サットンは自分の部屋で、端末を覗き込みながらうんうん唸っていた。
……つまらない。
つまらないのだ、この一ヶ月程! 先月は良かった。試作機のプロトは凄まじく格好良かったし、模擬戦も楽しかった。アムロ・レイ大尉とは心行くまで戦えたし、プロトに引っ付いてアナイハイムから出向して来ていた同い年のヒューイ・ムライとは仲良くなれた。本当に楽しかった。
しかし、その後の一ヶ月と言ったら……プロトをアナハイムに送り届けて以降通常の演習航海と、本拠地への寄港と、また演習航海と……そればかりだ。
つまらない。
つまらないので、ヒマさえ有ればヒューイ・ムライとメールでやりとりばかりしている。使っているのは軍のネットワークだがヒューイは出向している手前、軍のメールアドレスも取得している。それでやり取りが出来るのだった。
ーーーってわけで、単体テストは問題無くクリアしてね。結合テストもきっと上手く行くと思うねーーー
アナハイム社のシステムエンジニアであるヒューイのメールは、専門であるモビルスーツのプログラミングに関することが多かった。実を言うと、サットンには半分も意味の分からない世界だ。
ーーー単体とか、結合とかって何?ーーー
ーーーああ、モビルスーツの基本OSのプログラミングの話なんだけどね。今回のνは、そこからカスタムで作ってるんだよ。ニュータイプ専用機だからってのもあるし、アムロ・レイ大尉が徹底的に余分なものを嫌う性格だから、って事もある。νはかなり特異な機体だよ。それで、OSのプログラミングって言ったって一人で出来るわけないだろ。それぞれ担当のプログラマーが居て、チームがあって、担当の箇所を仕上げる。で、それがきちんと機能するのか調べるのが単体テストで、全体を合わせた時にシステム全てが上手く動くのか確認するのが結合テストなんだよーーー
ーーーはあ、それ重要なのか?ーーー
ーーー……まあ、サットンが思ってる以上には重要なんじゃないか?ーーー
ーーーお前、今俺のこと馬鹿にしただろう!ーーー
ーーーしてないしてない。……多分ねーーー
ーーーしてるじゃないか!ーーー
メールをやり取りをしていた筈なのに、いつの間にかそれがチャットのようなやり取りになっていた。
半分も意味が分からない。
……と思いつつも、たまたま友達になったこの男が、ひどく優秀なプログラマー、そしてエンジニアであることくらいはサットンにも分かる。
サットン・ウェインは十三年前の「一年戦争」の終戦を、北米で、七歳の子どもだった時分に迎えた。そのまま地元で、焼けこげた戦場を見ながら育って、ジュニアハイを出る頃には一端の軍人マニアになっていた。
特に秀でた能力も無い。
しかし子供心に残った、一年戦争の英雄達の勇士は鮮やか過ぎた……だから軍人を目指す事しか頭に無かった。そうして、その後希望通りに、いや希望以上の偶然も味方して、試験を受けたら受かり、名門と呼ばれるナイメーヘン士官学校をヨーロッパで出、コウ・ウラキ大尉の元でテストパイロット(試作機テスト兵)をし、引き抜かれて今はロンド・ベルに居る。
ーーーあのさあーーー
ーーー何? 俺、一応今、会議の最中なんだけどーーー
会議の最中とも思えないノンキな返事がヒューイから返って来て、ヒマでヒマで不貞腐れていたサットンは笑った。
ーーーお前って、どんな子どもだったの。小さい頃とか、何になりたかった? 俺は、一年戦争の英雄に憧れて軍人になったんだよな。でもお前って、俺より全然頭良いし、何でエンジニアになったのかなーって。ちっとも俺じゃ想像つかないーーー
「………?」
そこで、サットンが疑問に思って首を傾げるくらいヒューイからの返事が急に止まった。
なんだろう。会議とやらが紛糾してるのか?
