「名前は」
「……はぁ?」
ブライトの質問の意味が全く解らなかったので、アムロはややとぼけた返事をしてしまった。
場所はラー・カイラムの第一ブリーフィングルーム、宇宙世紀0092、八月二日。
「算段があるのだろう。……この状況でも、まだ何か可能性があると思っているからこそ、わざわざこの廃棄コロニーに来たんだろう。お前は。……いや、我々は」
「……そうだな」
アムロがパタン、と自分の端末を閉じると、ブリーフィングルームの光源は待機状態のモニターからの淡い光だけとなった。それは恐ろしいくらいに青ざめた光だ。
「書き直しが可能か……一度だけ試してみたい。コロニー制御プログラムの書き直しだ。この謎の『起動プログラム』を組み込まれる前の状態に戻せるのかどうか。戻せさえすれば何の問題もない」
「だから、それに名前はあるのか」
「え?」
ブライトの言葉にもう一回、アムロは本気で分からない様で首を傾げた。
「その、解読不能の、暗号で書かれた起動プログラムに……名前はあるのかと聞いている」
「ああ、そういうことか。そうだな。正式名称かどうかは分からないが……シャアから貰ったファイルには名前が付いていたよ」
「なんと?」
ブライトが目を細める。
「……『セクエンツィア』と」
アムロが答えた。
「……あなたも大概しつこいですね!」
「まあ、そう言わずにさぁ……」
病院を三階まで登って来たカイは、カミーユの担当看護士ともう何度目になるのだろうかという会話を交わしていた。
「本当に、どこかおかしな所は無かったのか?」
「だから、無かったですってば! この病院に来た日から、あの跡形も無く失踪する日まで、どこも様子に変わりはありませんでした!」
「その、カミーユのいつも通りってどうだったワケよ」
「ですから……」
看護士が話すカミーユの日常は平坦だ。
朝起きる。食事は三食きちんと摂り、調子の良いときはベッドに起き上がり、悪いときは寝て過ごす。午前十時くらいには必ずファ・ユイリィが顔を出す。彼女は完全介護の病室に寝泊まりが出来ないから、面会時間ぎりぎりの夜八時までそこにいて、名残惜しげに帰る。カミーユは寝たり起きたりしている。
「それだけですよ。……どこがどう悪いのやら知りませんが、心身症にしたってあれだけ大人しい患者さんだったんです。身内の女性がいるのなら、引き取って在宅看護に切り替えた方がいいだろうと、ここの看護士は皆思っていましたよ」
「……」
カイはメモを取る手を止めて、ぼんやりと病院の廊下の窓を見た。
海が見える。
……この目の前の看護士にカミーユの事を、つまりあれは『心身症』からくる鬱病なんかじゃなくて、ニュータイプ能力が異様に発露してしまった人間の末路なんだよ、なんて説明した所で決して理解はしてもらえないのだろうなあと思う。
「カミーユ・ビダンは海を見たか?」
「はあ? そりゃあ時々は……車椅子に乗って部屋から出る事も有りましたよ。そしてこの廊下を行ったり来たりすることも。ああそうですね、でも確かに裏庭には出たりしませんでしたね。他の患者さんは散策を良くするのに」
「……」
そりゃあ、そこまでを連邦軍が許さなかったからだ。
……とんでもネェな。
つい笑いかけたカイの耳に、更にとんでもない、しかも初めて聞く内容の台詞が入って来た。
「だから、あの患者さんは……寝たり起きたり、端末を覗き込んでいたり……でしたよ。もう良いでしょう。さっさと帰って……」
「……ちょっと待て」
カイはがばりと顔を上げると、思わず看護士の肩に手をかけた。看護士は余程驚いた様子で、田舎風の中年の、恰幅の良い女性なのに飛び上がった。
「……何ですか!」
「それはこっちの台詞だ! カミーユは……カミーユには『端末』が与えられていたのか!?」
「はぁ?」
「だから、端末だよ端末! ネットワークに、外部に繋がる……」
「はあ、そんなの別に普通じゃないですか。来たときから持っていましたよ? 本当に静かな患者さんでしたし、時々笑いながらネットを見ているくらいなんだって言うんです。問題ないでしょう?」
大有りだ!
「……」
カイは思わず絶句した……そうだ、そのルートを、その方向性を何故今まで忘れていた!
