『ルドルフ・ヘス』というのは歴史上、もっとも不可解な謎に満ちた人物である。
 簡単に説明してしまうと、彼は旧世紀、1900年代の初旬から中頃にかけてドイツ……旧ヨーロッパ地区にあった国である……に存在した、『ナチス・ドイツ』という右寄りな国家の『副総統』であった。では、何故彼が謎に満ちているのか。
 念のために、『ナチス・ドイツ』には『ルドルフ・ヘス』という名の著名な人物が二人存在した。一人はアウシュヴィッツ強制収容所長として有名な『ルドルフ・フェルディナンド・ヘス』。そしてもう一人が今語ろうとしている『ルドルフ・ヘス』である。ヘスはともかく二人いたが、後記のヘスの方は奇行が際立っている。1941年5月10日、彼はナチス・ドイツの副総統という身分でありながら、イギリスに向けてたった一人で飛行機で旅立った。理由は、イギリスとの停戦交渉の為と言われている。しかし、この単独飛行が実を結ぶことはなく、イギリスとナチス・ドイツはその後も戦闘を続けた。
 戦争は終結し、1946年ニュルンベルグ裁判でヘスは起訴される。容疑は、戦争の陰謀と国際平和の擾乱だった。……だがしかし。
 本当に彼は『ヘス』なのか?
 その疑問が、戦勝した連合軍の側には残り続けた。……本当に彼は『ヘス』なのか? ナチス・ドイツの、仮にも副総統が、単身イギリスに亡命するなどと言うことがあり得るのか? これは某略された赤の他人なのではないか。彼は『ヘス』では無いのではないか?
 歴史上、これほどに有名な人物が、単身敵に下った例は他を見ない。ゆえに、彼は『謎』である。
 ともかく、1987年8月17日、93才の『自称ヘス』がシュパンダウ刑務所内で死ぬまでその疑惑は続いたのであった。……いや、今もだ。
 今も、『彼はヘスだったのか?』という疑惑は歴史の中に、宙ぶらりんに残り続けている。



「……自分がこの合同演習の中央指揮を取るアムロ・レイ大尉である。」
 自分の機体……それは今現在、Re-GZ(リガズィ)という機体だったが……のコックピットを、ハッチを閉める寸前で止めておいて、アムロは目の前に広がる艦隊に呼び掛けた。場所は、艦隊の旗艦、ラー・カイラムの格納庫。
 ……宇宙世紀、0091、九月。
「今回の合同演習は、この艦隊として最初で最後だと思ってもらいたい。」
 演習をする毎にこんな大仰な前台詞を言わなければならないのなら、確かに最初で最後にして欲しい、と冗談で思いつつも続けた。
「皆も知っての通り、「ロンド・ベル隊」というのは仮想敵国を持たない軍隊である。」
 ロンド・ベル隊の連邦軍内での創設が0090、三月。その後、何度申請を出しても「全艦隊レベルのモビルスーツ隊合同演習」という希望はこれまで叶わないままで今まで来た。理由は至極簡単である。
「だから、最初で最後だ。……以上のことを踏まえた上で、今回の演習には真摯に臨んでもらいたい。」
 予算が付かなかったからである。戦争で一番金がかかるのは、戦闘状態を維持している間中、兵士を養い続ける食事代だ。今では、人間同士の戦いではなくモビルスーツによる疑似白兵戦が戦闘の主流だ。当然、モビルスーツは人間より『食事代』が高い。
「……先に配信したフォーメーション1からフォーメーション5までの略図を出せ。……皆、いいな?」
 しかも、地球連邦は一つの国家として確立しており、全面戦争をするような敵は存在しないに等しかった。では、それでも『ロンドベル隊』が設立された理由は何か。
 ……鈴を鳴らすため、である。
「『仮想敵国』は無いことになっている……が、ロンド・ベル隊が存在する理由はただ一つ、「テロリスト」が攻めて来た時の為だ。」
 ネズミを脅すためにネコの首につけられた鈴が俺達なんだ。
「それがこの隊だ。……では演習を開始する。通信終わり!」
 アムロがそう言ってまさにコックピットのハッチを閉めようとした時……妙に軽快な着信音と共に通信が飛込んで来た。
『アムロ。』
 嘘だろう、とアムロは思った。いや、実際小さくそう呟いてしまった。念入りな準備をしてやっと漕ぎ着けた今回の合同演習である。今しも自分も飛び出そうとしていたハッチの向こうの宙域では、打ち合わせ通りに、皆が最初のシュミレーションを開始すべくフォーメーション1の陣型を取りはじめたところだった。
「聞こえている。」
『今すぐ艦長室へ。』
「……嘘だろう。」
 もう一回、今度は大きな声で言ってしまった。割り込んで来た通信はブライトからのものだった。これだけ大掛かりな演習をやっているとなると、ち密にスケジューリングされたそれに割り込んでこられるのも艦隊全体を指揮する大隊長くらいのものだ。そしてブライト・ノアは旗艦の艦長で、まさに大隊長だった。
「今から出るところだった。」
『それは知っている。しかし、こっちの用事の方が重要だ。』
「もうモビルスーツに乗っている。このまま脇へ行って接触回線ではダメか。」
『ふざけるな。いいから早く艦長室へ来い。』
 取りつく島もない。仕方がないのでアムロは閉じかけたコックピットのハッチをもう一回開いた。それから連絡を入れる。
「ケーラ。」
『聞こえています。』
「聞いていたか。」
『はい。』
「俺は今回の演習に参加出来なくなったようだ。……全員に通信! アムロ・レイ大尉である。事情により今回の演習の指揮権をケーラ・スゥ中尉に委譲する。以降は彼女の指示に従うように。通信終わり!」
 アムロはシートベルトを外し、格納庫へと飛び出した。キャットウォークに取り付いたあたりで、ヘルメットの中にブライトからの通信がまた響き渡った。
『何分で上がって来れる。』
「ノーマル・スーツのままで良かったら五分ほどだ。」
『分かった。……早く来い、緊急事態だ。』
「それは分る。」
 アムロは格納庫脇にあるエアボックスに飛込むと、思いきり拳でエアのスイッチを叩き付けた。……部屋の中に酸素が満ちる。ヘルメットを外すと、反対側のドアからラー・カイラムの通路へと飛び出した。
「……うっわ、」
「これ頼む。」
 通路にたまたまいた整備兵にヘルメットを放る。わかりました、と彼は答えて、バイザーを下ろすとアムロとは逆に真空のモビルスーツデッキへと戻っていった。ハンドグリップを握って艦の中央に位置するエレベーターへと急ぐ。中に乗り込んで上へのボタンを押した。……回数表示の灯りが移動してゆくのを見ながら、小さく恨むぞ、と呟いた。



 今回の演習をアムロはとても楽しみにしていた。












2006.07.01




HOME