図書室に入り、天井まで届く高い書架に並べられた本をゆっくりと眺めながら歩く。
 ……このところの、アムロの朝の日課だ。朝食を自室で済ませ、四課のミーティングが始まるまでの間にここに来る。大体、朝の九時から九時二十分くらいまでそうして過ごす。九時半にはミーティングが始まり、十時からはシャアとの会話だ。
「……『アウグスティヌスの聖書釈義』……『イメージと中世のカテドラル』……『「ビブリア・パウペルム」に見る余型論』……」
 屋敷の造りがビクトリアン様式だからと言って本当にビクトリア時代に建てられた訳も無く、古くて築数十年の建物のはずなのだが、図書室には古くて黴びた匂いが満ちて居た。……大体の図書室、なんてのはこんな匂いがする。アムロは遠い昔の自分の学生時代を思い出しながらそう思った。一年戦争までは、自分も普通の子どもだった。確かそうだったと思う。
「……分らないな……」
 高い書架に届くように梯子も架けられていたが、どこまで行ってもアムロに分るようなタイトルの本は見つからなかった。人の趣味をどうこう言う権利は無いが、この屋敷の本来の主人は、どうしたってこんな本ばかりを集めたのだろう。……本来の主人の職業は、『聖書考古学者』なのではないかとシャアは言っていた。
「……」
 とある棚の前で、アムロは足を止めた。見慣れた単語が目の前を過ぎ去ったように思えたからだ。引き返して本棚を見上げた。
 ZION
 確かにそう書いてあった……いや、良く見ると一つの書架、全部そう書いてある。『ジオンの丘への回帰』『エクソドス(出エジプト)とジオン』『ジオン、その約束の地へ…』……そのあたりまで読んでやっと気づいた。
 ジオン、じゃない。
 ローマ字通りにラテン語で読むとこれは確かに”ジオン”だが、英語読みでは”ザイオン”だし、ドイツ語読みなら”ツァイオン”だ。……そしてヘブライ語読みなら”シオン”。
 『約束の丘』のことだ。……これは、ユダヤで言うパレスチナ、イスラエルの事だ。それくらいは分かったが、それ以上は分らなかった。キリスト教に明るい訳では無かったからだ。
 ……アムロはその日、その棚の本を数冊取った。……そして、シャアとの面会に向かった。この図書室の真下に、シャアのいる主寝室がある。



 シャアは相変わらず窓際の椅子に座って居た。
「……やあ、今日も来たな。」
「仕事だからな。……あなたが素直に素性を話してくれたら今日で終わりに出来るんだけど。」
「それではまだまだ終わりそうにないな。」
 窓の外を見つめたまま、『シャア』が面白そうに肩を震わすのが見えた。……こっちは面白くもなんともない。アムロはどかどかと歩いて、ライティングビューローに持って来た本を積み上げた。
「……今日は『シオンの丘』のあたりの本を持って来た。」
「ほう。」
 面白そうにシャアがやっとこちらを振り返った。
「……君も遂に聖書考古学に詳しくなったのか?」
「いや別に。……ただ、『シオン』と『ジオン』は同じ綴りだな、と思って。それで持って来てみただけだが、あなたは詳しいのか?」
「この屋敷に来てから、おかげさまで詳しくなったよ。」
 アムロがどっかりと椅子を引いて座り込むのとは正反対に、シャアは立ち上がると今日の本の場所へ向かった。
「へぇ。……本当にイスラエルの本ばかりだな。」
「……ジオンとユダヤは、何か関係があるのか?」
「有るわけが無い。」
 『シャア』は笑った。
「たまたま、父の名が『ジオン』だっただけだ。……そうしてたまたま、流浪の民の居場所を見つけようとしただけ。」
「流浪の民?」
 アムロは慌てて紙に『流浪の民』と書いた。……直感通りに受け取るなら、これはユダヤ教徒のことだ。……国を失い、何千年も自国の建設を求めて彷徨い続けた民族。
「……今日のテーマは『流浪の民』にしよう。……あなたは、コロニー市民を『国を作りたくても作れない流浪の民』と定義して、新たな国家を建設することに興味が有るのか?」
「単刀直入だな。」
 シャアは笑った。これから延々と思想を展開し、垂れ流しされるのだろうが、そういった難しい考えを話している時よりは、こうして何気なく笑っている『シャア』の方が、アムロには本物に思えて仕方なかった。
「……答えはノー、だ。……そんなに大義を振りかざして生きているつもりはないよ。皆、宗教と思想の話をされるのなんか大嫌いなのだよ。」
 ……少し驚いた。シャアは全てを否定した。
「なんだって?」
「宗教の話なんかを大仰にされただけで民衆は皆逃げ出すと言うことを言っている。……馬鹿だな君は。」
「馬鹿扱いされる根拠が分らない、」
「素直すぎるんだ。」
 シャアは一冊の本を抱えて……タイトルは『シオン、その約束の地へ…』だった……アムロの脇へ戻ってくると、自分もどっかりと椅子に座った。
「……素直すぎるんだ。」
「誉めてるのか?」
「……もう少し世渡りが上手くなれ、と言っている。……初めて会った時、君はまだ十代半ばだったかと思う。でも、今はもう二十代後半だろう? 世の中の摂理を知るんだ。大声で宗教と国家については語るべきでは無い、とかそのようなことを。」
 ……俺は知りたかったから聞いただけだ。
 そんな摂理などクソクラエ、と思った。
 じゃあ、あんたは語っていないのか。『宗教と国家』について。
 ネオ・ジオン独立、なんて言っていることがそのまま宗教と国家じゃないか。思想と宗教はそれほど変わらない。宗教と主義もそんなに変わらない。強く説く人間がいるので社会システムとして機能する、という一点に於いては。
 つい声に出してそう言ってしまった。
「はしたないな。」
 シャアは首を竦めてそう言うと、『シオン、その約束の地へ…』を読み始めた。
 俺達の会話は、どこか進んでいるのだろうか。



 カイが土産にくれたディスクは確かにお宝だった。建物の構造図を見て驚いた。この屋敷の地下には地上の屋敷の三倍ほどの大きさの空間があった。……アムロが足を踏み込んでいた諜報四課の本部と呼ばれる部屋はこの地下の「一角」に過ぎず、カイの情報が正しければ「本部」の先に射撃室が、更にその奥に「モビルスーツ格納庫」が有るはずである。
 ……一個人がモビルスーツ格納庫を所有する? それも、本業は聖書考古学者らしい黴びた本に囲まれて過ごす人物が?
 この屋敷にいる『シャア・アズナブル』の信憑性以上に、このデータもうさん臭いな、と思った。
 ……疑問があるなら、確かめてみるしかない。











2006.07.19.




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