「シャア・アズナブル、シャア・アズナブル、シャア・アズナブル。……君も三回くらい繰り返し言ってみるといい、馬鹿げた気分になって来るだろうから。」
「……落ち着け。」
「落ち着いている。」
『シャア』は相変わらず窓辺に立っていた。連邦軍がシャア・アズナブルの疑い有りとして拘束した男である。
「元々は死んだ従兄弟の名前だった。それをたまたま借りただけだ。」
「そうか。」
「軍に入るにはそれなりの身元が必要だった。それも、信憑性のある偽の身元が、だ。顔かたちも最初から良く似ていた。」
「なるほどな。」
「君は……」
急にシャアはアムロに近寄って身を屈めてきた。……病気なのか狂っているのか不世出なのか分らない『孤高のカリスマ』の顔である。少なくとも世間にはそう思われている男の顔である。彼は切ないくらい真摯な瞳でアムロを見つめていた。
「君は、投げ遺りな気分になったことは?」
「あるよ。」
アムロは答えた。……見えているのだろうか。一体どう見えているのだろうか。この男の淡い色の瞳に、今自分の姿は。
「投げ遺りな気分になったことも、死ぬほど辛く思ったことも、もう生きていてもどうしようも無いんじゃ無いかと思ったこともある。」
「……いつ。」
彼が聞いてきた。……アムロはこの男がシャア・アズナブル本人だと、そう確信を持って居た。二週間も辛抱強く会話を続けて来たのだ。それも、宗教論や政治論を。戦場で擦れ違っただけでは出来ない部類の会話だった。今なら、この男には本心を話して良いと思った。深くため息をついた後こう言った。
「……ララァを殺した時に。」
二人の間に、また何かの砕け散る音が響いた。
驚いたことに『シャア』は明らかに傷付いた顔をしてそこにいた。アムロは続きを話して良いものか思い悩んだ。しかし、言葉を選んで続けた。
「……何かが響く。」
「……」
「それほど便利なものでは無い。瞬時に全てが分るとか、遠くに居ても通じるであるとか。そんなに便利なものではない。俺は極平凡な人間だ。自分ではそう思っている。」
「……それで?」
シャアは綺麗な、そして傷付いた瞳でアムロを見つめ続けている。
「だけど、響く。あなたと話をしていると何かが響く。……心の奥に。……シャア。」
その名を呼んだ。
「なんだ。」
彼はさも当然と言わんばかりに答えた。あれほど、この形骸のような名が嫌いだと、さっき言ったばかりなのに。アムロはその様に少し笑った。
「……辛いな。」
「……そうだな。」
シャアはそう答えて左手を胸に掲げた。……アムロは立ち上がった。そして、掌を合わせるくらいでは思いとどまれずに彼を抱き締めた。
………辛い。
『シャア・アズナブル』という形骸を引き摺って生きてゆくことは、
生身の人間には途方もなく辛い人生だ。……それを知った。
『ティターンズのヤツらは……ウスダにモビルスーツに乗れと言ったのさ。ウスダだぜ? 言っておくがウスダだ。ずっと連邦政府でスーツを着ていた男だ。そんな男をティターンズは何と「ニュータイプの可能性有り」と判断した。そしてムラサメ研に推薦したのさ。確かにヤツは優秀だった。大統領調査室の人間の中では異様にな。……しかし、それがニュータイプと関係有るなんて、ティターンズはともかく俺だったら思わないね。一年戦争のアムロやシャア・アズナブルを唸るほど見て来たからだ。……『ムラサメ研』というのは東アジア、旧日本地区にあったニュータイプ研究所だ。……ともかくウスダはその話を受けた。「優秀」と言われることに弱い人間はこの世には多い。』
「今作戦の目的は地球、チベットに降下しアムロ・レイ大尉を救出することだ。……ただし、アムロ・レイ大尉が現在居る建物には、保安要員……つまり要人警護のプロフェッショナルが多数居る。……画像を。」
ケーラがチベットの屋敷の画像をブリーフイングルームの画面に映した。空撮の屋敷の画像である。画像を拡大すると、黒い点のように庭に保安要員が配置されている様子が見てとれた。
「専門の訓練を受けたシークレットサービス達だろう。」
宇宙時間九月二十五日午後一時。ブライトが出向いて来たモビルスーツデッキ脇の小部屋は緊迫感に満ちていた。そこには五人のパイロットとケーラ、ブライト、それから戸口にカイが居た。極非理の任務なので大っぴらに会議室を使うわけにも行かない。
「諸君らはモビルスーツ三機でこの屋敷周辺に降下。モビルスーツでの降下にこだわる理由は、所用時間が最短で、更に直前まで四課に気づかれずに済むからだ。二機はジェガン、もう一機はリガズィを使用。」
「リガズィを出すんですか!?」
ケーラが驚いた声を上げた。
「……使いこなせる人間がいなければZなど持っていても意味が無い。……出せ。」
「……アイサー。」
「降下後、この屋敷を目指し侵攻。ジェガンはバリュート切り離し後は歩いて向かえ。リガズィは可変だ。戦闘機形態になって先行しろ。」
「アイサー。」
「更に屋敷内を制圧するにはモビルスーツを放棄、彼らと肉弾戦を繰り広げなければならない。……特殊部隊(レンジャー)、もしくは特殊部隊演習経験者を募ったのはそう言った理由からだ。装備はH2で行け。……待て、五人か。三で割れないな。」
「……俺が行くぜ。現場にいるボギーと合流出来た方がやり易いだろう。」
戸口で腕を組んで話を聞いていたカイがそう言った。ブライトは振り返った。
「モビルスーツで降下するんだぞ?」
「まあね。……死にやしないだろう。帰りのシャトル代が浮いて有り難い。」
「……よし。では、カイを含めた六人が三機に乗れ。機体の整備、降下ポイントへの艦の移動にまだ半日ほどかかる。」
「アイサー。」
……よし。ブライトは自分の時計を見遣った。
「……皆、アムロを取り戻したいだろう。」
「はい、大佐!」
志願兵の一人がハッキリとそう答えた。……アムロ。お前は愛されているぞ、早く戻って来い。……ブライトは思った。
「では、死力を尽くせ。……以上!」
「アイサー!」
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2006.08.09.
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