旧世紀の大航海時代、人々は胸躍らせる何かを求め、競うように七つの海へと繰り出していった。
だが宇宙世紀と称される時代になり、人工の島国に暮らす人々の目は、ちっぽけな地球の海ではなく、宇宙に広がる星の海に向けられた。
・・・・・・・・・そうして、また地球に戻ってきた者がいる。
ただ季節が巡るように。
海の匂いも、海の響きも、海のうねりも、海の色も、海の味も。・・・・・・・・・だからこんなにも懐かしい。
八点鐘
『・・・こつ・・・こつ・・・こつ・・・、』
「・・・ガトー少佐に似合わず、貧乏くさい癖ですな。」
「?」
アナベル・ガトーは、ユーコン級潜水艦U-801の食堂で、この艦の主であるドライゼ艦長から掛けられた言葉に、怪訝な顔をした。
「おや、・・・その足ですよ、足。」
そう言われると、ガトーの耳に、こつ、こつ、という自らが立てていた音が甦った。意識せずとも耳が音を捉えていたらしい。その音の正体は、食堂の椅子に座ったガトーの靴先が上下して床を叩く音であった。
(・・・・・・・・・こつ・・・こつ・・・こつ・・・)
「気づいておられなんだか。」
「これは、・・・失礼いたしました。」
そんな癖などある筈もないが、確かに自分は床を蹴っていたようだ。・・・この艦に乗って以降だな、と思った瞬間、
「少佐、どうがんばってもアフリカ到着は、23日ですよ。・・・ゆっくり構えてなさい。」
・・・・・・・・・見透かされていた。
ガトーとガンダム試作2号機がユーコンに拾われたのは10月の14日のことだった。オーストラリアからアフリカまで、インド洋をひとつ越えていくだけなのに、9日間もかかるという。
(それだけの時間があれば、サイド3と地球の間を往復しても余るのにな。・・・海の底を行くというのは、なんと不便な)
宇宙生まれで宇宙育ちのガトーにとって、地球上では時間の流れ方まで違うような気がしてならない。コムサイで一気に駆け上がりたかった所だが、それはもう望めない。
「まぁ、一杯おやんなさい。・・・・・・・・・もうじき八点鐘だ。いい時間でしょう。」
「・・・いただきます。」
ドライゼの階級は中佐である。なによりお世話になっている。ガトーにその杯を断れるはずもない。夜の食事の時間はとうに終っており、食堂の電気は半分のスペースだけに落とされていた。数人の乗組員がコーヒーやサンドイッチをつまんでいる。ドライ・ジンで満たされたグラスをガトーは口元に運んだ。
「・・・・・・・・・ふーっ。」
「ははは・・・。少佐は、海は苦手かな。」
その酒の強さに、息を吐く仕草とやるせない時間へのため息とが重なって出てしまい、ドライゼに笑われる。
「・・・いえ、ただ、初めてなので・・・。」
「私も一年戦争で地球に降りてくるまでは、本当の海を見たことはなかったんだがね・・・。」
(だが、もう慣れた。・・・・・・・・・慣れ過ぎてしまった)
0079年のジオン公国には、潜水艦に詳しい者などいないも同然だった。それだけ宇宙で生き、宇宙で死んでいくことが当たり前の時代だった。地球l降下作戦以降、連邦軍の海軍工廠を接収する形で潜水艦の建造がようやく行えたのだ。金も物資も運用マニュアルもなく、一から、自分たちの手で、築きあげてきた。
それだけ、ドライゼはこの艦を愛している。そしてなにより・・・、
「何の因果か、地球でたった三年を過ごしただけで、・・・・・・・・・帰りたくないんだよ、・・・宇宙(うえ)にはね。」
ドライゼは、この海を、愛していたのだ。
八点鐘が過ぎて、ガトーは与えられた自室に戻った。乗組員にはルーチンの仕事がある。寝て起きて食べて働いて寝る。そうして一日が終わり、また始まる。この艦で唯一の『お客さん』であるガトーだけが、時間を持て余している。身体を動かすだけでは、形の上でしか時間が潰れない。精神的には埋まらないのだ。
(・・・・・・・・・こつ・・・こつ・・・こつ・・・)
着替えを終えて、二段ベッドの下に腰掛けたガトーのつま先で、また音が鳴っていた。
宇宙世紀0083年10月23日09:14、アナベル・ガトー少佐とガンダム試作2号機は、アフリカ・キンバライド基地に到着。
ガトーが地球で最後に見た海の絵は、白い波涛が荒れる深い群青の海とジオン国旗を翻す深緑の艦とその甲板で敬礼するドライゼの姿だった。
+ End +
注:【八点鐘】は午前0時の意で使っています
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