『総員に告ぐ。第三種警戒配置を現時刻をもって放棄。第一種警戒配置に切り替える。第三種警戒配置を現時刻をもって放棄。第一種警戒配置に切り替える』
 艦橋に戻った艦長と作戦士官は、慌ただしく上陸の準備を始めた。通信兵が全艦放送を流した後、艦長席に座ったブライトが続けて細かい指示を出した。
「旗艦艦長のブライト・ノア大佐である。目的のコロニーを目の前にして、足踏みをしているような状態ですまない。今回の哨戒行動自体を疑問に思っている諸君も多い事だろう。出来れば私もきちんと説明したい所なのだが、不確定要素が多すぎて今の時点ではそれが出来ない。本当にすまない」
 偉い連中には人に頭を下げる事をとかく嫌う奴が多いんだが、その点ブライトはお構い無しだよな……などと思いつつ、アムロは艦長席の脇でその放送を聞いていた。
「ラー・カイラムは四十三分後、イチサンフタマルよりコロニー・ブライトンへの接岸を開始する。それに先んじてラー・チャター、ラー・ザイムの二艦は後部宇宙港の索敵に向かえ。残りの艦は待機中のモビルスーツ部隊を中央宇宙港の索敵に出せ。……あっと、それから」
 結局、この説明し辛い『危機』を艦隊全体の作戦士官に説明するのは先延ばしにすることに二人は決めた。まずは目の前のコロニー・ブライトンの現状を知ってから、である。
「各艦、エンジニアを一人……ソフトに強いエンジニアを一人旗艦に寄越してくれ。今回コロニー内で特殊なオペレーションを行う。チームリーダーはアムロ・レイ大尉だ。今すぐ一人、それも一番優秀なエンジニアを旗艦に向かわせる様に。……以上」
『えぇ〜っ、今回パイロットは出番無しですかぁ!?』
 ブライトの放送が終わるか終わらないかのうちに、格納庫あたりにいたのだろうか、サットン・ウェイン少尉からいつもの調子の通信が入ってアムロはこめかみを押さえた。それから無言で、ブライトからインカムを受け取った。
「モビルスーツ部隊は中央宇宙港の索敵って、たった今ブライトが言っただろう。何を聞いてたんだお前」
『だって大尉は別行動なんでしょう?』
「だってもクソもない。お前、ソフトに強かったか? プログラム得意か? システムエンジニアの資格持ってたか?」
『……』
「分かればいい」
 アムロはインカムをブライトに返すと、やれやれと思いながら艦橋の出口に向かった。
「ブライト。左舷モビルスーツデッキ脇のブリーフィングルームを借りる」
「分かった。オペレーター、各艦からエンジニアが到着したらそちらに向かわせろ」
「アイサー」
 ……さて。
 艦橋から出たアムロは背伸びをすると、肩を回した……とにもかくにも、制御プログラムの書き換えである。これさえ上手く行けば、取りあえずの危機は免れるのだ。しかし、そうは言ってもコロニーの制御プログラムなど自分も専門ではない。
 まさに、こういう時にヒューイ・ムライが居てくれれば助かるのになあ。
 そんなことを考えてしまう自分にやや苦笑いしながら、アムロはゆっくりとレベル1、左舷格納庫へ向かった。



「カミーユ・ノートに本体が無い、というのはつまりこういう事です。ミノフスキー粒子が運用される様になってから自由な通信はことごとく阻まれ、隆盛を誇っていたインターネットが姿を消し、ほぼ地球連邦の監視下に置かれた、それも有線でないと確実に通信の出来ないイントラネットにネット世界は逆戻り……と、ここまでは分かりますか」
「人を馬鹿にしてんのかてめぇ」
「確認です」
 カムリが淡々と指差しているのは、どうやらそのイントラの組織構造図のようだった。
「そうは言っても地球上のイントラは大きい。ほぼ地球上全てをカバーしている。それに比べて各コロニーで使われているイントラは、そのコロニー単体で使用する目的のものが殆どだから格段に規模が小さい。おまけに、サイド全体で使おうとしても無線が利かない訳だから大きくなりようがない。これが、まず地球上でだけ圧倒的に『カミーユ・ノート』が流行った理由です」
「……」
「ネットに繋ぎさえすれば、カミーユ・ノートは誰でも拾う事が出来ますし、誰でも読む事が出来ます。さっきも言った様に地球上のイントラはその規模が大きい。カミーユ・ノートが存在する深度でやり取りされる情報を、連邦はさほど重要視しておらず、アンダーグラウンドの連中もその回線は利用している。というか、むしろテロリスト達の方が通信をすることに熱心ですね。地上から枝葉を広げ、危険を冒してまで違法ブイを設置し、宇宙にまで無理に通信を広げようとしているんですから。布教に熱心な連中が広めようとしているんだから、それはもうカミーユ・ノートも、それに類するものもネットの中には溢れ放題なわけです」
「……それで」
 ボギーは顔をしかめると先を促した。
「さっきも言った通りに……カミーユ・ノート自体は誰でも読めます。ただし『正式なカミーユ・ノート』というのは何処にも存在しないんです」
「……」
「ついさっきまでボギーも、自分が読んだその一部分が、カミーユ・ノートそのものだと思っていたわけでしょう? でもそれは違います。正しいけど、違う。誰もが手を加えられる場所にある、誰のものでもない『書物』であるが故に、カミーユ・ノートは毎日姿を変えています。書き加えられたり、削られたりして」
「……」
 しばらく沈黙した後……ボギーはよれよれのトレンチコートのポケットから煙草を取り出すと火を点けた。
「つまり……アレか」
「禁煙です」
 カムリはもちろん嫌そうにそう言ったが、ボギーはもちろんお構い無しだ。
「永遠にカミーユ・ノートの実態はつかめない、と」
「あともう一つ真実がありますよ。……『カミーユ・ノート』を手がかりに、カミーユ・ビダンの居所を探そうなんてのがそもそも無理です。毎日書き換えられた箇所をチェックして、その人物が何処からアクセスしていて、どういう人物なのか……調べられないこともないですけど」
 そこでカムリはガランとした部屋を見渡した。さっき、ボギーが無理矢理休憩を言い渡したのでそこには今誰もいない。放り出された無数の端末が、諜報三課の腕利き達が全員ネットの中で悪戦苦闘してこの一ヶ月程過ごして来たことを如実に示している。
「カミーユ・ビダン本人が現れる可能性は、とてつもなく低いんですから。それが、この一ヶ月で分かった真実ですよ」
「……」
 ボギーは目を細めた。いやまァ、そうは言われてもなあ。
「分かった。まぁいいだろ、それでもお前はその幻の書物に……書物もクソもネェか、ネット上にしか存在しないそれに、アクセスした人間を片っ端から洗って、片っ端から調べて、ホンモノのカミーユを探してくれてんだろ?」
「……仕事ですからね」
 は、とボギーは一息ついて、それから天を仰ぎ見た。
「笑えねぇもん残して消えてくれたもんだな、カミーユ・ビダンも……!」












2008.10.29.




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