主寝室に入ると、いつもの椅子にシャアがいない。驚いたアムロは慌てて名を呼んだ。
「……シャア?」
「ここだ。」
 ベッドの方から返事が有る。部屋には斜めの光が差し込んでいた。行って覗き込んでみるとシャアは寝て居る。
「……どこか具合が悪いのか。……薬をまとめて飲んだりしたんじゃあるまいな。」
「まさか。」
「……じゃあ何故寝ている?」
「捕虜は『起きて一日中窓辺の椅子に座り、聖書を読み続けなければならない』などという決まりがあっただろうか。」
 アムロはため息をつきながらベッドの端に腰掛けた。
「具合が悪いわけでは無いんだな?」
「医者を呼ぼうにもラサからヘリで一時間かかるはずだ。」
 シャアは右腕を頭の上に乗せて顔を覆い、じっと動かずにいたがやがて一言だけ呟いた。
「……飽きた。」
「そりゃ、俺もだ。」
 アムロは数えた。……ここへ来て何日になる? もう二週ほどもシャアとこうして進展の無い会話を交わしているきりじゃないのか。いや、全く進展が無い訳では無いのかも。少しづつその思想は分かって来たがそんなことをする為にここへ来た訳では無い。……彼は本物なのか、偽物なのか。その真偽を見極める為にここへ来たはずだ。
「ちょっと。」
 するとシャアが唸りながら左手を軽く上げた。なんだ、と思ってアムロは身を屈めた。
「なんだ。」
「……もうちょっと。」
 アムロは手招きされるままに、もう少しだけ身を屈める。ベッドで横になるシャアの方へ。天蓋付きの異様に大きなベッドである為、寝台はかなりの広さがある。ツイストという加工のオーク材の柱は天井近くまで伸び、そこには赤字に花の紋様の刺繍の施された布が掛かっていた。
「後、ほんのもう少し。」
「……だから一体なんだ。」
 アムロがもう僅か身を乗り出した時……シャアが急に掌を返して制止した。横たわるその顔まであと僅か、という場所で身体を止めた。顔の上に乗せて居た右腕を外し、寝転がったシャアがアムロを見ている。透明に近い淡いブルーの瞳だ。明るい金髪が綺麗にシーツに散っていた。
「……『ノリ メ タンゲレ』」
「……『我に触れるな』?」
「……ラテン語だ。……イエス・キリストの言葉だよ。」
「その一言を言いたいが為に俺を呼んだのか? 馬鹿らしい。」
 今にも触れそうだ。……アムロはそのまま動けなくなった。『シャア』の瞳から目が離せなかった。同じくらい真摯に、シャアも今自分の瞳を覗き込んでいる筈だ。……距離が近い。近すぎる。アムロは思った。
「……何をどうしたい。」
「あぁ。……実は、ベッドのこの場所までくると監視カメラに映らない。……諜報の連中も、私が寝る時のプライベートくらいは保証してくれているようだ。」
「で。」
「……更に、このくらい低い声で話したら、マイクにも音が拾われない。」
 今頃、地下の本部では大混乱が起こっているだろうか。……俺の下半身くらいは監視カメラで捉えられているだろうが、それ以外はこの部屋の状況を画像で確認出来ない上に、音声も拾えていないという訳だ。
「……何をどうしたい。」
 アムロはもう一回囁くようにそう聞いた。……クッションの良く利いたベッドだ。
「もう十二分に会話は交わした。」
「そうか?」
「だから……後はどうしようかな。」
 彼が微笑んだ。……息が熱い。体温を感じる。自分の、つい鼻先に。
「……『ノリ メ タンゲレ』」
「『我に触れるな』……言いたいことはそれだけか?」
 『シャア』が低く笑いながら頷く姿が目に焼き付いた。
「そうだ。……君、だから私はもう飽きた。……君はどうだ。」
 以前髪が触れた時と同じように、身を起こしたアムロの鼻先に妙な痺れが残った。……確かにシャアに触れたことは以前の邂逅で一度も無い。それ故に、そこに何か未知なる可能性を感じて、アムロは軽く頭を振った。



 触れたら何か見えてしまうのではないか?



「……これまでの『シャア』との面会で、」
 アムロは午後のミーティングで、言われる前に自分から申告した。
「……何か特別な事実が浮び上がって来たとは俺には思えない。……つまり、自分が『ニュータイプ』という理由で呼び出され、彼に対する尋問を行うことに一体意味があるのだろうかと思う。『シャア』の尋問はもっと専門の人間が行った方が良いのでは無いか?」
 ウスダは軽く首を振った。
「却下だ。」
 ミーティングにはボギーというコードネームらしい、諜報三課の薄汚い中年男も参加して居た。……相変わらずニヤっとした笑顔を顔に浮かべている。
「あなたはそうは思っていないかもしれないが、大尉。」
「なんだ。」
「あなたによる『尋問』はかなり成功している。……我々は『シャア・アズナブル』と思われる人物を拘束以来、専門の要員によってずっと尋問してきた。しかし、彼は殆どこちらの問いかけに反応を示さなかった。……実に簡単に、『イエス』か『ノー』で答えるきりだ。だが、あなたとは『会話』を交わす。」
「……」
 あれが会話と呼べるならな、とアムロは思う。
「だから、この方針に変更は無い。」
「では、自分の方から幾つか提案がある。……これまでと違うことをした方がいいと思うんだ。」
「例えば。」
 アムロは少し考えた。食い下がって見てはみたものの、実はあまり内容については考えていなかったのだ。
「……二人で庭を散策する許可を。」
「却下だ。」
「撞球室使用の許可を。」
「却下だ。何故尋問中の捕虜を楽しませてやらなければならない。」
「……シャアの寝室で俺が一緒に食事をする許可を!」
「……検討する。……では今日は散会。」
「……クソッタレが!」
 アムロは部屋を出て行くウスダの後ろ姿にそう叫んだが、彼は振り返ろうともしなかった。少し心配そうに残った四課員とカムリがこちらを見ている。バツが悪くなってアムロは視線を落とした。……ベッドから起き上がりもしなかった『シャア』が心配になったのか。当てられたのか、俺は。
 一人、ボギーだけが相変わらずのんびりと構え、脇に立つ保安要員に「この屋敷は禁煙か」と頭をかきながら聞いて居た……アムロは壁を思いきり殴った。











2006.07.21.




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