「……何ですか、これは」
「『カミーユ・ノート』だ。名前くらいは聞いた事があるだろう」
「……」
 目の前に放り出された紙の束の、一枚目に目を通してから自分を見上げる男の顔は、長い監獄生活のせいかやや血色が悪く見えた。
「確かに……名前くらいは。諜報四課はニュータイプ専門の部署でしたから」
 男はスーツを着ていたがタイは閉めておらず、シャツのボタンは無造作に上の二つ程が開けられたままだった。年は確かアムロ・レイと同じ。二十八だったはずだ。
「それで、ロイ・ウィクロフト。……いや、カムリ。どっちの名前で呼んだ様がいいんだ、久々のシャバの空気はどうだ」
「実感が湧きません……っていうかシャバってそんな」
 目の前の男は紙の束を放り出すと、一緒に乗っていたタクシーの後部座席でボギーに向き直った。
「おい、邪険に扱うんじゃねぇ。重要な書類なんだぞ?」
「意味のまったく分からない、その青臭い詩集が?」
「そうだ」
「ついていけない。……ボガート大佐、なんで自分は急に無罪放免になったんです。どうして……」
「よし、まず呼び名を決めよう。ロイとカムリ、どっちがいいんだ」
「……」
「俺にしてみればどっちも苦々しい名前だがな。逃げた男の名前が両方に入ってやがる。最悪だ」
「なんですかそれ……」
 男は両手で顔を覆って……それから諦めた様に呟いた。
「どっちでもいいです」
「じゃ、カムリで。『ロイ』と『カイ』じゃ俺の方が混同しそうだ」
「それが逃げた男の名前ですか」
「……お前、しばらく会わねぇうちに生意気になったなあ……」
「それはどうも」
 ナイメーヘン高等士官学校の程近くにある刑務所から出たばかりの男は、八ヶ月前に面会した時とは違って随分打ちひしがれた様相に見えた。
 前に会った時にはあんなに悔しがってたじゃネェか。おいおい、俺の思い違いか? 提督に話を着けてまでお前を超法規的に出獄させたんだぞ。
 ボギーは溜め息をつきながら無遠慮に煙草に火を点けた。タクシーの運転手が何か言いたそうな顔をしているが知るものか。
「何処へ向かっているんです」
 それがボギーに無理矢理刑務所から出されたカムリの、初めて自発的に発した言葉だった。
「シャルル・ドゴール。俺は諜報三課所属で、本拠地は北米のオークリーだからな。パリで飛行機に乗り換える。オークリーまではひとっ飛びだ」
「イエスサー」
「軍人が手駒ってのは話が通じやすくていいな」
「そうですか。……俺はあなたがかつての上司より全うな人間であれば、他には何も望みません」
 かつての上司というのは壊滅した諜報四課の課長、ウスダのことだろう。確かに奴は暴走し、連邦軍から抹殺された。それはいい。それは別の物語だ。しかし、そのあんまりに投げやりなカムリの様子にボギーはつい強引にその頭を引き寄せた。移動する最中の車内というのは密談には事欠かない場所だ。
「良く聞け。……お前、憶えてるか、前に面会に言った時、自分が言った言葉を」
「……」
 カムリは大人しく、耳元で囁かれるボギーの言葉を聞いていた。
「カミーユ・ビダンが消えた。つい先日のことだ。この『幻の書物』を、地球に存在する親宇宙派に残して、綺麗さっぱりに奴は消えた。残念ながら俺も行き先を把握出来てねぇ。……一騒動起こる気配だ。そんな中でシャアもアムロも自分の役割を果たしてる。お前は……お前はもう一回奴らに会いてぇんじゃなかったのか?」
「……」
 意識もしていなかったのにまるで甘い言葉を囁くような格好になった。腕の中の身体がビクリと反応する。ニュータイプにただならぬ確執を抱く人間だ。コイツ本人が、というより奴のかつての上司、ウスダがそうだった。それを目の当たりに見、その意思のままに行動して来たカムリも、あの事件で何らかの確執を抱く様になったはずだった。
 もっとも、それはニュータイプに対してなのか、アムロ・レイとシャア・アズナブルに対してなのかは分からないが。
「会いたくネェのか」
「……会いたい」
 それだけ言うと腕の中の身体は弛緩して、見ればカムリは泣きそうな顔になっている。しかし瞳には強い光が戻っていた。
「会いたい、もう一度会わずに死ねるものか……!」
「ならいい」
 ボギーは腕を解いた。
 ……絶対にこの選択肢は間違っていない。
 カミーユ・ビダンと同時に消えたカイ・シデンの替わりにカムリを選んだ選択は、だ。
「お礼を……」
「何だ」
 ボギーは先ほどカムリがまき散らした書類を、アウトバーンを疾走するタクシーの中で拾い集めていたが、その声に顔を上げた。旧世紀のナチスドイツのやった事には賛成しかねるが、アウトバーンと呼ばれる高速道路をヨーロッパ中に敷き詰めた所だけは奴らを褒めてやってもいい。おかげで移動が酷く楽だ。
「お礼をまだ言ってないんだ。プログラムのお礼を。アムロ大尉に」
「……」
 泣き笑いのような顔になってそう言うカムリの瞳に、正気を探せなくてボギーは一瞬戸惑った。そう言えば、コイツは初めて会ったときもそんなことを言ってたな?
「そうか」
「そうです。それでなんだっけ。……ああそう『孤高の詩人』ね」
「あんだそりゃ」
「カミーユ・ビダンのことですよ。四課ではそう呼んでいました。コードネーム『孤高の詩人』」
「……まぁ、似合いの名前だな」
「ええ。それで彼が失踪したって話でしたっけ?」
 ーーー宇宙世紀0092、八月二日。



 ブライトから呼び出され、アムロは艦橋に向かっていた。
 宇宙世紀0092、八月二日。
 サイド2のコロニー・ノヴァでνガンダムプロトの試作機テストを行ってから約一ヶ月程が過ぎていた。
 艦橋に向かうアムロの手には、二枚のディスクが握られている。
 一枚は、シャア・アズナブルから託された暗号で書かれた起動プログラムのディスク。
 もう一枚が、アナハイム社のエンジニア、ヒューイ・ムライから受け取った報告書形式のコロニーの気象データに関するディスク。
 この二枚に何の関係性があるというのか、それとも関係など全くないのか。
 しかし、その双方をこの一ヶ月間充分に考察し、アムロが出した結論は『関係有り』……であったので、先日ブライトにとある内容の調査を頼み込んでいた。
 その結果が出たと、さきほどブライトに呼び出されたのだ。となったら、問題のディスク二枚を持って行かない訳にもゆくまい。
「……ブライト」
 艦橋の扉を開いた瞬間にアムロはそう呼びかけた。
 艦長席の真ん前辺りで仁王立ちになって、モニターを眺めていたブライトが戸口を振り返る。
「……」
 そして、何も言わずにモニターを顎でしゃくった。
 目の前に映し出されているのは、そしてロンド・ベル隊がこれから接岸しようとしているのは……サイド1のブライトンという名の、廃棄コロニーだった。












2008.10.21.




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