指定された二時間の間を主寝室で『シャア』と向き合って過ごしたアムロは、足早に部屋を出た。……入口でM-71A1を返して貰い、部屋の中をもう一度振り返る。ちょうど正午くらいだ。……午前中より日射しが差し込む為か、部屋は幾分明るく見えた。そうして窓辺には、入った時とほとんど変わらない様子で外を見つめて座っている男の後ろ姿が見える。……アムロは部屋を出るとまっすぐに地下室へと向かった。



「……昨日言った『心象』だが、」
 中に入って第一声、そう言った。今度は入口で足留めされなかった。
「……大尉は午後一時半まで休憩。二時から午後のミーティングを行って、三時からまたシャアと『会話』をしてもらうことになる。」
 ウスダがひどく冷静にこの先のスケジュールを告げた。……何故この男はいつも人を見下した風なんだ、
「……昨日言ったシャアの『心象』だが!」
 アムロはもう一回くり返した。地下の本部にはウスダとカムリの他にもまだ数人の人物がおり、何ごとだという風に彼らは一斉にアムロの方を向いた。
「……黒からグレー、に、変わったくらいに言いたいのだろう。」
「その通りだ。……薬について俺に説明が無かったのは何故だ。」
「説明しなかったのでは無い。……シャトルの中で渡した資料に書いてあった。」
「…………」
「三ページ目だ。」
 カムリがどこからかコーヒーを持って来てくれた。アムロはそれを受け取り、壁によりかかると一気に飲んだ。……カムリがとくに気持ちの良い人間というわけではないのだが、ウスダの気持ちの悪さにくらべるとずいぶん親しみやすいような気がして来る。
「……読んでいないようなので説明しよう。……あれらの薬は、この屋敷に来てすぐに『シャア』本人が希望したものだ。五種類の薬を彼は常用していると言い、実際に拘束された時着ていたジャケットのポケットにも同じものが入っていた。鬱と不眠の薬であるのも確かだ。これは健康診断をした医者に確認してもらった。」
「それらは通常……パイロットが飲むような薬では無い。……こう言ってよければ、一番敬遠される種類の薬だ。どれも精神安定剤の部類だろう。……集中力が低下する。」
 アムロはカップをカムリに返しながら続けた。
「……確かに俺は資料をちゃんと読まなかった。……しかしドラッグ漬けのジャンキーかどうかくらい、先に教えておいてくれても良かったはずだ!」
「……昨日は彼が『シャアそのもの』に見えて、」
 ウスダは禿上がった額に大きな皺を寄せながら答えた。
「今日は彼が『シャアを敬愛するあまり整形手術を受けシャアの真似をしている狂信論者』に見えた、とでも君は言うのか? ……私は聞いた、第一印象は、と。だからパッと見て彼をシャアと思ったのならその意見を尊重したいと思っている。」
「……あんたの思う『首実検』とはその程度の物なのか!」
 アムロは思わず本部の壁を殴りつけた。……他のメンバーは多少呆れたような顔をしてアムロとウスダを眺め続けていた。
「……声はどうなる。」
「え?」
 ウスダが言ったことの意味が分らず、アムロは聞き直した。
「声だ。……精神安定剤を慢性的に飲む不眠症の男は確かに、『シャア・アズナブル』としてはあまりに病的だ。……しかし我々はDNA鑑定の結果を待つ間に、他の考え得る可能性は全て試した。」
 実際にウスダが手を振ると、奥に座っていた一人の男が分厚い資料を取り出した。
「身体的特徴と声紋の照合。……DNAのデータとは違って、声はもう少し数多い資料が連邦にも残っていた。クワトロ・バージナという連邦の軍人としての幾つもの通信、それからダカールの演説。指紋、角膜、DNAほどの正確さは無いにしても、声紋の整合性もある程度確証に成りうるはずだ。……今回拘束した『シャア』は、ダカールの演説と全く変わらない声紋で話した。」
「…………」
「整形美容の技術は確かに進んでいる。だからシャアと同じ顔になることも、それほど難しい事では無いのかもしれない。……しかし大尉。声紋はそんなに容易く他人と交換出来るものではない。君は昨日ここに着いた。そして彼と、言葉を交わした。……そのとき彼は、なんと言った? ……そして君は、彼をどう思った。」
 アムロは昨日の会話を思い出しながらこう呟いた。
「『……君が来るとはな。』『……ブライトが忙しくてね。』」
 ……そうして。
 そうして確かに、俺はシャアの声だと思ったのだ。



 見取り図を一枚貰って、地下にある本部を出た。……埒があかない。しかし、これから一時間半は、俺は自由だ。……あの陰鬱とした諜報四課の連中の顔を見る事もなく。
 見取り図は、この屋敷の物だった。復古ゴシック……というのは建築様式で言うとビクトリアン調ということである。アムロは玄関先に出ると、気を取り直すように頭を振って見取り図を広げた。
 一階にはセオリー通りに、玄関ホール、居間、朝食室、夕食室、撞球室、庭に面したガラス張りのテラス、それから喫煙室の有ることが分かった。細かい部屋がまだ幾つか有るのだが(例えばアムロの個室として与えられた部屋は本来はダイニングから通じる『ワイン室』だった、)あとは『シャア』のいる主寝室である。地下には台所と倉庫があって、二階には客間が四部屋と、図書室があった。屋根裏にはメイド用の小部屋と、衣装用の納戸がある。……おや。
 そこで初めてアムロは気づいた。
 この屋敷は『主寝室』と『図書室』の場所の配置がおかしい。……通常の『ビクトリア調』はこの逆なのだ。建物の一階に主人の寝室の設けられることはあまりない。……そうだな。……そうだ。これは少しおかしい。
 そう思いつつも、ポケットに見取り図をねじ込んで、玄関先のポーチから急いで屋敷の裏手へと回った。……自分の計算通りだったら、この場所に地下の本部から通じるアンテナが伸びているはずなのである。充分周囲を確認し、軽機関銃を抱えた保安要員がまわりにいないことを確かめてから草薮に飛込んだ。
 ……あった。かなり大出力のアンテナだ。アムロは慎重に自分の端末を広げた。












2006.07.09.




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