという自覚がある。
目の前の、集められたプログラムに強い兵たちは……互いに顔を見合わせていた。ロンド・ベルの、全艦隊から計五名。アムロを含めて六名。
「……分かりました」
やがて、ラー・キェムの年配の通信兵がそう言って、全員が頷いてくれた。
「そういうことなら出来る限りやってみましょう。で、方法は? パーティションを区切って? もう一つの制御プログラムを別にインストールしてそちらに移す方法ですか?」
「基本は。……悪いな、細かく説明出来なくて……」
「いいですよ、別に。最善を尽くしましょう、アムロ・レイ大尉」
「恩に着る」
十数分後、索敵の済んだコロニー・ブライトンに向かって、準備の済んだエンジニア・チームがランチで乗り出した。
「……『コア』がある」
カムリがぼそりと呟いた言葉を、ボギーは聞き逃さなかった。
八月二日、もう日付が変わろうかという時刻だ。戻って来た諜報三課の要員も加えて、相変わらず地下では大きなチームでのネットの攻略が続けられていた。
「何に」
「カミーユ・ノート以外の何だっていうんです」
「お前、絶対前の方が可愛げあった」
「男が可愛くてどうするんです。……ここ」
カムリが近くに寄って来たボギーに、目の前の端末の一部分を指差した。
「分かります?」
「分かんねぇなあ」
「目は見えてます?」
「ホント可愛げなくなったなあ、お前」
カムリは呆れたようにボギーをジロリと見ると、さっさと説明を始めた。
「地上構造図のDの4です。イントラ欧州3のポジションb−2。ここにコアがあります」
「何の?」
「だから『カミーユ・ノート』ですってば!」
カムリが苛々したようにそう叫ぶと、ボギーが嬉しそうに急に笑った。
「お前、怒ってたほうが可愛いなあ」
はぁああああ、と盛大にカムリが溜め息をついた。
「前の上司も最悪だったけど、今回も最悪だ……」
「お前、俺とウスダを比べるとかひどくねぇか?」
「煙草吸うのやめてくれたらもうちょっと見直すかもしれません」
「じゃ、永久に見直さなくていーわ」
「……」
周りはもう呆れて課長と『新妻』のやりとりを聞いている。
「ここです。ここ」
「あァ……なるほど。コアね。なるほど」
カミーユ・ノートは確かに日々変化している、カミーユ・ノートは生き物の様に日々形を変えている。しかしカムリが指差した画面上に、確かにその根幹、と呼んでも差し支えないものが確かにあった。
まるで世界樹の様に張り巡らされた、地上イントラの繋がりを表示した画面。その中の『コア』。……カミーユ・ノート本体。
「サーバか?」
「言ってよければ。カミーユ・ノート専用の。……誰が作ったか知りませんが、このサーバが全てのイントラにカミーユ・ノートを発信する元になっていて、ここを通らなかったカミーユ・ノートは公式では無いとして落とされる仕組みになってるらしい」
「そこにはアクセス出来るのか? パスは?」
「……それはこれから」
むう、とカムリが口を尖らせた。ボギーはその顔を見てまた笑った。
「お前……やっぱ怒ってた方が可愛いな」
もうそれでいいです、とだけ答えてカムリは端末に向き直る。
そんな若い人間の背中を見るのは、自分は嫌いではないなあとボギーは思った。こう……むずかゆい感じが、何とも言えずいいよな。
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2008.11.11.
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