ロンデニオン、というのは学園都市である。
もちろん、サイド1に属する連邦の軍港、宇宙軍の拠点基地という側面も持ってはいるが、地球圏に属する殆どの人民は『ロンデニオン』と聞いた瞬間に軍港の側面よりは学園都市の側面の方を思い出す。それほど、この街には大学が多かった。
大きな基地のすぐ脇に若い人材を教育するべき学校。矛盾しているようだが、この様な街は古今東西、昔から各地にある。同じような立地であることが問題化した場所としては、旧アジア地区のオキナワが有名だろう。そしてこの手の問題には、常に街の生い立ちが関係している。
ロンデニオンというのはアイランド3タイプである。
J・K・オニール博士が提唱したスペースコロニー案の中の「島3号」と呼ばれるもので、いわゆる開放型コロニー。そして宇宙移民華やかなりし頃に作られた地球圏のコロニーは大半がこのタイプで形成されいる。つまりは古いコロニーだということだ。
「こんばんは」
「……驚いたな、来た!」
どこかシャアに似た印象のバーテンダーにそんな一言で出迎えられ、アムロは店の入り口で一瞬戸惑った。夜も十一時を回る時刻だった。
「何?」
「お客様が来ましたよ。あなた目当てのね。開店直後に」
あぁそりゃ、コウのことだろう……と思いつつアムロはカウンター席に座る。
「そうなんだ、待ち合わせしていたんだけど急な事務仕事が入ってさ。まあ約束と言っても、どうしても会わなければいけないようなものでもなかったし」
むしろ会えないなら会えないで、きちんと約束を果たす方法を知っている友人なんだ、とはアムロは言わないでおいた。コウがこの店を訪れることは二度と無いだろう。
「あら、意外に冷たいですね。奥様のお供で大学の方に来ているって言ってましたよ」
「あいつのところは嫁さんの方が稼ぎが良くってな。学者としても有名で、だから客員の講師として招かれたんだろう………いつものを」
「はい」
適当な注文だったが、全て言い終える前に目の前にCCのロックが置かれた。
アムロはそこで初めて、カウンターの隅に小さな花束が置かれていることに気づいた。すると、その視線を追っていたらしいバーテンダーが、何故か溜息をつきながらこう言った。
「気づきましたか。黒髪のお客様からの置き土産です。あなた宛に」
「へぇ。コウにしちゃ気が利いてるな……」
「受け取るんですか!」
「受け取っちゃ不味いか。俺宛の土産なんだろう?」
「そりゃそうですけど……ずるい! 前に言ってた好みのタイプと全然違うじゃないですか」
「いや、今の相手も一応黒髪……」
「でも女でしょ。黒髪でさえあれば、男性からでも花束を受け取るんですか」
「あのなあ……」
何もかもを色恋沙汰に結びつけようとするこのバーテンダーの性格にむしろ感銘を覚えたのだが、それ以上言い返すのも面倒に思って小さな花束を引き寄せる。そしてそれをロックグラスの脇に置いた。白と青で彩られた実に清楚な花束だった。コウの性格が忍ばれる。それにこの色合いは自分も嫌いじゃない。
「元気だったか?」
「誰が」
「コウだよ。黒髪の男だ」
元気そうでしたよ、オールド・ロックの話と、あ、ロックって水割りの方じゃないですよ、音楽です、ストーンズやピストルズの話、それから奥様とお子さんの話で盛り上がりましたね……などと目の前のバーテンダーはつらつら話し続けているが、それを聞き流しつつアムロは花束を鼻先に持って来て香りを嗅いでみた。
コツン、とその鼻先に何か堅いものが当たる。
「……元気だったんなら、いい」
意図せず微笑んでいたらしい。急に黙ったな、と思ってバーテンダーを見ると、彼は納得のいかない顔をしていた。
「何だよ」
「そんなに嬉しいんですか、その花束が……だったら私もあなたに毎日毎日、上の花屋で買った花束を贈りましたよ!」
「そういう問題じゃない」
アムロは苦笑いしながらも、花束を大慌てで背中に隠すようなゼスチャーをして見せた。
ついでに、白い花の中に埋もれていた小さなチップを取り出すことも忘れなかった。
……コウじゃなくってな。
コウが届けてくれたこのチップが、俺に取っては有り得ないほど重要なものなんだよ。それはコウも分かってくれることだろう。
連邦を騙し、民間企業であるアナハイムを経由しての『友人を演出した会話』をするにも限界があった。
