アムロは部屋に戻ってくると、午後のミーティングの前に一回着替えることを思い付いた。この屋敷に来てからこの方、ずっと同じ青いジャケットスーツを着ていた。休暇届を出してここに来ていたから、軍服である必要は無かったが、シャアはそんなことにも『飽きて』いたかもしれない。そこで、アムロは上に白いシャツと、下はジーンズに履き替えることにした。
食事を一緒に取る許可が四課から出ていた。……そこに、アムロは『チェス盤』を持ち込む許可を追加させた。面会の時間は延びることになるが、大した問題では無い。
「大尉。」
「……やあ、カムリ。シュミレーションは進んでるか?」
自室を出たところでカムリに会った。彼は首を竦めてこう答えた。
「パイロットを志望しなくて正解だったと思っている。三面の最終ステージがどうしてもクリア出来ない。」
「相手はゲルググだぞ。……一年戦争時代の機動兵器に勝てなくてどうする。」
「ジーンズか。珍しいな。」
「ああ、気分転換だ。」
それだけ話して、アムロはシャアの部屋に向かった。……待てよ、食事が毎回用意され、ランドリーに出した服が綺麗に仕上がって返ってくるところを見ると、この屋敷には四課員の他に最低でもコックとメイドが居るな。……そんなことを考えながらアムロはシャアの部屋のドアを開いた。
「テロ対策会議の議録を読んだが、宇宙でもあなたの不在が影響を及ぼし始めている。」
「……私が本物だったら、の話だがな。」
主寝室に用意された昼食は、アムロが普段食べているものとそう変わりは無かった。
「テロリストは何派もあるが、この二週間の『新興:ネオ・ジオン』の動きは際立っている。中央はそう判断した。」
「私が居ないように思える? それとも、私が居るように思える、どちらの動きだ。」
「そんなことは話せない。」
窓辺に用意されたテーブルで、二人は飲茶風の昼食を取っていた。
「……どう思っているのか聞きたいことがある。」
「なんだ。……なんなりと言いたまえ。」
アムロは品が無いな、と思いつつも食卓の上に紙とペンを広げて、そして聞いた。
「『本物』という結論になった時……自分はどうなると思う。」
「長い裁判を受けたあと、死刑になるだろう。地球連邦に対する反逆行為の状罪で。」
シャアはあっさりとそう答えた。アムロは少しため息をついて続けた。
「……それを回避しよう、回避したい、とは思わないのか。」
「別に。」
これは鬱病の薬を飲んでいる無気力から来る投げやりなのか。それとも本当に自分の処遇など興味が無いのか。……アムロには分りかねた。
「『新興:ネオ・ジオン』はテロ組織としては後発ながら、その思想があまりに明確、なおかつ組織はスマートで、強力な指導者の存在を匂わせる……とまあこのような理由から、本当にシャア・アズナブルが率いているのはではないかというのが中央の判断だが、この事実についてどう思う。」
「別に。」
「……話題を変えよう。」
アムロは新しい紙に『不在のカリスマ』と書いた。
「『偽物』という結論になった時、自分はどうなると思う。」
「裁判は多少短くなるが、シャア・アズナブルの名を語り謀略を行った者として……やはり死刑にでもなるだろう。もしくは一生幽閉だな。後にはなにも残らない。」
「……もう一回聞く。それを回避しよう、回避したい、とは思わないのか。」
「別に。」
きりがないな。
「何か、こう……現状を打破し、別の局面を目指そうとは思えないのか。」
「……別に。なあ、君。ちょっと食事の取り方に問題があると思うのだが。……もう少し綺麗に食べたまえ。」
そう? とアムロは答えたが、自分でもそう思っていたので少し恥ずかしくなる。それで、紙とペンは急いで片付けた。
「……美味しいよな、ここの食事。」
「そうか? 飲茶は饅頭ばかりであまり好きでは無いな。」
文句を言いながらも『シャア』は目の前で、綺麗な動きで食事を続けていた。箸の使い方も上手だ。……こういうのは、子どもの頃の育ちの違いなのだろうか。後から身に付くものでは無いような気もした。
「……一緒に食事した事、あっただろうか。」
「無いな。」
「いや、でも前にアウドムラの通路で……」
「あれは食事では無く酒だろう。」
軽くひっかけたつもりだったのだがさらりと返された。……こういう返事を聞くと、とても目の前の人間が偽物には思えなくなってくる。
「……さてと。俺は食べ終わった。」
アムロは麻杏豆腐まで綺麗に食べ終わると、さっさとテーブルの上を片付け始めた。
「……今度はなんだ。」
シャアが少し嫌そうに唸った。
「チェスだよ。チェス。……本当はモビルスーツに乗って一戦交えれば一発であなたが本物かどうか分るような気がするのだけど、実現不可能だからな。」
「それでチェス? それもどうかと思うがな……君、強いのか。」
「いやまさか。……これまでの人生で一、二度しかやったことがない。」
「それはそれは。」
シャアはまだ半分ほど食事を残したていたが、もうこれ以上食べる気にはならないらしかった。それで、脇の台車に食器を避けた。
「……君はさっき、紙に『カリスマの不在』と書いたな。」
「ああ、書いた。」
保安要員が一人、部屋に入ってくる。そして、台車を押して食器を下げていった。
「……カリスマは常に不在だ。……そんなものは最初から存在していなかったんだ。なのにどれだけ多くの人間が、声高に『シャア・アズナブル』と叫んでいると思う。」
「……」
アムロは黙々とチェス盤に駒を並べていたが、急に午後の日射しを眩しく思った。……世界がやけに静まり返って見えないか。……『シャア』は、今、重要なことを話そうとしているのではないか。
「人々は勝手に『シャア』を名乗り、その名の元にテロを行う。……本当はテロをしたいわけじゃない。不満の理由は別に存在するのに、シャアの名をスケープゴードに、全てを反地球連邦としての自身を演出しているだけだ。……そうなった時に、『シャア・アズナブル』という名前でいることが大して意味を持つと思うか?」
「……」
この宇宙で起こるテロ活動の全てに、シャアが関与している訳は確かに無い。勝手に名乗っているものの方が多いだろう。アムロの脳裏に、一つの言葉が蘇った。……それは、とても大きな命題だった。
……『シャア・アズナブル』とは一体『なんなのか』?
「……さて、では勝負を始めよう。」
目の前ではチェス盤に最後のポーンを、シャアが並べ終えようとしているところだった。
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2006.07.25.
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