宇宙世紀0083年10月31日のデラーズ・フリートによる宣戦布告放送、『デラーズ宣言』以降、茨の園は活気づいていた。
各サイドや月に隠遁していた、もしくは自ら落武者と化していた者たちが、あの放送を機に茨の園に集結する。そもそもデラーズ宣言が全地球規模で放送されたこと自体、戦後の地球連邦体制の中に潜む、ジオンシンパの数の多さを物語っていた。その思惑は、真にスペースノイドの未来を憂う者、パワーゲームの一貫としてジオンの側に入れ込む者、かつてのジオン公国民など、色々と異なってはいたが、電波ジャックにかなりの人間が関わっていたことは否定できない。
『今、真の若人の熱き血潮を我が血として、ここに私は、改めて地球連邦政府に対し宣戦を布告するものである。』
茨の園の宇宙港に係留されたムサイのモビルスーツデッキでは、ドラッツェ隊のパイロットたちが、出港前の最終点検を行なっていた。愛機の手入れは普段から十分に行なっているが、もうすぐ最初で(たぶん)最後の大規模な作戦行動に移る。40mmバルカン砲弾を満タンにし、予備弾を山と準備しておく。
「みんな、遺言状は書いたか?・・・補給部の先任軍曹のとこに提出しておけよ。」
曹長の階級章を付けたパイロットが、ドア向こうの通路からやってきて、飛ぶように歩きながら叫ぶ。遺言状は戦闘前の慣例、である。生きて帰ることを信じたいが故に、あえて出さないものもいる。その辺は、個人の裁量に任されている。
「ベイーブ。・・・ベイブ、いるか?」
「はい、曹長。」
答えたのは、3機並んだドラッツェのカタパルト寄りの機体のコクピットに座っているベイブ伍長だ。・・・ベイブ、は伍長の書類上の名前ではない。このモビルスーツ隊の中でもっとも若い・・・それどころか茨の園の中でも一番年若い彼は、愛情と揶揄を込めて、ベイブ、という名をもらっていた。ベイブと呼ばれる度、やめてくださいよ、恥ずかしい、と伍長は乞うたが、一人前と認めてもらうための証、・・・肝心の撃墜スコアが、ゼロ、では反論する先からやり返されるだけである。怒ることもできない。早くその名を返上したいと願っているが、せんそう、は終わってしまっている。
茨の園での地味だがもっとも多い任務『斥候』のために出撃しても、いつも後方支援役。戦闘状態になることもあったが、三年でスコアは未だ0機。・・・だが今度は違う。この戦いの間に絶対、星を取ってみせる!と意気込んでいる。そうしてソロモンの悪夢や真紅の稲妻といった異名を付けられるのなら大歓迎だ。
ベイブが軍訓練学校に入校したのは、0079年の9月のこと。卒業の辞令には0080年1月1日付でのグラナダ勤務が命じられていた。今となっては笑える辞令である。ベイブは一度も戦わないで負けた側の人間になり、グラナダ撤収戦でデラーズ・フリートに組することとなったのだ。
「手紙が届いてるぞ。」
「・・・・・・・・え?」
答えてから、驚きぎみにコクピット前面の壁を軽く蹴る。反動で10mばかり下方をめがけて身体を流す。その右腕を曹長に支えられながらバランスを取り床にブーツの底を押しつけて立つ。
「昨日、月から着いた便が運んできたようだ。・・・間に合って良かったな。」
「はい、ありがとうございます。」
と、曹長の手から包みを受け取る。ベイブに手紙が来るのは、実に一年ぶりのことだ。ベイブの家族や友人が薄情なのではない。茨の園にいる者にとって、ごくごく普通である。この三年一度も手紙を受け取っていない者もけっこういる。前の手紙はベイブの母親からで、戻ってこない息子を随分と心配していた。返事には元気にやってます、とか、愛を込めて、としか書けなかった。こちらの状況をストレートに書いても機密に引っ掛かって送れないし、(本当に)心配されるだけだ。・・・あの手紙はちゃんと届いたんだろうか。