今回のこれは、ある意味最終手段だ。二人とも、そんな気配は微塵も感じさせずに下らないメールのやりとりを続けていたが。
「そんなに花束が欲しいってんなら、これを譲るぞ?」
アムロがそう言って、チップを取り出した後の花束をバーテンダーの前に突きつけると、さすがにバーテンダーが絶句した。
長身で、金髪の男だ。シャアに何処か似た。
「……え?」
「嫌いか? 花束。コウは大事な友人だ、それ以上でもそれ以下でもない。ただな、アイツは機体に恵まれていて、同時に恵まれてない奴で、」
「意味が分かりません」
「アイツにとっては禁忌なんだよ、『花』が。最初に乗った機体の『名前』がゼフィランサス、次がデンドロビウム。戦った相手はサイサリスとガーベラ……そして負けた、っていうフルコースだ。そんな過去を持つアイツが敢えて花束を俺に贈った。どれだけの意味を込めて贈ってくれたと思う。コウは大事な親友で、一緒に戦ったことは僅かしか無いが、貴重な戦友でもある。俺の予想だと、コウはきっと花束なんか大嫌いだな」
「……」
「それでも受け取れるって言うのなら、受け取れ」
「軍人さんの事情はよく分からないですが、無理ですよ、そこまで言われて受け取るのは」
バーテンダーが大げさに肩を竦めて見せた。が、アムロは目的を果たした以上、この花束を持って帰るつもりは無かった。
大事なチップは既にズボンの後ろポケットに隠してある。
バーテンダーはとても悲しそうに、しかし愛おしそうにアムロを見つめた。
長身で、金髪の男だ。シャアに何処か似た。
「戦争が始まるんですね」
「ああ」
「どうにもしようがないのですね、もう」
「あぁ」
「大尉はいつかまた、この店に来るかしら」
「……」
「あの、黒髪の方も……それからシャア・アズナブルも。もう一度」
確証の出来ない約束をすることなど、アムロには不可能だった。
「……どうだろうな」
「餞別はいりますか。あのね、本当にこのご時世だと、商売なんて出来て出来ないようなもので。こんな店を支えてくれる軍人さんには感謝この上ないんですよね」
バーテンダーはやや皮肉めいた言葉を言いながら、アムロ以外誰も居ない店内をしみじみと見渡し、それから深く溜息をついた。客は誰も居ない。ここまですわ開戦、という気風が身近に感じられる様になってしまっては、誰もが飲み屋に来る気になどならないのだろう。
だから店にはスティーブン・タイラーのダミ声だけが流れている。今日も。
「餞別、前にも渡したことがありましたよね」
「酒だろ?」
アムロが花束を引っ込めカウンターに置くと、面白そうに彼は笑った。
「そうです、酒です。……カナディアン・クラブ。英国王室御用達の。だけど大して高価でもない。自分で言うのもなんですが、中途半端な酒でした。0091年の九月でしたね、あれは」
良く覚えている。演習の最中に諜報四課の訪問を受け、急遽地球に行くことになった。やや投げやりな気持ちで最後に、と思ってこの店を訪れた。
―――今日は宇宙世紀0092、十一月三十日。
まだ一年と少ししか経っていないのか、とも思うし、もう一年以上経ったのか、とも思える。あまりに沢山のことがこの一年ほどの間に起こった。
「大尉はいつかまた……この店に来るかしら」
もう一度、バーテンダーがそう呟いて笑った。
「どうだろうな」
アムロはもう一度そう返事をして、バーテンダーが差し出した真新しい酒瓶を掴むと、会計をして地上に出た。
―――その店は花屋の地下にある。
ロンデニオン、というのは学園都市である。
もちろん、サイド1に属する連邦の軍港、宇宙軍の拠点基地という側面も持ってはいるが、地球圏に属する殆どの人民は『ロンデニオン』と聞いた瞬間に軍港の側面よりは学園都市の側面の方を思い出す。それほど、この街には大学が多かった。
大きな基地のすぐ脇に若い人材を教育するべき学校。矛盾しているようだが、この様な街は古今東西、昔から各地にある。同じような立地であることが問題化した場所としては、旧アジア地区のオキナワが有名だろう。そしてこの手の問題には、常に街の生い立ちが関係している。
先に基地があったのだ。
