目の前の画面に0と1の数字が広がってゆく。『アクセスキー』というのは『糸電話』に似ている。糸がピン、と貼った瞬間だけ、特定の相手にだけ開かれる通信回路。
「……」
 それが『アクセスキー』だ。……アムロは片方の耳にイヤホンを突っ込み、もう一回薮の中から外を眺め回した。人の来る気配は無い。確認してから、アンテナの裏のジャックに最後のコードを差し込んだ。ガガガガッ、というノイズが耳に飛込んで来る。
 今、『アクセスキー』が軍の回線に有線でハッキングをしかけているのだ。



「……常用している薬については分かった。」
 椅子から身を乗り出したアムロは、もう少しきちんと『シャア』の話を聞こうと思い……それから、ダメだ、と思った。……先ほどの面談の時の話である。
「その薬だが……例えば、それ以外の薬は、諜報の連中に貰ったりはしなかった?」
 シャアはしばらくの間窓の外に広がる庭を見つめていたがやがてこう答えた。
「分かった、『自白剤』などは使われたのか、という質問か。」
「……そうだ。」
「ここに来てから幾日になるのか実を言うと数えていない。……が、かなり最初の方に細かい健康診断が行われ、幾つかの書類にサインをし、自白剤も、催眠誘導も、それから……あれはなんと言っただろうか『ウソ発見機』? 『ウソ発見機』というのも使用された記憶がある。」
 ダメだ、と思ったのはこういった理由からである。話の運び方が、圧倒的に上手いのである。……相手の方が。実に魅力的な、しかもシャアの望む方向に話が向けられてしまい、質問をしているはずの自分がいつの間にやら質問される側になっている。……それではダメだ、と思った。彼がジャンキーかどうかはともかくとして、それ以前におそらくは自分の力量の問題である。
「……ま、何が本当で何が嘘だろうとそんなことは俺はどうでも良いんだが、」
 もう一つ裏を掻いて、興味を向けさせないと。……実際、アムロが丸投げな発言をすると彼は興味が出たようでこちらを向いた。
「……シャア。」
 ゆっくりと名前を呼んでみた。
「なんだ。」
 彼ははっきりと答えた。
「なんだって、あなたほどの人間が、わざわざ、捕まったりした?」
 ……このくらい言わないとこの人物とは会話にならないのだろう。アムロはわざと、ゆっくりと噛み砕くようにそう言った。すると、彼が面白そうに目を細めた。
「……それが傑作なことに……記憶が無いんだ。」
「……なんだって?」
 これはアムロにも意味が分らなかった。
「だから。……コロニー・リコッテの空港で、なんと言っただろうか……」
「諜報四課。」
「……そう。その諜報四課の諸君に身柄を拘束されるまでの……」
「までの?」
 ……重要な事柄であるような気がした。
「直前三日間の記憶が、まるで無い。……それ以外はすべて覚えているのに。」



 ピー! と耳を裂くようにアラートが発せられて、アムロは現実に引き戻された。……端末の画面を確認する。無数に連なる0と1が、一瞬にして色を変え左上から崩れ始める。……軍の防壁を突破した。しかし、『糸電話』の糸を貼っていられるのはわずかな時間だろう。
「……もしもし。」
 アムロは誰かも分らない相手に向かって口元のマイクで呼び掛けた。『アクセスキー』はどんなにミノフスキー粒子が濃くとも強引に『利用出来るアンテナ』を利用し、『特定の相手』との通信回路を切り開くが、糸は細い。通信出来る時間がひどく限られている。
「……もしもし。」
 崩れてゆくグリーンの0と1の羅列を眺めながらアムロは思った……このスピードだと、持って五十秒、というところか。さすがに軍の防壁だ。その間に通信相手が回線をオープンにしていないとこのアクセスは無駄になる。……早い。
「……中途半端な手がかりを渡しやがって……!」
 アムロはエンターキーを何度か叩き、ブライトに対する文句を言った。……この『アクセスキー』をアムロに手渡したのはブライトである。他に手がかりもないので使ってみるしか無かったが、誰に繋がるキーなのかも知らないままなのである。
「もう持たないな、」
 プログラム自体が古い。……五、六年前に作られたものに見えた。相手は誰だ……と思った瞬間にノイズ混じりの声が聞こえる。
『……しも…し。……もしもし? 誰かアクセスしてんのか。』
「……なんだ、」
 アムロは思わずそう呟かずにはいられなかった。
「なんだ……カイさん?」



「……記憶が無い?」
 そんな事実については一言も諜報四課の連中から聞いていなかった、とアムロは思う。
「その通りだ。……記憶が無い、拘束されるまでの三日間に関してだけ。」
「……他の記憶は確実にあるのか。」
「あるだろうな。」
 曖昧な返事だった。……その態度が、またアムロを不快な思いにさせた。薬を飲んでいると知った時とはまた別の不愉快さである。
「念のために確認させて欲しいんだが。」
「なんなりとどうぞ。」
「……あなたは本物のシャア・アズナブルか?」
 ……昨日最初に、問いかけた質問をもう一回してみた。彼はひどく面白そうに笑った。……口元がまた綺麗な弓形になる。
「ああ。」
 深く、少し唸るような返事だった。
「……君が、本物の、アムロ・レイであるのと同意義くらいには。」
 ……返事が昨日と違うじゃ無いか。アムロは思った。……ここに面白い『問い』が有る。唐突にそのことに気づいた。この男が『シャア・アズナブル』なのかという以前に、曖昧に、だがこの世にずっと存在し続けてきた問いだ。……誰もが考え続け、しかしまだ結論の出ない問い。……この男は、おそらくそのことを言いたいのだ。アムロはもう一回思った。……一人の男がいる。そして、幾つもの名前を使い分け、時代と場所を変えてその男はずっと存在している。……この男はシャア・アズナブルなのか。
 いや、それ以前の問題があるのだ。



 ……『シャア・アズナブル』とは一体『なんなのか』?












2006.07.10.




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