(なんだ?えらく汚い封筒だな)
小さな、・・・10×20cmぐらいの小さな手紙だが、ぼこっと2cmぐらいの厚みがある。ざらざらの茶色い封筒で、いくつかスタンプが押されていた。封を切る前に、誰からだろう?と宛書を見れば、・・・文字はだいぶ消えかかっている。辛うじて判別できたのは、丸いスタンプの中に浮かぶ『U.N.T.MAIL』の字。
「・・・連邦軍からじゃないか。」
ベイブより先に曹長が言った。
「裏切り者。」
「中身はなんだ?・・・爆弾か?」
そばに寄ってきたパイロットたちがベイブをからかう。この便で何かしらの荷物が届いたのは、ドラッツェ隊の中ではベイブだけのようだ。自然と男たちが回りを囲む。手紙を盗み読むような習慣はないが、みな外の情報に飢えていた。テレビジョンはここにいても見れる、・・・がそんなものが欲しいんじゃない。もっと外の生の匂いが感じたいのだ。誰それの子供は学校に入っただの、あいつの親父が死んだだの、流行りの音楽に、ネオ・ブロードウェーの出し物。そんなことで構わなかった。そんなことが楽しみだった。0079年のまま時が止まったこの場所で暮らす男たちには。
「そんなんじゃねーっすよ。・・・開けてみます。」
「気をつけろよ。」
もちろんジオン軍の検閲済みスタンプもある。爆弾な訳はないので安心だが。・・・がさがさがさと、封を解くというより無造作に紙を破く。・・・・・・・・・中からはまた一包み。古式ゆかしい油紙。何やら硬い感触がある。めくってみると、銀色の薄い金属が現われた。表面にはアルファベットと数字の刻印。
「・・・これは!?」
ベイブと同じファミリーネームの氏名。PMで始まる12桁の軍籍番号。それに生年月日と血液型。
「間違いない・・・・・・・・・。」
(兄貴のだ)
どくん、と胸が鳴る。一年戦争の時、地球に降りた兄。ずっと消息を求めていたが、わからず終いだった兄。
「いったい、・・・なんで・・・今頃?」
それは、認識票だった。ジオン軍正式形状の、・・・もちろんベイブの胸にも同じものが下がっている。
「にい・・・さん。」
・・・・・・・・・ベイブの右手の中、高い天井の照明を反射して、ドッグ・タグがきらりと光った。
ドッグ・タグII
一年戦争の数年前から、サイド3では軍服姿の人間を日常的に見かけるようになった。軍の増強は着々と行なわれていた。公国内向けのプロパガンダとして、スペースノイドとアースノイドの対立の構図を、スペースノイド側に歩がある視点で描かれた3Dシネマが上映されたり、地球の自然を守る正義の味方が地球に住む人々をこらしめるアニメがテレビジョンで流されたりしていた。日々それを目にする子供たち。善悪以前に、かっこいいこと、強いこと、に価値を見出す年齢の。
・・・そんな子供たちの間に、ある時、ドッグ・タグや階級章が宝物として流行った。中でもドッグ・タグが一番スゴイかっこいいもの、だった。何故か?と聞かれても根拠はない。誰かがそう言ったら、そう決めたから、そうなった、ぐらいで。・・・たぶん、階級章よりドッグ・タグの方が入手が難しい代物だったのだろう。階級章も上の階級ほど友達に自慢できる(スゴイ)もの、とされていた。ジオン十字勲章、なんか誰も持ってないが、ホンモノに触った、と言うだけで羨望の目で見られた。クラスに一人くらいは、これは本物、あっちは偽物、・・・これは月面駐留軍のもので、あれは武装SSの・・・とやたら詳しいハカセくんもいた。
当時、兄や父が軍にいる男の子たちの多くがそれらを手にして威張っていたのだが、残念ながらベイブは親戚中探しても、それをくれそうな人はいなかった。がっくりだ。学校の友達みたく、胸元に貼り付けたり、ベルベットの布に包んできれいな箱にしまい込んで出し惜しみしたりしたかった。