「来たときから……持っていた? 端末を」
「えぇ」
しかしこれまで『カミーユ・ノート』に恐れを成した連邦軍は……カミーユにネットへのアクセスを許さなかった筈なんだ。そこからそもそも違うじゃないか! しかしこの病院に、イースト・サセックスの片隅に、現れたときからカミーユは端末を持っていたというのだ! しかもごくおとなしい心身症の入院患者と言う印象しかカミーユに抱かなかった看護士は、その人物がネットに繋げる端末を持っている事を特に話さなければならない「特異事項」とは認識しなかった。
……その挙げ句が、失踪から一ヶ月近くなっての今日の告白か!
「……しつこいようだが。カミーユは端末を持っていて、それはネットに繋げたんだな」
「ええ……まあ。ここの患者さん達はイングランド内のイントラには、常時繋げる様になってますよ。それに何か問題でも?」
「……いや、別に」
カミーユ・ビダンが何処かに消えた。
「いや、別に何も……」
そしてそれを、俺は追えなかった。当て所を無くして、無駄足に思いながらこの病院に何度も何度も足を運んでいた。追いつく事が出来ないと今日まで思って来た。
しかしカミーユ・ビダンが痕跡を残すとしたら、何も現実世界とは限らないじゃないか。
連邦政府がそもそもカミーユを恐れ、隔離した理由は何だ?
『カミーユ・ノート』じゃないか。
地上で、有り得ない程のカリスマを得てしまった『革命の書』じゃないか。
「……っ」
カイは、看護士へのお礼もそこそこに病院を飛び出した……そうだ、まだ糸は切れちゃいねェ、ネットの中でカミーユを探す手が残っていたじゃねぇか!
「……どうだ」
「気が短いですね。まだ地球上にある九つのイントラを洗い出しにかけてる最中ですよ」
「そーかよ」
「そーです。……ちょっと黙っててもらえませんか」
「カムリ、こういうの得意なのか? 俺はからっきしでな〜…」
「禁煙です」
宇宙世紀0092、八月二日。
北米オークリー基地の地球連邦地上軍第三特務部隊所属諜報三課の本拠地……は、にわかオペレーティングルームと化していた。本部地下、三階にある一角だ。それもつい一ヶ月程前『出所』したばかりだという新人カムリの手に寄って、だ。微妙に噛み合ない会話を交わしながらも、モニターに向かって手を休めないカムリの背中にボギーは溜め息をつきつつこう言った。
「で、よ。……尻尾は掴めそうか」
「どうでしょう。しっぽどころかね、『カミーユ・ノート』の本体が掴めない……気がする」
「はぁ?」
するとバサリと、非常に無造作にカムリがボギーに紙の束を投げつけて来た。
「なんだよ」
可愛くネェな、八つ当たりかよ……と思ったら違ったようだ。
「『昨日の時点のカミーユ・ノート』です。……それ」
「……意味がワカラネぇ」
「自分でも説明しにくいです」
そこでやっとカムリは端末に向かっていた手を止め、ボギーを振り返った。
「毎日書き換えられてるんです」
「何が?」
「『カミーユ・ノート』が、です」
「カミーユ自身の手によって?」
「ほぼ百%違いますね。……他人の手によって」
「……ンだあそりゃぁ」
「こっちが聞きたいです。本体が無いんです『カミーユ・ノート』には。ネットに流布し、まるで自分達を代弁する革命の書、のように地球上のテロリストに扱われているこの『書物』には」
「……」
そこまでは慌ただしい部屋の中で、まるで若い女房に頭が上がらない中年男のような風情を醸し出していたボギーが、急にすうっと目を細めた。
「おい」
「なんですか?」
そして何を思ったのかボギーは近くにいた課員の一人から無理矢理椅子を奪い取ると、カムリの脇に引き摺ってきてドカリと腰を据える。
「……お前ら、全員! 適当に一回休憩! あァちょうどいい時間だな、メシ食って来いメシ。俺はちょっとカムリと話がある」
「なんですか勝手にもう……」
カムリが呆れて文句を言おうとしたが、ボギーが指示を出すと三課の文官達はこれ幸いと背筋を伸ばして、次々に部屋を出て行ってしまう。
「……」
「……なんですか」
ボギーとたった二人残された部屋の中でカムリが三度、そう問いかけるとボギーが思いのほか険しい顔をしてこう言った。
「重要だ。……それはちょっと重要だぞ。もう一回きちんと説明しろ。その、カミーユ・ノートには……本体がない、というところをだ」
「……イエスサー」
肩を竦めはしたものの軍人らしくそう答えると、カムリは目の前の端末を指差した。
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2008.10.29.
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