コロニー開拓時代に連邦の最前基地として宇宙軍が居留したロンデニオンもそうだし、第二次世界大戦の直後に、地球上での勢力争いの抑止力的拠点として重要視されたオキナワもそうだった。それ以上に軍事的利便に叶う場所が他に無かった。
地図を見れば一発でわかる。オキナワでないと駄目だった理由が。カゴシマやオオサカでは絶対に駄目だった理由が。
当時不穏だったノースコリアに、また政治的情勢の流動的だったアジア全域に飛ぶにも、オキナワは本当に便利な場所だった。
だからこそ、米軍が駐留した。手放せなかった。理由と意味があって『軍』はそこに存在していた。
実は学校が出来たのは後から、だったのだ。先に基地があり、後からその周囲に学校が出来た。作ったのは勿論オキナワの人々だ。だから『学校の近くに基地があると危険なので基地の方を移動させて欲しい』と問題を提議した、後々の彼らの主張は少し矛盾している。危険だったのは事実だ。大学の構内に軍用ヘリコプターが墜落する事故などが頻繁に起こった。しかし、基地が無いと生み出せない雇用も明らかにあったのだ。そう主張していた人々も僅かではあるが確かにいたのだ。しかし偏ったメディアは、あまり公平な報道はしなかった。時代の流れ、安保条約見直しの必要性。その真の意味について、問題を抱えた国も国民も共に当時熟考しなかった。
目先の不景気と目の前の選挙と、それから政治家の軽口に惑わされて熟考しなかった。このあたりも古今東西、昔から変わりない。そうしてリベラルな視点で物事を考える機会は失われた。
ロンデニオンの場合はその逆だ。コロニー開拓時代に身を守る方法として、一番確実であったのが軍に頼ることだった。だから人々は基地の側に住みたがった。それ以上に安心出来る場所は当時無かったのだ、宇宙開拓民として。
……だが時代が変わると人々は戦争の恐怖など忘れる。何故その場所に軍が存在しなければならなかったのか、そういった意味すらも忘れる。分からなくなる。そして開拓時代に軍港として有名だったコロニーは、百年近くの時を経て古くて明媚な学園都市として有名になった。
戦争の意味なんて、本当にすぐ分からなくなる。何時の時代も。
抑止力的軍備として、他国によって作られた基地を抱え続けなければならなかったオキナワは、その気持ちも殊更だったことだろう。彼らは確かに虐げられたのだ、それは事実だ。
平和な、戦争の無い時代に暮らしているのに、何故自分達が。自分達だけが。こんな不公平を。
―――誰の味方をしたいわけでもない。どれが正義だと問いたいわけでもない。
人の価値観など、物の見え方など一瞬でうつろう。つまりはそういうことだ。そのくらいはアムロにも分かっている。
ただ、今、宇宙は間違いなく戦争に向かおうとしている。
だとしたら『軍人』である自分がしなければならないことも、軍港を抱えているこの街が直面している問題も明確だ。
戦争の意味なんて、本当にすぐに分からなくなる。何時の時代も。
―――誰の味方をしたいわけでもない。どれが正義だと問いたいわけでもない。
それでも、目の前にシャアを感じていることだけは確かだ……そしてシャアが戦争を起こそうとしていることも。
それじゃあ、今、自分に出来ることは?
アムロは左手に酒瓶を持って、店の外に出た。
この店から持って出る、二本目のCC(カナディアンクラブ)のボトルだ。
良い夜だ。
……さあ、俺はこの酒瓶を抱えて、どこに行こう?
日付が変わった。
時に、宇宙世紀0092、十二月一日。
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2010.06.25.
(自身がなにか沖縄に関する思想を抱えているとか、現政権に対する不満が有るとかではけっしてないです。ただ、比嘉って名字の友人が私にはいて、彼から聞いた言葉をそれじゃ皆さんはどう思うんだろう、と投げかけてみたような感じです。あくまでも過去の事象として作中で語ったつもりですが、気分を害された方がいたら申し訳有りません。そういうのはこんなちいさなサイトでどうこうというのではなく、選挙にでも行って自己主張するべき問題なのだろうと理解はしています。あとCCAの根幹にもきっとこの文章は関係ないですまったく/笑)
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