(兄ちゃんも軍に入ってくれないかなぁ)
ドッグ・タグ欲しさだけでベイブはそんなことを考えていたが、年の離れた兄は、・・・ヒマな時間ができるとスポーツタイプのエレカに画材を積んでスケッチに出かけるような兄は、とうてい軍とか戦いとかから遠い処にいる人間に見え、・・・それが悔しかった。
「兄ちゃんの友達とかでさぁ・・・、入隊した人はいないの?」
「・・・おまえなぁ。・・・・・・・・・軍って何をするところかわかっているのか?」
『Henry V』のペーパーバックを読みながらリビングのソファに座っている兄の足元で、ベイブはティーガー戦車のプラモデルを作っている。
「それぐらい知ってるよ!悪いヤツを銃で撃ったりするんだろ!!・・・こう、バーンって。」
右手で銃を形作り、兄に向かって撃つ真似をする。無邪気なしぐさ。
「残念だな。・・・俺の友達はみんな『平和』主義なんだ。」
「Peace&Loveって・・・・・・・・・、何?」
ベイブの頭をぽんぽんと二回ほど叩いて、ソファから立ちあがると、それには答えずに自室に消えた。
「なんだよ、弱虫。・・・いーだ!」
もういない兄の背中に向けて吐く。もっと強くてカッコよくて男らしい兄ちゃんだったら良かったのに、と。
だが、そんな会話を交わしてから二ヶ月後、ベイブに奇跡が起きた。兄が軍の訓練学校に入るというのだ。・・・兄が!争いごとのキライだった兄が!
(これでやっとドッグタグが貰える!!!)
卒業後、家に一週間だけ帰ってきた時の兄の胸元には、期待通りのドッグ・タグ。白いシャツの上に光るドッグ・タグ。シャワーを浴びる素肌にもドッグ・タグ。・・・やっべ〜、本物だよ!!!!!!!!!
いつ言い出そうかタイミングをはかるつもりが堪えきれず、初日の夜に兄の部屋へ押しかけた。
「兄ちゃん、・・・あの・・・そのドッグ・タグ一個、俺にちょうだい。」
「駄目だ。」
迷いない即答。がらんとした部屋の隅にダンボールが二個。中には描きためていたスケッチや古い絵具や、他にも色々、小さな頃から使ってきた、そして今ではもう使わないであろうガラクタが、詰められている。部屋を片付けていたのだが、・・・まだベイブにその意味はわからない。
「なんでだよ?二個あるんだから、いいじゃんかー!」
チェーンに付けられたドッグ・タグは、なるほど確かに二枚あった。刻印された文字の内容もまったく同じ。
「あのな・・・、これが二枚組なのは、・・・・・・・・・まぁいい。それより学校はどうだ?」
「ぶー。ケチっ!ちょうだいったら、ちょうだい!」
ベッドに腰かけた兄の膝にすがってベイブは頼む。兄がなぜ言葉を飲み込んだのか、・・・まだベイブにその意味はわからない。
「・・・・・・・・・駄目だ。・・・だが、今度帰ってきたら、おまえにやるさ。」
「本当?ごまかしてるんじゃないよね!?」
「ああ、本当だ。だからそれまで、いい子で勉強してな。」
(・・・・・・・・・俺の分も)
そう言って家を出た兄は、最後には地球に降りた。・・・何度か手紙が来た。・・・手紙だけでずっと兄には会っていない。
子供すぎて、兄が部屋をきれいにして出ていった意味も考えなかった。
子供すぎて、ドッグ・タグがふたつある訳を兄に教えてもらえなかった。思おうともしなかった。
子供すぎて、穏やかだった兄がなぜ軍に入ったのか話してもらえなかった。訊こうともしなかった。もっと前からそのつもりでいたのかもしれないが気づきもしなかった。
子供すぎて、戦いの意味なんてわかりもしなかった。・・・・・・・・・今だってわかりゃしない。
あの、ずっと、欲しかった、ドッグ・タグが、・・・兄のドッグ・タグがひとつだけここに届いた。『ひとつだけ届く』その意味だけは、わかるようになって、・・・
(・・・わかりたくねぇよっ!!!)
