彼が、彼にしか解らない何かと戦っていたことだけは事実である。
自分はそれをある程度理解していたつもりだったが、逆に言えばある程度しか理解出来なかったということだし、その程度には凡人だった。
彼の言動は、常にその底知れぬ奥行きの深さを感じさせるものだった。
それは全く聖者のように、識者のように……そしてまたニュータイプそのものに。
『テロ、と一口に言うけれども……』
『急になんだ』
何故思い出したのかはわからないのだがその瞬間、自分の脳裏には何年も前に彼と交わした会話が蘇っていた。
あの時、確かチェスボードを目の前にしていた。目の前に座って自分の相手をしていた彼は良き友であり、部下であり、なおかつ孤高の人だった。
―――孤高の人だった。
他に表現の仕様は無いだろう。
彼は常に(物理的な意味では無く)仮面を被り、自分を隠し続けていたのだから。
誰にも心を開かなかった彼。少なくとも、自分には真の意味で心を開かなかった彼。
『テロリズムというのは一般的に、恐怖心を引き起こすことにより特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力のことだが……しかし私は思うのだよ、艦長。テロリズム、それからそれに対抗する様に生まれた、公務執行型のカウンターテロリズムに関してもだが』
『待て、まてまて大尉。話についていけない。テロリズム……というか「テロ」に関して言えば、私は学生時代に型通りの内容を授業の中で習ったきりで』
学生時代ね、と呟きつつ彼はポーンを一つ掌で転がし何とも言えない笑顔を浮かべている。
『それはもちろん連邦の士官学校で?』
『そうだもちろん連邦の士官学校で。しかし君だって出ていることだろう? 士官学校の一つや二つ』
『まぁ確かに。ジオン公国末期の士官学校なんて任官と称した学徒動員の為に無理矢理存在したようなものだったが、一応は出ている。しかし艦長』
『なんだ』
仕方なく、その時自分は会話の先を促した様に思う。ジオンの子であることを隠さないその日の彼はいつになく上機嫌に見えたし、彼との会話は頭を存分に使うことになるので自分としては楽しかった。
『テロは暴力の行使のはずなのに、だがしかし労働運動や、マハトマ・ガンディーの非暴力不服従すらも、当時の体制からしたら「テロ」と称されたりして来た』
『そうだな』
『そんな「テロ」という言葉はだな……そもそも々フランス語なのだよ。フランス革命末期にロベス・ピエールが行った恐怖政治(le regime de la Terreur)が語源だ』
『それで』
『私が言いたいのは……待て、まてブライト。その手は無しだ!』
『待ったは聞かない。君もさっき私の待てを聞かなかったことだろう』
『対象が違う』
私がクイーンを掲げると彼は大げさに肩を竦めて見せた。容赦なく自分は駒を指した。
表面上焦って見せているが、その実彼はまったく焦っていない。
『テロ……つまりテロリズムについてなんだが』
その証拠に、彼は脇に置いてあったミントジュレップに美味そうに口を付けてからもう一回そう言った。
『待ったは聞かない……で、テロリズムがなんだって?』
『うん、思ったのだが……チェスによく似ていると思うのだよ。今日艦長と対局していて本当にそう思った』
『何だって? 全く意味がわからない』
……何故自分は今。
こんなことを思い出しているのだろう。
この、今この場面で。
『人々が声を上げ、暴力の行使に至った時点でそれはテロだ……だが、マハトマ・ガンディーの非暴力不服従すらもテロだと位置付けられた瞬間に、その先にあった全ての抵抗運動は、カウンターテロリズムという国家的横暴の対象になった。どちらが真のテロだと思う』
『……』
『物の見方の問題だよ、艦長。「国」という名を持ったものが「テロ組織」を、圧倒的武力で制圧する報復措置が「カウンターテロリズム」だ。抵抗に対して暴力でし返している時点で、私に言わせれば暴挙だ。頭が悪い』
『……』
『私はね、艦長』
彼は殊更に笑顔で、だがはっきりとこう言った。
『虐げられた弱者という意味に於いては、ジオン公国ですら悪ではなかったと思うよ』
この場面に至って、自分はなんと答えたことだろう。
長い沈黙の後で、それでも辛うじてこう言った記憶がある。
『ジオン公国、が弱者? ……ファシズムの果てに民族主義を唱えたあの政権が? ザビ家の国が?』
『あぁ弱者だよ。まあ私の頭の中に於いては、というレベルなので艦長は放っておいてくれて構わない。ザビ家という小物が言い出したあの国は、連邦の抑圧さえ無ければ、もう少し頑張れたと思う……いや違う。そもそも連邦の抑圧が無ければ反乱など起こりえなかったのだよ。サイド3で。そう言う視点で考えてみれば、実に可愛らしい暴動だった』
自分が指したクイーンは、しかし次の手で彼のナイトにあっさりと指されてしまっていた。
『父が唱えた一つの主張に、連邦が過剰に反応し……言ってしまってよければカウンターテロリズムを発動した結果がアレだ』
『自分はそうは思わないが。事実、地球圏の人口は半減したのだぞ……何処が可愛らしいものか!』
しかし、彼はやはり笑顔だった。
『そこでひどくチェスに似ている、という問題だ』
クイーンの欠如に焦った自分はキングを移動させた。
隠れていた彼のビショップが見事に私のキングを指した。
当然のように負けた。その日の対局は彼の勝利に決まった。
『例えばこの駒……ビショップなのだけど』
『ビショップ。司祭だな』
『そうだ、これ。これがチェスの生まれたインドでは「象」と呼ばれる駒であることを艦長は知っているか?』
『象? そりゃまた途方もなくかけ離れているものだな』
『それだけではない。艦長は英語圏の人間だから知らなかっただろうが』
彼は、活躍した自分のビショップを満足そうに掌の上で転がしてみせた。
『ビショップというのはね。フランス語圏では……』
彼はまたそこでほころぶ様に笑った。
『……「道化」なのだよ。それでチェスとテロってのは似てるな、という話題に戻る』
何故思い出したのかはわからないのだがその瞬間、自分の脳裏には何年も前に彼と交わした会話が蘇っていた。
あの時、確かチェスボードを目の前にしていた。目の前に座って自分の相手をしていた彼は良き友であり、部下であり、なおかつ孤高の人だった。
―――孤高の人だった。
他に表現の仕様は無いだろう。
彼は常に(物理的な意味では無く)仮面を被り、自分を隠し続けていたのだから。
誰にも心を開かなかった彼。少なくとも、自分には真の意味で心を開かなかった彼。
その『孤高の人』に向かって、なりふり構わずブライトは叫んだ。
人によって、物事の見え方が違うことなど知っている。
知っているつもりだった。
テロは時としてテロであり、だがなのに体制が絡むとテロにすらなり得ない。
真実の歴史など有り得ないこともよくわかった。
戦争は常に勝者の歴史だ。
それでもブライトは叫んだ。
「貴様の孤独はわかった!! だが、アムロを連れて行くな……!」
彼が、彼にしか解らない何かと戦っていたことだけは事実である。
自分はそれをある程度理解していたつもりだったが、逆に言えばある程度しか理解出来なかったということだし、その程度には凡人だった。
彼の言動は、常にその底知れぬ奥行きの深さを感じさせるものだった。
それは全く聖者のように、識者のように……そしてまたニュータイプそのものに。
そして殉教者そのものに。
―――宇宙世紀0093、三月十二日。
世界は、ブライトの目の前の世界は、今、オーロラに満ちていた。
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2010.06.01.
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