女神











 「こらっ!俺の女神に汚い手で触るんじゃねぇ。」

ユーコン級潜水艦U-801の艦底MS格納庫で、愛機ザメルの最終チェックをしていたボブ中尉は、整備用クレーンに乗ったゲイリー少尉に向かって叫んだ。格納庫にはザメル以外にも二機のドム・トローペンが並んでいる。



 「・・・ぷっ。・・・・・・・・・女神ですか?」

 全高27メートルのザメルのちょうど真ん中の腰の辺りの左後ろ・・・、平たく言えば、ちょうど人間の左ケツに当たる部分には、とあるマーキングが施されている。



 裸で寝そべり『ジーク・ジオン』と微笑む女性。・・・もっともデフォルメされたようなその姿は、美人とは言いがたいが。



 「おおよ。こいつは霊験あらたかなんだぞ。一年戦争の時に、俺はザクI、ザクII、ドムと乗り換えてきたんだが、・・・まぁ、要するにやられちまったってことだがな、それでも俺は死ななかった。機体はどれも大破したが、俺は死ななかったんだ。」

 ザメルの足元からゲイリーを見上げる格好でボブが説明する。その手にはこれから交換するつもりの足の関節用の布カバーを握ったままだ。



 『星の屑作戦』の一ミッションである、連邦軍トリントン基地襲撃のメンバーに選ばれたのは、ボブ中尉とアダムスキー少尉とゲイリー少尉である。その理由は土地勘、だ。・・・三人とも一年戦争時、オーストラリア中を転戦した経験があった。『月の階段作戦』で、終戦時オーストラリアからアフリカへと脱出し、そのまま潜伏生活を続けていたのだが、再び彼らの前に戦いの機会が巡ってきたのである。



 うち、ボブとアダムスキーは、同じ小隊の出身だった。ノーマルスーツの左肩のマーキングから、髑髏小隊と揶揄されていた。そのマーキングを選んだ趣味の悪い隊長は、終戦前に散っていった。アフリカ脱出後は、明確に新しい組織を編成する人的資源も余力もなかったので、自然ボブが隊長役を引き受けたような形になっている。僚友のアダムスキーはだから当然『女神』の云われについても知っているが、別の小隊にいたゲイリーは、白いペンキで簡単に描かれたマーキングが、そんなに御大層なもの(ボブにとってだけではあるが)だとは知るよしもなかった。

 髑髏小隊の整備担当に、ひとり絵のうまい奴がいた。開戦当初、地球降下作戦でオーストラリアに降り、ひとまず制圧した後のジオン軍は、ひどく余裕があった。何かかっこいいマーキングを入れてくれよ、と頼めば、あいよ、と答えるだけの。ザクIのケツには、鮮やかなカラーで、裸の女性が微笑む絵が描かれた。さすがにジオンのMSのマーキングの中でも異彩を放ったが、ボブはけっこう気に入っていた。



 彼女は、なかなか魅惑的な笑みで俺を見てくれるじゃないか、と。



 オーストラリアでの地上戦を重ねるうち、ボブは次々と愛機を失った。それは機体が壊れるぎりぎりの戦いが続いた証と、ボブ自身がやれるだけのことをやった証でもあった。基地まで、徒歩で、トラックで、戻る。傷を負って、それでも生き抜いて。

 「死んだんじゃなかったのかい?」と笑顔で声をかける戦友たちに、「ぬかせ!・・・俺には女神が付いてるからな」と。

 最初はただの照れ隠しだったのかもしれない。大切な大切なモビルスーツを失って、それでもこうして生きて戻ってくる自分への。

 機体が変わる度、そのケツには新しく女神が描かれた。小隊をサポートする整備班はずっと同じ担当だった。二目と違わぬほどに、新しい女神をマーキングしてくれた。



 兵士たちは、みな女神を信じている。それは本物の恋人とか、憧れの女性とか、スクリーンの中で優しく微笑む女優とか、それぞれがとびっきりの女神だ。小さな写真を大切に、ポケットの中やコクピット裏に忍ばせたり、兵舎の壁に貼っていたりする。その写真一枚で、安心して戦えるたりする。だからボブは口の悪い仲間たちにからかわれる度、声を張って言い返した。



 「これぐらいでっかくていいオンナは、他にいねぇだろ!」



 0079年の12月末、ドムを失い、実験機に等しいザメルを次の機体として与えられた時、いつも女神を描いてくれていた上等兵は、もうこの世にいなかった。仲間たちが満足な機体もなく、十分な整備もなく、次々に戦死していった頃だ。ボブは、仕方なしに、それでも哀悼の意を込めて、自分の手で『女神』を描いた。それは、この上もなくヘタクソで、道具も揃わないので白一色になったが、この世でただひとりの、ボブの女神だった。



 ・・・・・・・・・だが結局、女神もザメルも出番はないままに、アフリカへ運ばれていった。





 「三年ぶりの華々しい活躍が期待できるってわけだな。・・・なむなむ。」

 「な・・・なんのお祈りですかい?」

 「なんでもいいのさ。・・・なむなむなむ。・・・・・・・・・アーメン。」

 アフリカでは、連邦と小競り合いはあったが、『作戦』と呼べるようなものは、この三年一度もなかった。『星の屑作戦』の全容は知らないが、そんなことはちっとも構わない。連邦の基地を急襲して、ガンダム・・・そうだガンダムだぞ、伝説のガンダムだ、そいつの新型機を奪うなんて、イケてるじゃないか。安穏とした連邦の奴らに一泡吹かせてやろうぜ。

 やっと日の目を見ることができる。俺とこいつ(ザメル)と女神さま。



 (存分に戦わせてやるからな。・・・長い間、待たせてすまなかった)



 ボブはそっと、ザメルの左足をさすった。










 宇宙世紀0083年10月14日早朝、ボブ中尉の乗ったザメルはジム・カスタムと交戦。

 ビームサーベルがコクピットを貫く瞬間、ボブの目はモニター越しにはっきりとそれを捕らえていた。激しく身体をずらせば、助かる可能性が僅かながらあったかもしれない。実際、ザメルは爆砕しなかった。



 ・・・・・・・・・だが、ボブ中尉は死んだ。





 次に乗るべき機体が、女神を描く機体が、もうどこからも与えられないと知っていたことだけは、確かである。















+ End +










注:機体のマーキングは【ZIECK ZION】となってますが、【SIEG ZEON】と解釈しています










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