そうだ。ドッグ・タグがふたつでひとつなのは、それが死亡の確認に使われるからだった。戦場で作戦行動中に亡くなる。時に死体は無残な状態になる。手足がふっとぶ。バラバラになる。それでも行軍は続く。死体を連れて進むわけにはいかない。誰が戦死したのか、・・・間違いがないよう、二枚組のドッグ・タグの一方を、氏名と軍籍番号と生年月日と血液型の刻まれたドッグ・タグの一方を、胸元から引っぺがし、もう一方を首にかけたまま残してくる。後方部隊があとで死体を拾いあげ、残ったドッグ・タグで身元を確定する。・・・・・・・・・が、野ざらしのまま、衣服が朽ち果て、白い骨が剥き出しになっても、まだ錆びつかずドッグ・タグが輝いていることも。
そんなことも知らずあの頃は、ただドッグ・タグが欲しくてたまらなかった。その残酷な現実を教えてもらうには、あまりに子供で、
(・・・・・・・・・もっと兄と話しておけばよかった)
もっと、もっと、兄と。・・・・・・・・・もっと!!!!!!!!!
ベイブは親の反対を無視して、兄の後を追い、0079年の秋に訓練学校に入学した。もう15歳。ドッグ・タグが目当てなんかじゃない。戦争、を見て、戦争、を感じて、国のために、親のために、友達のために、みんなのために、そして自分のために、選んだ。
俺は学徒動員のなまっちょろいヤツなんかとは違う、という志願兵の誇り。ジュニアハイスクールを卒業後、年齢を偽ってまで入った訓練校。書類状の不備は、・・・今となってはわざと見逃されたのかもと思う。それぐらいジオンという国は困っていたのだと。ただあの時は、高揚する魂を押さえられず、浮かれ、やってやるのだと、手柄をとってみせるのだと、レビル将軍をもう一度捕虜にして、白い髭を記念にもらってやるぜ、と。
・・・・・・・・・そうしてソロモンの悪夢や真紅の稲妻といった異名を付けられるのなら大歓迎だ。
『荒野の迅雷』と呼ばれた兄に、負けないぐらいに。
ヴィッシュ・ドナヒューの名が刻まれたドッグ・タグを手に、固まってしまったベイブの肩を誰かが掴んだ。ベイブの兄だと知って、ざわついていたパイロットたちが静まりかえる。タイミング良く届いたはずのそれが、最悪に変わる。
(三年も経って、・・・なんで今頃?)
手紙が出されたのはもっと前かもしれない。転送を重ね、ジオンに繋がる者の手を伝わり、やっと届いた手紙。だが、これだけは確実だ。手紙の発信元が連邦軍の基地である、ということだけは。
ヴィッシュ・ドナヒュー、最後の遺品。送り主の親切か、軍人の心情がわかるからこそか。・・・この俺が、ありがたいと、
(思うわけねーだろぉ!!!)
・・・・・・・・・こんな連邦が嫌いだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ジオンの軍人である俺にドッグ・タグを送ってくる連邦が嫌いだ!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のほほんとして鷹揚で甘っちょろい連邦が大嫌いだ!!!!!!!!!
(なんでこんな連邦なんかに負けちまったんだ?)
「なんで、・・・死んじまったんだよ、・・・兄さん。」
肩を落として、ベイブはうめいた。
「敵を・・・とってやろうな。」
「・・・・・・・・・はい。」
モビルスーツ隊の中でもっとも若い・・・それどころか茨の園の中でも一番年若いベイブを思いやって、代わる代わる男たちがその肩を抱く。頭を撫でてやる。頬を軽く叩く。
宇宙世紀0083年11月5日07:00、アナベル・ガトー少佐の率いる艦隊が茨の園を出港。・・・向かうはソロモン海。
『かりそめの平和への囁きに惑わされることなく、繰り返し、心に聞こえて来る祖国の名誉のために・・・』
ムサイ級独特のエンジンの唸りが、足下から伝わってくるモビルスーツデッキで、自室にいても落ち着けないベイブがドラッツェを磨いている。
(兄さん、俺、やってやる。・・・絶対絶対ベイブなんて呼ばれないようになる!・・・いつの日か胸を張って会えるよう!!)
その首に掛けられた三枚のドッグ・タグが、動きに釣られて揺れる。
・・・・・・・・・彼のと彼のと兄の、ドッグ・タグ、が。
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