「君は、面倒臭くなることはないか?」
「年中、いろいろなことが面倒臭いと思うよ。」
「……私は今回、面倒臭くなった。……それが、ここにいる理由だ。」
「分らないな。」
 シャアは綺麗な動きで立ち上がると、椅子を引き窓辺に歩いていった。天井までの高さで設えられたフランス窓にはレースのカーテンが係っていたが、シャアはそれを一気に横に引いた。……もちろんその向こうの窓は施錠されている。シャアはここから出れるわけではないのだ。
「私はエンターティナーではない。」
「……」
「だから、嫌になった。……『娯楽』を提供し続けることが。」
「別にあなたの行動を、世界の人々はショーを見る様に楽しんだりはしない。中にはむしろ必死な思いで関わっている人物だっていることだろう。……テロや謀略や革命は生死に関わる場合もある。」
「テロと革命は実はその本質において変わらない。……失敗するとテロで、成功したら革命だ。」
「論点がズレている。」
 アムロは軽く手を横に振って、窓辺に立つ男を制止した。もともと人の話を聞くことが専門ではない上に、ひどく集中力を必要とされる。……次からは紙とペンを持って来よう。
「以前に君に会った時、『人身御供』の話をしたな。」
 おや、とアムロは思った。目の前の男はジャンキーで、拘束前三日間の記憶も無く、今まで実に偽物くさかった。……しかし、真実に辿り着けそうな話題を、今度は放って来た。
「……しただろうか。」
 本当は良く覚えている。あれはアウドムラの廊下だった。しかしアムロはわざととぼけた。
「『これでは道化だよ』……と、私は言った。すると君はさもありなん、と笑った。」
「そうか。」
「……『人身御供の家系かもな。』……君はそう答えたんだ。だから君も本当は、私が人々に娯楽を提供し続けていることに気づいているはずだ。」



 糸電話は非常に弱く、今にも切れそうだった。
『……な……だとはなんだ。……アムロか? おい、この回線軍のものじゃないのか。』
「ちょっと借りてる。……カイさん、時間が無い。今から場所を言うから会いに来てくれ。」
『何を……』
「手がかりはラサから軍用ヘリで一時間の範囲内。最寄りの大きな町までは六十キロ。……屋敷だ。」
『地球にいるのか? これブライトに大昔に渡…た鍵の番号…んだが…』
 ノイズがひどい。……0と1の羅列はもう画面の右端、最後の行まで来て崩れさろうとしていた。時間を過ぎるとハッキングがバレて、逆に軍がこちらの場所の特定を始めてしまう。
「一軒家だ。まわりには何もない。」
『ふざけるな…まえが来いよ!』
「俺の方がここを出るのは無理だろう。……切るぞ!」
 言った瞬間にアンテナの後ろに差し込んであったジャックを引き抜いた。……ギリギリだ。逆ハックはかけられずに済んだことだろう。アムロは、屋敷の煉瓦の壁にしばらく背をもたれさせて息をついていたが、やがてそうっと薮から向こうを見渡した。……目の端に、庭を見回っている保安要員と、手に持った機関銃が映った。幸い、こちらには背を向けているがこのままここにいると近くまで歩いてこられて身動きが出来なくなるかもしれない。
「……しょうがない。……走るか。」
 アムロは端末を脇に抱え、身を起こすと保安要員とは逆方向へ薮と煉瓦の間を一目散に走り抜けた。……屋敷の面に回り、さも散歩をしていました、というような顔で玄関の保安要員に声をかける。……彼はちらり、とアムロを見たが、そのまま通してくれた。
 自分の部屋に戻ってくると、昼食が用意してあった。……やっと昼にありつける。それが済んだら、またミーティングと『シャア』との会話である。
「……」
 アムロはベッドに座るととりあえずサラダパスタに手をつけた。



 午後も大体同じようなものだった。四課のミーティングに参加してからシャアの部屋に向かう。薬のことを知らされなかった苛立ちは少し納まり、落ち着いてミーティングに参加出来た。面会に紙とペンを持ってゆきたい、と言ったら「アナログだな」と面白そうに言われた。……微笑むウスダは少し気色が悪かった。
「……この屋敷に図書室があるのは知っているか?」
 シャアと会話を交わしながらアムロは、もう少し方向性を決めないとダメだろうな……と思った。
「こんなクラッシックな造りの屋敷だ。……有るだろうとは思うが、この部屋から出れない私には無意味な代物だな。」
「そうか。」
 シャアが本物であるのかどうか……というテーマがあまりに大きくて、それを確かめるのが任務だとは分かっていても順序立てて考えることが出来ずにいた。……しかし、これまでに数度しか会ったことのない人物なのだから、以前の記憶の照合などあっという間に済んでしまう。それらが終わったらどうするべきか。……アムロは考えた、この人物が、シャアであるかどうか……を知るにはこの人物の『思想』を知るべきではないのか。物の考え方。例えば『革命』とは何だと思っているか。『戦争』とは何だと思っているか。……そういうことを順番に聞いて行ってはどうかと思ったのだ。
「……本を読むのは好きか?」
 部屋には大きな天蓋付きのベッドの他に、ちょっとした書斎のようなスペースがあり、そこに小さなライティング・ビューローと幾冊かの本が転がっていたので、アムロはそこまで歩いていった。
「そうだな。……今はひどく暇だから、本があったら読むことだろう。」
 分厚い皮張りの背表紙を確認する。……どれも金箔押しでタイトルが書かれていた。『中世ヨーロッパの写本文化』『フランス十三世紀の宗教美術』『イコノグラフィ(図像学)』『ゴシック建築とスコラ哲学』『クリュニー派とシトー派』……なんだこれは。
「……これは読んだのか?」
「どれも読んだ。」
「面白かったか?」
「……それなりに。この部屋の本来の持ち主の趣味を知ることは出来た。」
「へぇ。……俺は『政府高官の屋敷』だって聞いたけれど。」
「おそらく、その高官とやらの父親がこの寝室を使っていたのではないかな。……イギリス風の建物で一階に主寝室があるのは珍しい。彼は……年老いて、足が悪かったのではないかと思うよ。」
 一階に寝室があるのは珍しい。シャアも同じことを考えたんだな、と思う。しかし今は、それが軟禁に非常に役立っているのだから不思議なものだ。
「明日、本を持ってくるよ。」
「……なんだって。」
「明日、二階の図書室から本を持ってくる。……あなた暇なのだろう?」
 ……甘いことだな、とシャアは少し笑った。



 その日の晩、メールで演習の報告書を受け取った。……ケーラからだ。楽しみにしていた報告書だ。アムロはベットにもぐり込んで、それを読みながら眠ることにした。












2006.07.11.




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