温室の中は、むせかえるような薔薇の香りで満ちて居た。
「……すごいな。」
「ああ。」
 この屋敷にはコックと女中と……それから庭師もいるに違い無い。アムロはそう思いながら温室の中央の小道を抜けていった。幾種類もの薔薇が咲いている。そして本当に全て薔薇だった。オールドローズのように花弁の少ないものから、品種改良されたプリンセス・ダイアナのような豪奢なものまで。硝子を抜けて内部に差し込む光は柔らかく、空気は少し湿っている。
「……薔薇の花言葉は幾つもあるんだ。」
 急にシャアがそう言ったのでアムロは顔を上げた。
「例えば。」
「色で違う。……白い薔薇の花言葉は『純潔』だが、赤い薔薇の花言葉は『情熱的な愛』だ。」
「……へぇ。」
 女みたいなことを言うんだな、とアムロは思ったが花言葉を話す彼の表情は穏やかだった。温室の一番奥に小さなベンチがあり、二人はそこに座ることにする。……手錠で互いの手を繋ぎ合ったまま。カムリは少し離れた場所に居心地悪そうに立っている。きっとむさ苦しい光景に見えるのだろうな、と思った。大の男が二人、薔薇園の中で手を繋いで過ごしているのだ。
「……明日の朝には、最後のDNA鑑定の結果が出る。」
「ああ。……それで?」
 シャアは興味が無さそうだった。
「結論が『本物』だろうと『偽物』だろうと、あなたはこの屋敷から移送されることになるだろう。」
「ああ。」
「……自分の事なのに、どうでも良いのか?」
「ああ。……私に出来ることなど何もない。しかし、君にはそれが不満らしいな、アムロ。」
 アムロはシャアの顔を見た。……人形のように整った綺麗な顔だ。しかし、それが体温のある人間の顔なのだとアムロはもう知っていた。……握りしめる手に力が入った。
「死ぬことになるんだぞ。……殺されることになるんだ!」
「ああ。……君は意外に情熱的な性格だったのだな。駅で恋人を見送る時に長いキスをするタイプだろう。」
「ふざけるんじゃない。」
「ふざけてなどいない。……生きて、さほどやりたいこともないのだよ。だが……ああ。今気づいた。」
「何に。」
「死ぬとなったら……」
 シャアがアムロの方を見た。その顔は微笑んでいた。



「……私の方が先にララァに会うことになるな。……何か伝言は?」



 その台詞を聞いた瞬間に、アムロはこいつを死なせてはダメだ、と思った。



「……結論から言おう。今回のヤマは相当ヤバい。」
 主作戦室の壇上に立ったカイはいきなりそう言った。……カイに面識の無いロンド・ベル隊の殆どの士官は面喰らった。
「あぁ……紹介が遅れたが、彼はカイ・シデン。私の古い知り合いで、今回のアムロの件で協力を頼んでいる。本職はジャーナリストだが……まあ、武闘派だ。」
「何ですかその紹介……」
 ブライトの説明にケーラは少し頭を抱えたが、カイの話は続いた。
「俺の素性はともかくだ。アムロが二週間前から隊を離れていることは、ここにいる全員が知っていると思う。理由は地上軍の諜報四課から極非理の申請があった為。内容は四課の拘束した人物が『シャア・アズナブル』かの真偽をどうか確かめる為、だ。」
 これには少し室内がざわめいた。……アムロが隊を離れていることは知っていたが、細かい理由までは知らない者が多かったのである。
「行き先は地球、チベット。ここに政府高官の所有する大きな屋敷があり、地理的に最適なので軟禁に利用されている。……俺も行ってみたが、凄まじい田舎だ。」
 カイはモニターに画像を映した。空撮の屋敷の外観である。
「場所はラサの東北東二百キロ。まわりは山ばかりで本当に何もない。……これは後で重要になってくるからお前らちゃんと聞いとけよ。」
「おい、彼らは軍人だ。」
 ブライトがカイをたしなめたが謝る気は無いらしい。彼は説明を続けた。
「何がヤバいのかって言うとな。……これが、アムロにデータを送っちまってからやっと調べがついたんだが……」
「大尉に送ったデータというのは、この間みんなで詰めたあの荷物の事だよ。」
 ケーラが説明を付け加えた。皆は頷いた。数日前の事だ。
「……『諜報四課』がヤバい。」
「何だと?」
 これにはブライトも身を乗り出した。
「……彼らは正式な書類を持って此処に来た。……だからアムロを行かせたんだぞ? それがどういうことだ。」
「その通りだ。地球連邦地上軍第三特務部隊所属諜報部第四課というのは実在するし、彼らがその本人だ。……だがな、考えてもみろ。そもそも連邦という『一つの国家』に、そんなに諜報は必要か? 軍の調査局は組織改編で名称が何度か変遷しては来たが、伝統的に三つしか無かった。内事と外事とその他、だ。他にも大統領調査室があるし、警察の公安部だってある。そもそも、『四課』が二年前に突然作られたことがナンセンスなんだ。」
「……専門がいろいろあるのだろう。」
「その通りだ。……89年、ネオ・ジオン抗争後に急に作られたこの隊は、『ニュータイプ専門』ということになっている。」
「……それの何処がまずい。グリプス戦役も、ネオ・ジオン抗争もニュータイプの活躍の目立った戦いだった。連邦軍内にニュータイプ専門の諜報機関が出来たとしてもそう不自然では無いだろう。」
「そうか?」
 カイがブライトの言葉に、舌打ちをしながらモニターの画像を切り替える。……画面には、幾人かの人物の顔写真と、それから略歴が映った。
「……これが、この二年の間に『四課』が拘束した人物達だ。ニュータイプの研究者、ニュータイプでは無いかと思われる人物、ニュータイプを掲げた活動家など経歴は様々だ。総計、八人。」
「……それがどうした。」
 ブライトが聞いた。……ケーラはまばたきも出来ずに画面を見つめていた。
「全員四課に捕まった。……そして一人も生きて帰って来なかった。……四課が殺したんだ。」
 主作戦室は静まり返った。











2006.08.01.




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