「……今朝の事なんだが。」
「ああ?」
 アムロは午後のシャアとの面会で、出来るだけ静かにそう切り出した。
「宇宙から『クワトロ・バジーナの遺言状』が届いた。……その毛髪と一緒に。新たなDNA鑑定の材料が手に入ったということだ。あなたが遺言にまで……偽装工作をしていなければ。」
「……」
 午後の日射しが静かに主寝室に差し込んでいた。



 シャアは珍しく窓際に立っていた。外を見ている。アムロはいつもの椅子に座っていたので、そんな彼の背中が見えていた。手には今日持って来た『神の国の実現』という本が乗っている。ぱらぱらと、手持ち無沙汰にそれをめくる。
「……外は寒いか?」
「まあね。九月も末だし、ここは標高が高いから。」
「君は良く、庭を歩き回っているな。」
「……見てたのか。」
 そう言われて、アムロも立ち上がった。本は脇に置いた。この部屋からだと一体前庭がどのように見えるのか、それを自分も知りたくなったのだ。
「眺めは良いな。」
「私はもう飽きた。……ほら、芝が緑だことだろう。だから君が歩き回っていると、その赤毛が良く目立つ。」
「そんなに赤いか。」
 アムロはシャアの隣に立って、自分の髪を少し引っ張った。クセがあり、引っ張ってもすぐに巻いてしまう。
「あなただって緑の中を歩き回ったら目立つことだろう。……黄色いのだから。」
「……そうか。それは考えたことが無かったな。」
「……外に出たいのか。」
 アムロは何の気無しに聞いてみた。シャアの方が身長が高いので、並んで立つと少し見上げるような格好になる。
「無駄なことは考えない性分だ。」
「嘘だな。……あなた、自分では気づいてないかもしれないけど、無駄なことばかり考えているよ。」
 そういうと、シャアが面白そうにアムロを見た。……顔が笑っているわけではないが、目が少し微笑んでいた。アムロもシャアを見た。
「……ほう。どの辺りが無駄だ。」
「神と宗教と思想、政治と反体制、それから武力闘争に関して……俺に説明しているあたりが無駄だ。」
「確かに無駄だ。……君はとっくに理解しているし、私の話を聞いたところで揺らがない。」
 だが、まあ、とシャアは身を返して続けた。
「我々の会話を聞きたいという、諜報の彼らにしてみると無駄な話ではないのかもしれない。」
「彼らが知りたいのはあなたが本物か否かだ。だから思想の話をしても、あまり嬉しくは無いだろうよ。」
 アムロはそこで一歩、シャアに近付いてみた。シャアは微動だにせず前を見つめ続けている。その視線の先にはテーブルがあり、『神の国の実現』という皮張りの本が乗っていた。
「……その話に結論は出ない。……神とは何なのか、という問いに永遠に答えが出ないのと同じように。」
「御大層なものと比べたな。」
「それ以上私に近付くな。」
 シャアがそう言った。アムロがもう一歩近付いたからだ。
「何故。」
「『我に触れるな』……そう言った筈だ。」
「だがあなたは何かもの足りないような顔をしてそこにいる。」
「……」
 シャアは少し考え込んだようだった。広い主寝室の窓辺に寄り添って立つ二人は確かに距離が近すぎた。この間、ベッドの上で触れそうになった時と同じくらいに。
「……ごう慢だな、君は。」
「あなたがそれを言うか。」
 アムロはどうしようかと考えていた。すぐ脇にシャアを感じる。……触れるべきか、触れざるべきか。それが問題だ。
「頼みがある。」
「頼み?」
「……触ってもいいか。」
 シャアが今度は声をあげて笑って、それからゆっくりと左手を上げた。
「頼みか。……頼みとなれば、聞かないこともない。」
 彼が胸の辺りまで上げた左手に、アムロは自分の右手を静かに寄せた。……指先に感じた暖かさにアムロは驚いた。目の前の彼はまっすぐに自分を見下ろしている。アムロも見つめ返した。綺麗な、人形のように綺麗な顔だ。その瞳は硝子玉のような青で、髪は絹で出来ているかのような金だ。……だのに温度があった。体温があったのだ、それに驚いた。ややあって、それこそが『ごう慢』なのだと気づいた。彼は生きている人間だ。『シャア』であろうが無かろうが、生きている人間に体温があるのは当然だ。なのに今まで彼を『美しい形骸』かなにかのように感じていた自分を愚かに思った。
 二人はしっかりと手を結び合った。……今度は痺れ、どころでは無かった。

 これは痛み、だ。

「……」
 長く二人はそうしていた。……何を話すわけでもなく。窓辺でずっと手を繋いで立っていた。いいや、この指先の痛みは、きっと誰にも説明など出来ない。四課の人々にも。
「……そうだな。」
 よほど経ってから、シャアが低くこう呟いた。
「……君と腕を組んで庭を歩けるのならば、外に出るのも悪く無い。」
 


 面談の後すぐに射撃室に向かい、M-71A1のカートリッジを二つほど空にした。
「……良い腕だな。パイロットからレンジャーに転向か?」
「……」
 耳あてを外したところを急に話しかけられ、入口を振り返る。……いつから居たのだろう。本部から繋がる扉の脇に、ボギーが立っていた。
「だが、ま、しかし……あんたくらい腕がいいと、射撃練習も弾の無駄遣いのような気がするな。」
「……火薬類があるからこの部屋は禁煙だ。本部もな。……何か用か。」
 はいはい、と呟きながらくわえていた煙草を吐き出し、ボギーは近くに寄って来て囁いた。
「庭に行こうぜ。」
 アムロは黙って頷くと、M-71A1をベルトに差し、空薬莢を隅に蹴りつけて部屋を出る。



 ……自分でも、何に苛ついているのかが良く分らなかった。











2006.07.28.




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