ミーティングが終わってすぐに庭へ出た。
外に出た瞬間に、深呼吸せずにはいられなかった。……チベットの九月はかなり肌寒い。ここは標高が高い。しかしそれ以上に、地上に出た喜びを感じた。諜報課の連中と地下室で過ごす時間は辛かった。……広くて大きな前庭を、ゆっくりと横切って歩く。この屋敷には周囲を取り囲む広い庭があったが、これまでしみじみと歩いたことは無かった。散策はまず、屋敷内から始めた。それが普通だ。後ろを振り返ると、煉瓦の壁に蔦の巻き付いたあまり陽気ではない外観が目に入った。……鬱々としていた。
アッシャー家の崩壊。
アムロは初めてこの屋敷を見た時思い出したその言葉をもう一度思い出した。
芝の広がる前庭を端まで来て立ち止まった。……遠く連なって見える山脈は、あれはチョモランマに続く峰々だろうか。頂上の方には雪が積もって見えた。日は暮れかかり、足元の芝には自分の影が長く伸びている。
庭を更に取り囲む森の手前で、アムロは伸びをした。……裏手には温室や、最初にカムリが教えてくれた薔薇園などがあるはずだったが、そこまで散策する余裕は無さそうだ。日暮れが早い。……ぼんやりと、庭と森の境にある木の柵に寄りかかり、もう一度屋敷を見つめた。
……アッシャー家の崩壊。
俺は一体、なんの為にこんな場所まで来て、こんな生活を送っているのだろう……と、アムロが考え始めた時だった。
「……手を上げろ。」
……急に耳元でそう声がした。アムロはびくん、と跳ね上がった。
「……ゆっくり。……そうだそのまま。後ろを振り返るな。……両手を上げろ。」
「……」
……いつの間に後ろに回られていたのだろう。……アムロは自分の足先を見下ろした。……自分の真後ろに、黒いスーツ姿の人物が立っているのが分かった。身長は自分より幾分高いらしい。緑の芝に黒い革靴が妙に浮いて見えた。言われた通りにゆっくりと両手を上げる。……親宙派か。ネオ・ジオンか、それとも別のテロリストか。いつの間にこの屋敷まで?
保安要員に紛れ込んだのか?
「よし。……これから俺の言うことに答えろ。」
背中に筒の当たる感触があった。アムロは後ベルトにいつも通りM-71A1を突っ込んでいたが、手を伸ばす隙は無さそうだった。
「……ビックリしたか、アムロ。」
「…………カイさん?」
一気に力が抜けた。すぐさま振り返りたかったのだが、監視カメラの可能性を考えてそれは諦めた。とりあえず上げた手が間抜けなのでそそくさと降ろす。
「……あのねぇ、」
「おっと。……文句を言いたいのはこっちだぜ?」
身を離す時に一瞬だけチラリと見たのだが、カイは保安要員と全く同じ黒いスーツを着込み、軽機関銃を抱えているようだった。
「お前、俺の事を便利屋か何かと勘違いしてないか。」
「え、違ったの。……そりゃ悪かった。」
「馬鹿、俺はジャーナリストだ、ジャーナリ・ス・ト! ……何だよこの屋敷は! これだけの格好を揃えて忍び込むのにどれだけかかったと思ってる。」
「一週間くらいか?」
「……通信を受け取った時、俺が何処に居たと思う?」
通信とは、例のハッキング・プログラム『アクセスキー』を使っての通信である。
「さあ。……木星にでもいたのか?」
「シドニー海上だよ。……オセアニアと東南アジアを結ぶルートが、治安が悪くて地球じゃ一番行き来しづらいんだぞ。ふざけるな。」
二人はさも『保安要員と関係者』がわずかばかりすれ違ったように、遠目には見える様にある程度の距離を置いて歩きながら離した。……日は徐々に暮れ掛かっているし、屋敷に設置された監視カメラからならそれほど不自然な光景にも映るまい。
「……さすがカイさん。」
「誉めるな。当たり前だろ。……で、用事はなんだ。」
「……この屋敷に『シャア』がいる。」
アムロは何の前触れもなく、説明も無くそう答えた。……カイになら、一緒に幾多の戦線を乗り越え、生き延びて来たカイにならそれだけである程度事情が伝わるだろうと思って全て省略したのだ。
「俺は、それが『本物かどうか確かめる為』に宇宙から呼ばれた。……俺が断ったらセイラさんを替わりに首実験に使う、と諜報の奴らが言うんだ。」
「………」
「こんな話は、軍の回線を使ってはとても出来ない。……ブライトにも連絡は取ってみただろう? ブライトの反応も似たようなものだっただろう。……どれだけ隠しても、軍の回線で通信をしたら諜報の連中に中身を教えてやるのと一緒だ。だから、直接会って話をするしか無かったんだ。」
「……それで。」
カイには大体伝わったらしい。……アムロは安堵のため息を漏らした。持つべきものは友、だ。
「調べられる限りでいい。……ネオ・ジオンの動きを調べてくれ。本拠地はサイド5周辺。そこに、本物のシャア・アズナブルがいるのかどうか。……居なかったら、ここにいる奴が本物だ。」
「……なるほどね。」
もう、庭を半周ほども歩き回ってしまった。屋敷の右手に来ている。そこからは、大きなフランス窓を設えた『シャア』の軟禁されている部屋が良く見えた。屋敷の一階にあるその部屋の、ガラス窓に夕日が反射して眩しい。
「土産がある、アムロ。」
「何。」
カイがアムロも顔を見ないまま、芝の上に小さなディスクを放った。軽機関銃を構えたまま。
「……この屋敷の建築構造図だ。ただの屋敷じゃ無いぜ、ここ。地下の構造物が地上の三倍くらいある。オセアニアから東南アジアに飛ぶ途中で、あんまりにヒマだったから調べてやった。……せいぜい役立てろ。」
「おい、調べた結果は俺にも連絡しろよ。……重要なんだ、『シャア』が本物かどうか、っていうの。」
……アムロは振り返った。……しかし、もうカイは居なかった。慎重に、まるで靴に付いた汚れを取り払うかのような動作で、アムロはカイが放って行ったディスクを芝から取り上げた。
……日暮れてゆく。
少し進んだかな。……そう思いつつアムロは屋敷に踵を返した。
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2006.07.16.
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