『……種警戒配置。繰り返す。コロニー・ブライトンへの上陸はやや見送る。総員、第三種警戒配置。及び、全艦隊が半舷休息に入る。繰り返す。総員、第三種警戒配置……』
艦内に、艦橋の意向をしめすそんなアナウンスが丁度流れているところだった。
「……ヒューイ?」
なんだよ、メールの返事が返って来なくなった挙げ句に、面白そうだった目の前のコロニーへの上陸すらお預けかよ。そう思いながらしつこく端末を覗き込んでいると、やっとヒューイからの返信が届いた。
ーーーああごめん、会議クライマックスだったーーー
「なにそれ、」
呟きながらもほっとして、サットン・ウェイン少尉は先ほどのメールの続きを送る。
ーーー俺はな、だからな、一年戦争の英雄に憧れて軍人とかなってーーー
ーーーうん?ーーー
ーーーだから今幸せなんだよ、アムロ・レイ大尉の下で過ごせてさーーー
ーーーそうだなあ、そりゃ幸せなんだろうと思うよ、俺は運動神経ゼロだったからモビルスーツパイロットなんて最初からなろうとも思わなかったけどさあ。アムロ・レイ大尉は凄いもんなあ。サットンはいいな。……あ、場所移動になったからまたなーーー
ーーーああ、またーーーー
宇宙世紀0092、八月二日。
サットン・ウェイン少尉は溜め息をつきながら端末を閉じた。
……つまらない。
つまらないのだ、この一ヶ月程! 唯一の楽しみだったヒューイとのメールのやり取りもついに途切れた。さきほどの艦内放送の内容の通りだとすれば自分が乗っている戦艦はしばらくは目的地寸前で足止めだ。
「あー……」
端末を畳み、ベッドに腰掛け、天井を見上げ……それからようやく、サットンはヒューイがどんな子どもだったか聞き損ねたことに気づいた。
くそっ、水臭いじゃないか! 俺はもう、自分がどんな子どもだったか話した! なのに秘密にするとかって、水臭いじゃないか!
「……」
ヒューイ・ムライはアナハイム社フォンブラウン支社のリバモア工場の片隅で、深く息を吐き出した。
なんだなんだなんだ。
これまでの人生で、ここまで自分に熱心に関わろうとする人間は誰一人居なかった。サットン・ウェインが間違いなく初めての「そんな」人物だ。
頭がやたら良かったので、いつも何処か気持ち悪がられ、年相応の子ども達と一緒に、学校を出る事も許されなかった。十三年前の一年戦争終戦時には確かにヒューイも七歳の子どもだったが、確か高校に通っていたような気がする。
生まれも育ちも月だった。ある意味平和な場所だった。自分がそこまでのんびりと『天才教育』を受けられたのはアナハイム・エレクトロニクス社という巨大企業のおかげだったと後で知った。自分の親は、賢すぎる子どもに手をやいて、アナハイム社の特待制度に自分をあっさりと売り渡した。
ーーーお前ってどんな子どもだったのーーー
おそらく何気なく聞いて来たのだろう、サットンの言葉に本気で戸惑った。
自分は、一年戦争の頃連邦軍のモビルスーツ開発の遅れにやや疑問を抱いていたよ。テム・レイ博士が発表した、連邦オリジナルのモビルスーツ原案に目を通したときは身体が震えたよ。
自分は、一年戦争の頃ジオニック社やツィマッド社やMIP社のモビルスーツを比較対象する研究を行っていたよ。
九歳で大学を出て十二歳で修士は愚か博士号まで取って、あたりまえの様に自分に期待し、奨学金を出してくれていたアナハイム社に就職したよ。そしてもう七年にもなる。
「……」
とても説明出来ないと思う。自分の能力は偏っている。確かに人より長けている。ただ、長けているのはシステムエンジニアとしての、プログラマーとしてのただ一点だけだ。他はただの十九歳だ。
「……友達、とかって、こんな凄いものだったのか……」
「ヒューイ! ヒューイ、ヒューイ、居るんでしょ! お茶にしないー!」
自分と同じ様に、ある程度優秀には違いない黒髪の技術士官が、海事戦略研究所出身の女性が、呑気に自分に声をかけてくる。
「……いま行くよ!」
「そう、お茶が冷めたら私もオクトバーさんも怒るわよ! 早く来てね、ヒューイ!」
そう言って朗らかに手を振り、チェーン・アギ准尉がプロトの納められている格納庫を出て行く。
……彼女も優秀な人だと思う。ハード専門だが海事戦略研究所出身で、二十代頭にしてアムロ・レイ専用機の専用技術士官。
「……」
でも、ヒューイにとっての一番の問題はさきほどサットン・ウェインから送られて来たメールの一文に他ならなかった。
ーーーお前ってどんな子どもだったのーーー
会議だ、とか移動だ、とか嘘を言った。
……本当はプロトの脇で、格納庫の片隅でずっとサットンとメールのやり取りをしていた。そうしたかったから。
「……クッソ……!」
思わず抱えていた端末を床に投げつけかける。そうだ、端末の一台や二台、大した事無い。バックアップはとってある。バックアップが無いのは………。
さっきやり取りしたばかりのサットンとのメールくらいだ。
そう思った瞬間に、それがとてつもなく大事なものだったことにヒューイは気づいた。無くす訳にはいかない!
「……っ」
慌てて壊そうとしていた端末を胸に抱え直すと、ヒューイは立ち上がる。
お茶だっけ? チェーン・アギ准尉はそんなことを言ってた。
……お茶だ。よし、お茶を飲んで落ち着こう。
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2008.10.29.
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